コロナ患者とその家族の現実③(8/14PCR陽性判定)
この日の朝、いったん熱は下がり、落ち着いた様子で起きてきた妻。やはり鼻詰まりと倦怠感はあるようでしんどそうにしていた。
でも昨日、診察で言われた「陽性の可能性は低いでしょう」の言葉に少し安心しているのか、2人ともそこまでの緊迫感はない。
とにかく、陰性の確認ができたら早く薬をもらって治すだけ。
そう思っていた。
お昼を食べた後、妻はパソコンで仕事を始めた。
「そのくらいの元気はあるんだな」
と思い、僕はあまり緊張感のない過ごし方をしていたように思う。家でできる仕事や読みかけの本はあったが、とにかく検査結果が知りたい。
じゃないと落ち着いて物事が考えられない。そんな気分だった。
結果は「夕方」に電話が来るということだった。
一体何時のことを指しているんだろう。。
15時、16時…と過ぎていくが妻の携帯は鳴らない。
マンガやゲームも飽きてしまって、退屈だ。
どうしても、万が一陽性だったら…と考えてしまう。
この時世に新幹線で帰省をしたことを後悔することになる。
会社にも報告しなければいけないし、、
そんな落ち着かない心の中を表すかのように、外はどんよりと曇っている。今にも降り出しそうだ。
そんな僕を見かねたのか、妻が声をかけてくれた。
「少し外を散歩でもしてきたら?」
「もしその間に結果が来たら連絡入れるから」
家の中にいても煮詰まるだけなので、その案に乗ることにした。
家の周りは住宅街で、緑もそこそこ多い。曇ってはいても、景色を見ていたら少しは気分が晴れるかもしれない。黙って待っているよりはいい。
大体17時半ごろだろうか。僕は散歩に出た。
途中でコンビニに寄り、スナック菓子とジュースを買って歩きながら食べた。
少し家から離れたところまで歩いた。
途中で雨が降ってきた。
でも、結果を知るまでは家に帰りたくなかった。
歩きでは来たことないところまでやってきた。
スマホを見ると18:30になっていた。段々足も疲れてきたころだ。
夏だが、分厚い雲の影響もあり薄暗くなってきた。
そろそろ家に向かい始めるか、と考えた。
夕方にしては、もう18:30だぞ。遅いよな。土曜だからスタッフが少ないのか?それで時間がかかっているのか?
またウジウジと余計なことを考え始めていた。
おそらく、陽性の人から先に連絡するはず。うちへの連絡が遅いってことは、きっと陰性だから後回しにされてるんだ。
と、都合のいいように考えて答えの出ない思考を打ち消し、家に向かって歩き始めた。
途中、見たことのない建物に目が行く。
冷凍餃子を売っている直売所らしい。
妻は晩ご飯を作る体力はないだろうから、買って行ってあげよう。そして、無事陰性がわかったことのお祝いとして、ビールでも飲もう。
僕は40個入りくらいの冷凍餃子を買っていった。
この時は、2人でおいしく食べられると思って期待していたんだ。
家まであと10分というところまで来た。
もう19:00近くになっている。
スマホを見るがまだ妻から連絡はない。
だいぶ足が疲れてしまった。
早く家に着こう…と、歩を早めようとしたそのときだった。
スマホが鳴った。
妻からのLINE電話だ。
「おかしい。。」と直感的に思った。
陰性だと予想していたんだから、その通りだったなら電話でなく文章の連絡でいいはずだ。妻の性格的に、そうするだろうと予想していた。
「ご心配をおかけしました(^^♪」くらいのノリで、軽く。
なぜ、電話なんだ。。
僕はすぐに出ることができず、数秒間画面をにらんでいた。
でも、早く楽になりたくて電話に出た。
すると、泣きそうな声で妻が言った。
「やばい、陽性だった…」
目の前が真っ暗になった。これは、絶望した時によく使われる比喩表現の1つだけど、このときは冗談じゃなく真っ暗になった。
・陽性?なんでよりによってうちの妻が?
・おなかの中の赤ちゃんに影響はあるのか?
・入院先は見つかるのか?連日、ひっ迫してるって。。
・副鼻腔炎じゃなかったのかよ、、
・おれに移ってる可能性は?
・互いの家族になんて説明すればいい。
これから、何が待っているんだ?
一瞬にしてパニックに陥った。
「と、とにかくすぐに帰るから!」
とだけ言って電話を切って、走って帰った。
帰って妻を見ると、こわばった顔で毛布にくるまった妻の姿が。僕の顔を見ると少し微笑んだ。僕はなんて言っていいかわからず、今でも何をしゃべったか覚えていない。
とにかく、これから先どうしたらいいのか。
知りたいのはそこだけだった。
妻にそのことを聞き、要約するとこんな感じだった。
・2~3時間以内に、保健所から連絡が来る。
・保健所に状況を伝える。(妊婦であることなど)
・検査を受けたときにもらった「陽性者の方へ」という紙に書いてある内容に沿って、自宅で過ごす際の注意事項を守って過ごすこと。
・あとは保健所の指示に従ってほしい。
たったこれだけであった。
「陽性者の方へ」という紙には、
世話をする人を固定すること、
同居の人とは部屋や食器を分けること、
換気とマスクをすること、
などが書いてあった。
「保健所からの連絡を待つ」
また待つのか…!
これから何が待ち受けているかわからない恐ろしさと心配と、自分は待つしかできないということへの怒りで一気に余裕がなくなった。
買ってきた餃子を見て、こんなのんきなことをしていやがったのかと、自分に腹が立った。
妻は、やはり夜になると熱が上がってくるのでしんどそうにし始めた。とにかく寝ないといけない。保健所から電話がかかってきたら僕が対応することを伝え、寝室へ向かった。
1人になり、とりあえず自分の親に電話をかけて報告した。
父、母は当たり前だが驚き、動揺を隠していなかった。
今後どうなるかわからないから状況は逐一報告しなさいと言われ、また必要ならば物資を届けに行くと言ってくれた。
電話を切ってスマホを見たが、着信はない。
たぶん、保健所からの連絡は来ない。
もうこんな時間だし、土曜日だし。
なんとなく、悟っていた。
僕が布団に入る頃には、寝室から妻の大きな咳が聞こえてきた。
時間がたてばたつほど、激しくなっているようだ。
咳の音が聞こえるたびに、自分の胸が締め付けられるような感じがした。それは、現実を知らしめられているかのような絶望的な感触だった。
その夜は、ほとんど眠れなかった。
8/15の出来事については、次回書きたいと思います。
ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?