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無職のときに書いてたクソ長い日記

信号が青に変わる。スクランブル交差点はまるで一つの生き物のようで、それでいて統率はとれていない。自分は赤い目だ、と思い込んでいる雑魚で構成されたスイミーの群衆。ふと「犬でも飼えば生きる意味とかができたりするのかな」なんて考える。みんな、要はそんなことを考えている。赤い目であると勘違いしている若者達で この街は構成されていて。それを見て見ぬフリをする権利を買うために僕は若さという通貨を支払い続けてる。渋谷エスパスが視界に入り消える。井の頭線改札へ続くエレベーターは動き続ける。
 

 帰路。始発電車に合わせて店を出て浴びる朝日がモラトリアムを象徴するのは恐らくは4、5年後の話で。胃のムカつきと、定まらない視界と、視界を定めようともしない自堕落さと、隣で眠るサラリーマンへの焦燥感。食道にあるゲロが押し出されそうだ。体内にモラトリアムへの陶酔が入る余地はない。
 

 サラリーマンが僕を鬱陶しそうに睨む。分かってるよ。さっきまで僕が一軒目酒場で叫んでいた「ヤバイって!!」よりも、数十年間働き続けなければならない現実を日々実感する生活の方が遥かに「ヤバい」ことも。こうやって悟ったフリをしてる大学生を殺してえって気持ちで会社に行ってることも。分かってるよ。だから、そんなに睨まないでよ。サラリーマンが僕を鬱陶しそうに睨む。そんなに嫌なら別の車両に行けばいいのに。
 

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 2020年。1月
気が付いたら僕は前に進んでいた。前に進んでいることを自覚してから少しして、信号が青になったことに気が付く。他のカートに置いて行かれスタートダッシュが遅れた僕は、半透明のテレサのような大学生の僕に連れられて、明け方。渋谷の街を進む。なんとなく右足を出してしまったから釣られて左足を出す。歩いているという自覚もなく、ただ、進む。
 

 僕が前に進んでいるのか、スクランブル交差点という個体が前に進んでいるのか。分からなくなる。隣の人に目を向けると、やっぱりその動きは歪で。彼もまた、いつかの半透明な自分を追いかけているのであろうことがわかる。人混みはまるでひとつの生き物のようで、それでいて意志はなく、ただ、半透明の「赤い目」を追っている。
 

 帰路。始発電車に合わせて店を出た。強い意志をもって通勤ラッシュを避ける。避けることができるようになって解放感がないかといえば嘘になるが、後ろめたい気持ちのほうがよっぽど大きい。開放感があるのは8月32日あたりであって、8月も100日ほど過ぎると焦燥感が大半を占める。無職になることを決めてから僕はコーヒーが飲めなくなってしまった。微々たるカフェインで身体中の震えが止まらなくなる。
 

 井の頭線改札に向かう。渋谷エスパスに並ぶ資格すら無くなってしまった僕はエスカレーターに乗りエスパスが視界から消えるのをじっと待つ。あぶく銭を得たとてサラ金の返済に充てなければならなくなってから、僕はギャンブルを綺麗に辞めた。単純に「楽しくないから」だ。それを、大人になっただの丸くなっただの言われたこともあったが、まったくもって褒められている気がしない。「楽しくなくなる」ことが大人になることだと言われているようにしか聞こえなかった。鼻の骨を折ってやりたい衝動に駆られる。
 

 エレベーターが平らになり、井の頭線の改札が頭を出す。人を避けながら改札を目指し、向かいから改札を通る通行人を2人スルーして改札を通る。
 

 朝4時台の車両は、モラトリアムと諦めが交差している。隣で眠るサラリーマンは僕を一瞥すると、背もたれに腰を掛け直し、少々端に寄る。僕は彼を目の端で捉えながらイヤホンの音量を落とした。違うシートに行こうかな、と空いている座席を確認する。
 
 
 
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 2015年1月
若干の後ろめたさを感じながら家の鍵を開ける。母親がパートに出る前には部屋に入りたい。部屋の電気を消し、寝巻きに着替え布団に入る。差し込んでくる木漏れ日が鬱陶しい。
 

 すぐに寝付けないことを理由に4限を切ることを決意する。クズだな、と思いながらもセーフティーネットにもたれかかっていることも自覚している。それが心地よくもあり、ちょうど良さに甘えたくなる。
 

 ひと通り自堕落な生活を送ってみると、「ホンモノ」の人間になりたくなってくる。肥大化した自意識と暇を纏めて潰すために「そうやって収束している」ことも薄々わかってはいるが、「ホンモノになる」ことを意識していれば、4限を切っても大丈夫な気もする。
 

 朝8時には家を出てんだな、普通のひとって
。考えらんねえな、とか友達と話すけど
 

 本当は、僕は8時は家を出ることが出来る人間であることも知っているし、8時に起きれない社会不適応な「ホンモノ」になれないことも分かっている。
 

 それは8時に起きれないことよりも遥かに恐ろしく、だから僕は、8時に起きるなんて信じられないと触れ回り、安い共感を得る
 

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2020年2月。
 若干の後ろめたさを感じながら家の鍵を開ける。母親がパートに出る前には部屋に入りたい。部屋の電気を消し、寝巻きに着替え布団に入る。差し込んでいる木漏れ日を頼りに机にメガネを置き、就寝する。
 

 職を失ってから素直に「生きやすく」なった。何時に寝始めても睡眠時間が確保できるからだ。起きなければならない時間が定まっていないので、寝なければいけない時間に制限もない。24時間のうち僕が社会に必要とされている時間は1時間たりともないわけだから、起きなければならない時間が定まっていないのも当たり前の話だ。
 

 サラリーマンをしていた頃は、どうやっても8時に家を出られなかった。
 

 何時に布団に入っても寝るのは朝4時を過ぎたあたり。寝れば明日が来るため、寝る決心がつかないまま時間が過ぎていたのをよく覚えている。
 

 倒れるまで寝る姿勢に入らなくていい今の生活は、すごくラクだ。
 

 寝るのは今でも怖いけど、怖いと感じる時間は圧倒的に少なくなった。
 

 社会不適応、というやつなんだろうなと。自己陶酔でもなく真っ直ぐに思う。
 

 あの頃は、「ホンモノ」にもなれない社会不適応がいることについて良く分かっていなかった。
 

 僕は普通でもなかったし、ホンモノでもなかった。
 

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2021年。2月
 

 若干の後ろめたさを感じながら家の鍵を開ける。母親がパートに出る前には部屋に入りたい。部屋の電気を消し、寝巻きに着替え布団に入る。差し込んでいる木漏れ日を頼りに机にメガネを置き、就寝する。
 
 
 僕は、寝るのが怖くなくなった。寝るのが怖くなくなった。寝るのが怖くなくなった。寝るのが怖くなくなった。

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