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リアル授業『文章の学校』って、どんなところ?【#とは】

noteはじめて、約5ヶ月。
なんとなく気がついた。
みんな、自分の文章を読んでほしいし、感想をもらえる場を求めているんだなってこと。

だからnoteに集うんだ。
それで思い出した。

2年前、ひょんなことから文章の力って大事と思い知らされた私。

そんな私が、地元・福岡にある初心者向けの文章の学校に通った日々のことを。

授業は月2回、1回120分行われる。
その内60分は、リズムとか文体とか、文章が書けるようになる基礎の講義で、それにちなんだ名文で学習する。
あとの時間は、それぞれが書いてきた宿題の文章を読み上げ、講評や意見交換だ。

授業は、半年間で全部で12回。
その半年の間に、課題はどんどん難易度が上がり、頭を抱えることばかりだった。
一番怖いのは、授業当日、自分の口で提出した課題を読み上げる瞬間だろう。
ただでさえ、自分の文章を人前で読み上げるなんて、罰ゲームのようなものだ。それなのに、皆で感想を述べたり、意見を出しあうのである。

「みんなに何と思われるだろう」

不安と緊張で心臓はバクバクし、テーブルの下の足は、いつもガクガクと震えていた。
読み終えた後の安堵と言ったらない。
まぁ、講評でキビシクもあたたかい叱咤を受けて、毎回「うはぁ~」となるのだけれど。

私のクラスは「大学受験の為の論文対策に」と通う現役高校生や、「仕事で文章力が必要で」と語るサラリーマンや医師など、個性豊かなメンバーばかり。
初心者向けというだけあって、「今まで本も読んだことなくて」とか、「文章を書くことから逃げてきた」と語る方もいた。
そんな中で私は、国文科卒だし文章書くのも苦手じゃないし、この中でならイイ線いくんじゃない?なーんて軽く考えていた。

が!
甘かった、ホントに。
私、ちょっとは書けるのよなんて、イタイ勘違い女の鼻っ柱は、早々に折られることになる。

だって、スゴいんだもの、みんな。
「書くことから逃げてきた」とおっしゃった方から紡ぎだされるその文章は、今でも目に浮かぶほど鮮明で美しい。


「今まで本を読んできてない」っておっしゃっていた方の文章は、毎回違うテイストで攻めてきて、とにかくびっくり箱みたい。


失礼ながら「文章の技巧は、まだまだかな~」なんて思われる方でも、その素直で伸びやかな言葉選びは「絶対この方、性格いいよ!」ってダイレクトに伝わるほどである。
素晴らしい書き手に、たくさん出会った。

同時に、私がこれまで読書を重ねてきた数十年って、いったい何だったんだろうと打ちのめされた。

でも楽しかった、純粋に。
それまでの私は、書ける人になりたくて、いろんな文章術の本を読んだり、単発の文章教室に足を運んだこともある。
だけど書けるようにはならなかった。

でも文章の学校では、月に2度やってくる締め切りと、800字という少ない文字数の課題を前に、なんとか書き上げようと気持ちを後押しされた。

かつて国語の授業で、散々文法は教わったけど(これが、まったく覚えていない!)、こんな実用的な文章の書き方を教わりたかったよ!と思える学校だった。
私が通った学校は、そんなところで他所の学校のことはよくわからないけれど。

もやもやを抱えるばかりだった頭の中が、課題を与えられて言語化することで、脳内がクリアになっていく。
これまでどうやって書いたらいいんだろうと、ぐるぐるしていた私は、この学校で「私にも書けるかも知れない!」と実感出来た。

書くという行為は孤独だから、仲間が出来て読んでくれて意見をもらえるという場は、ひとりよがりだった自分を思い知らせてくれる。
同じお題なのに、ひとつとして似たような作品がなく、多様性を自然に認めることが出来た。

文章で己を見つめ直すことは、自分の内面が豊かにすることに繋がる。

読んで、書いて、書き直す。

私は、まだまだ未熟者だけど。
文章を書く、をライフワークにしたい!と決めたから。
文章上達のためには、それを繰り返すしか他にない。


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