コロナ患者とその家族の現実④(8/15保健所とのやり取り)
前回の続きから書いていきます。
陽性判定を受けた翌日の朝のこと。僕は不安と妻の咳によってほとんど眠ることができなかった。
予想した通り、保健所から電話がかかってくることはなかった。
このとき医療はひっ迫していて、入院したくてもできない状況になっているのは知っていた。
とにかく保健所に伝えないことには何も始まらない。
この日は日曜日。通常の窓口は閉まっている。しかし翌日まで待っているなんてできなかった。
藁にもすがる思いで、24時間受付の「発熱相談センター」に電話をした。
早朝だったにも関わらず、電話に出てくれた方はすごく親身に話を聞いてくれ、心配してくれた。コロナの一般的な症状について教えてくれ、救急に電話をするように促してくれた。
とにかく多くの人に、ここに感染者がいる事実を伝えないといけない。特に妊婦は、リスクが高い。頼る機関は、1つより複数あった方がよい。ということだった。
また、オンラインで診療をしてくれるクリニックとその連絡先を複数教えてくれた。とにかくありがたかった。
お礼を言って電話を切ると、すぐに119番をした。
妻は、眠っているようだった。
体が休まっている時間帯が少しでもあると、安心した。
ほどなくして、救急車が到着した。救急隊の方とのやり取りはこんな感じだった。
「どこでPCR検査をしましたか?」
ー近所の○○診療所です。
「保健所とは連絡をとれていますか?」
ーいえ、まだ取れていません。
「○○診療所はなんて言っていました?」
ー昨日のうちに電話が来ると言っていましたが、、まだです。
「妊婦であることは診療所も知っていますよね?」
ー伝えました。
「持病があったり、高齢であったりする場合は優先的に対応がされる場合が多いです。妊婦の場合もそのケースに当てはまります。こちらからなんとか保健所に連絡できないか、やってみます。」
そう言って、いろいろなところに電話をかけてくれていた。もう一人の方が、妻に勇気づけるように声をかけてくれていた。
その後、ある携帯の番号を僕に教えてくれた。
保健所の方の番号だそうだ。
「この番号にかけて保健所の人と連絡がついたら、まず入院できる病院を探してもらってください。まずはそこからです。そして、私たちができることは、ここまでになります。」
発熱相談の窓口の人も含めて、すごく親身な対応をしてくれた。
見失ってしまった道をつないでくれて、感謝しかなかった。
と同時に、隊員の人が引き上げると、猛烈な孤独感に襲われた。以前別の体調不良で倒れたときはすぐに入院できたのに、、
帰ってしまうのか。
自分でなんとかしろというのか。
教えてもらった電話番号に電話をかけた。保健所の人とつながって、ようやく現状を説明できた。
電話が終わると、2つの感情が生まれてきた。
1つは、できることはやったという安心感。
自分から動いていなければ、保健所からの電話をただただ待っていただけでは、こうはならなかった。おそらく週明け、最低でも明日まで保健所とは何やり取りをすることはなかっただろうから。
2つめは、入院先が見つからないという受け入れがたい現実と、これからどうなるのか先が見えない状況に、逃げ出したい気持ち。
妻とは発症する前からずっと一緒に行動していた。
自分も妻と同じように熱が出たりしたら。
僕も起き上がれないような状況になったら。
そのときは誰がどうやって助けてくれるんだろう。
とてつもない恐怖感に襲われた。
保健所からは、僕は濃厚接触者だと言われた。
外出は禁止。
自分の感染を防ぐため、マスク必須。喚起を常時。
細心の注意を払って、奥さんの看病にあたること。
入院調整はするが、今のところ目途は立たない。
定期的に健康観察で電話を入れる。
保健所の人は必要なことを教えてくれているのだろうが、先ほどの救急隊の人よりも事務的な口調に無機質を感じ、絶望感がさらに増す。
これに拍車をかけたのが、親からの連絡だった。
検査で陽性になったときに連絡を入れてから、心配性な僕の親はよく僕にメールを入れるようになっていた。
・入院先は見つかるのか
・今はどんな症状なのか
・食べ物はあるのか
・ニュースでこんなことを言っていた
・妊婦は重症化しやすいようだ
・症状はメモしておけ
・産婦人科には連絡したか
などなど。その意図としては、とにかく心配していて、少しでも力になりたくて連絡をくれていた。それは重々わかっていた。
でも、当時の僕には、ずっしりと堪えた。
特に、
あんなケースやこんなケースもあるみたいだ。もしかしたらうちもそうなるかも。だから早く入院先を見つけてもらわないとまずいぞ、といった類の内容。
それを一番願っているのは、僕だ。
やれることは1日1日必死にやっている。
自分の睡眠はほとんど取れていいない。
そんな中に、不安材料という爆弾を投げ込まれては…
日中に、僕はnoteを更新した。
それが、「投稿を中断します」というもの。
学童クラブの仕事も、いつ復帰できるかわからない。自分が感染してしまうかもしれない。
「家庭内感染」は、もはや毎日のように聞く言葉だ。
この危機を乗り越えてもう一度平穏な生活を取り戻したら、また頑張ろう。そう自分を奮い立たせるためだった。
投稿を終えると、現実に戻り、やることを整理した。明日は、自分がPCR検査を受けること。
そして妻の薬をもらうこと。
咳、鼻づまり、これが少しでも楽になればだいぶ変わるだろう。どうか、、重症化する前に症状が治まりますように。
思いはこれだけだった。
その夜、妻の熱が上がり、咳の激しさはこれまでと比べ物にならないくらいになった。なんというか、獣の吠えるような咳。
痰が絡むので何度も洗面所に行き、口の中を洗っている。
大きいおなかを抱えて、夜中にふらつきながら洗面所に向かっていく。
そんな姿を見て僕も横になってなんかいられず、背中をさすりに行く。だが、あまり触ってほしくないのか、手を払いのけられる。
声をかけても、返事はない。
うがいし終わると、ベッドに戻っていく。
時計の針は午前3時を過ぎたころだ。
とてつもなく長い夜だった。
早く朝になって病院が開けば、薬をもらえるのに。
その日から今でも、夜を迎えると不安になります。
8/16(月)の様子はまた次回書きたいと思います。
ありがとうございました。
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