FULL CONFESSION(全告白) 4    映画は勝手に当たるし勝手にコケる   

GEN TAKAHASHI
2024/5/7

基本的に映画作家・GEN TAKAHASHIの作文。

第4回 映画は勝手に当たるし勝手にコケる


 本稿の表題が結論なので、今回はこれにて終了。

 …というほど私は大物ではないし、自分の意思でコラムを書いて発表しているのだから、毎度、それなりにまとまった一文にすることは、不特定多数の読者諸氏に対する礼儀というものだ。

 ところで、この「それなりに」という言葉は、モノゴトの程度を抽象的に表す慣用句でありながら、実は、裁判官が起案する判決文などにもよく出てくる、法的にも有効な文語表現である。

 たとえば「原告の主張は、それなりの証拠から、その真実相当性を認めることができる」などと使われるのだが、「それなりって、どういうことだよ?」と裁判官にツッコミを入れたくなる書き方でもある。
 判決文の「判決理由」には、そこに書かれた「それなり」が具体的にどういう証拠で、それを裁判所がどう判断したのかが書かれる。
 しかし、この判決理由は、まったくもって裁判官の自由裁量にゆだねられていて、理由を書こうが書くまいが、裁判官の自由なのである(法曹界用語で、これを裁判官の「自由心証主義」という)。

 極端な話、裁判官が「主文、被告人を死刑に処する。理由は、死刑に値するから」などという判決文を書いたとしても、それが法令に反するという規定は存在しないはずである(運用上の規則はあるだろうけど)。
 まあ、いくらなんでも死刑判決で、そんな判決文を書く判事はいないはずだが、一般的な民事裁判などでは、いくらでも「トンデモ判決」がある。

 特に国家賠償請求訴訟(通称・国賠)のように、国民が原告となって国を訴える裁判では、国を勝たせなければ出世に響くのが裁判官の世界だ。

 はい、ここで宣伝!
 私の監督代表作のひとつで最高裁判所にも睨まれたとの噂がある法廷映画『ゼウスの法廷』を、ぜひとも配信(U-NEXT、Amazon Prime Videoほか)で観てちょうだい。
 日本映画史上初めて、東京地方裁判所の法廷を、東映撮影所で忠実にセットで再現した風景だけでも観る価値があるし、裁判官の実態もよくわかりますので。

 そんなわけで、裁判官は日本で最強の権力者である。

 どうみても原告たる国民の主張が正しく、国が敗訴に追い込まれるような事件の場合、裁判官はその争点自体を「スルー」することが許されるのだ。
「そうだとしても、原告(国民)の主張が認められる合理性があるとはいえない」などというデタラメな書き方で、国を勝たせる。そして、その腐敗裁判官は出世する。要は判事も「カネ」だ。
 私たち、裁判ボランティアに係わる者たちは、何度もそんな判決をみている。「国家権力にとって都合の悪いことは判断しない裁判官」が、最も効率よく出世する判事なのである。

 要するに日本の裁判官というのは、公費で生活しながら、どんな判決を出したって一切罪に問われないし、なんらの説明義務もなく、開き直ればいいだけなのだから「それなりに」こんなに楽な商売はない。

 さて、本稿のテーマである「映画は勝手に当たる」という私の主張も、「それなりに」根拠があるものだ。

 われわれ商業映画人は「この映画はこういうメッセージを込めた、こういう映画なので、こういう物語であることを理解して、最後は感動などしてくださいね」という了見で映画を創って、宣伝して興行するのだが、観客が同じ了見でそれを観るとは限らない。
 観るどころか宣伝の段階で、こちらが「これを観よ!観たいでしょう?」と工夫をこらして創ったポスターやチラシ、予告編が見向きもされないという事態は、いわゆる大手映画会社の興行でも普通にある。
 大手の場合は、カネを使ってテレビに宣伝を出すから、潜在客層が見ていると錯覚するだけで、実際にはテレビやネットに「勝手に映画の宣伝が流れてくる」だけのことで、それが興行の動員につながるかどうかなど、誰にもわからないのである。
  
 要するに、映画は勝手に当たるし、勝手にコケるのだ。

 映画業界に長くいる人間なら、映画興行を予想するなどということが不可能なことをよくわかっている。

 年代別の観客層を想定したシミュレーションや、宣伝のマーケティングがあーだのこーだの、製作会社や配給会社、そこから業務を請ける宣伝会社も仕事だからやることはやるんだろうけど(カネだけ取って仕事をしない宣伝・配給会社も多い)そういったことはルーティンワークに過ぎない。

 宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』が、タイトルとポスター以外に一切の宣伝をしないという興行に打って出たとき、日本国内でも「いくら宮崎アニメだからって自信過剰だろう」とでも言いたげな、否定的なコメントがメディアの主流派だったはずだ。
 ところが封切った途端、わずか4日で興行収入20億円を超える大ヒット作となり、ご存じのとおり米国アカデミー賞でも勝った。
 すると日本のメディアは、壮大な「後出しジャンケン論」として、宣伝ナシ戦略がどうだったとか、やはり内容が良かったからだとか、適当なことを書いていた。

 だが、私に言わせれば『君たちはどう生きるか』も「映画が勝手に当たった」ということなのである。

 この事実がなにを意味するのか?
 無名の映画監督たる私が、本年撮影する新作映画『撃つ女』が、2025年に公開されて「勝手に当たる」ことも、映画興行論と宇宙論の両面から起こり得るということである。

 もちろん「勝手にコケる」こともあるのだがな。

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?