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ミクちゃんの話をしようと思う。

私には過去に「ミクちゃん」という継母がいました。


ミクちゃんの話をしようと思う。


 私は今年二十五歳になった。四半世紀生きた今だからこそ、ミクちゃんの話をしようと思う。ミクちゃんとは私の元継母である。元継母ってなに? とか余計なことを考えず、とにかく私の話を聞いてほしい。


 ミクちゃんの話をする前に、まずは私の産みの母親の話をしようと思う。


 私の母親は、私が四歳の時に病気で亡くなった。意識のある母親と過ごして会話を交わした記憶はほとんどない。いやに白い病室のベッドで無数の管に繋がれてぐったり横になっている母親の姿しかほぼ記憶にない。

 母親の笑顔も、たった一枚の写真でしかみたことがない。写真で見る母親の笑顔は、私に似てなんだか幸が薄そうな寂しい笑顔をしていた。母が健康な頃に撮った写真にもかかわらず、身体もやけにほっそりしていて、生きるためのエネルギーみたいなものが少なそうな印象を受けた。

 母親は字がとっても綺麗で、手紙を書くのが好きだった。その手紙が今でも残っているが、文面を見るとメンヘラそのものだった。母親は「どうせ私なんて……」というネガティブ思考が強く、本当に今の私と何から何までそっくりな人だったのかもしれない。話したことがないから、わからないけれど。


 そんな母親が亡くなって六年が経過し、私が小学四年生になったときのことだった。私と父は祖父の家で祖父母と共に住んでいた。ある日曜日、父は私を京都に連れて行ってくれた。当時父が付き合っていた女の人に私を会わせるためだった。それがミクちゃんだった。

 ひと目会ったミクちゃんは、金髪で、若くて、ふくよかで、素敵な笑顔が印象的で、頬の赤いチークと長いつけまつげと鮮やかな口紅が最高に似合っていて、パワフルで、生きるエネルギーに溢れていて、とにかく私や亡き母とは正反対の人だった。間違いなく今で言うところの「パリピ」だった。

 当時ミクちゃんは二十五歳だった。父は四十才だったから、かなりの年の差恋愛だった。父は休みのたびに私を京都に連れて行った。私と父は毎週のように京阪電車にのって、とびきり笑顔のミクちゃんに会いに行った。ミクちゃんと私はすぐに仲良くなった。私はミクちゃんが割と好きだったと思う。当時買ってもらったポケモンのゲームの主人公の名前も「みく」にしていたはずだ。相当好きだったのかもしれない。



 ほどなくして父とミクちゃんは結婚した。結婚式はしなかった。大阪で一緒に住むことになり、安いマンションの一室を借りて、家具や家電製品を新調した。
 新しく買った冷蔵庫のドアには、ミクちゃんの大好きなミッキーのステッカーを全面に貼って、冷蔵庫の中には、ミクちゃんの大好きなコーラの二リットルボトルを大量にストックした。

 こうしてミクちゃんとともに、三人の生活が始まった。結婚当初、ミクちゃんと父はいつも楽しそうに話をしていて、世代間ギャップはあれど、それすらも楽しい笑い話の種にしていた。たまに三人でマクドナルドに行って、当時まだ八十円で販売されていたハンバーガーを食べながら、他愛もない話をするのが好きだった


 ミクちゃんは普通に家事をこなしていたけど、料理は苦手だった。晩ご飯は八割がた野菜炒めだった。ある日ミクちゃんが珍しく豆腐ハンバーグを作ってくれた。私がそれをおいしいと言ったその日から、豆腐ハンバーグが食卓に並ぶ頻度がぐっと増えた。私たちはそれなりに幸せだった。


 明るくて素敵なミクちゃんだったが、ミクちゃんには一つ大きな欠点があった。それは、お金遣いが非常に荒いことだった。ミクちゃんはパチンコが好きだった。ミクちゃんはマンションのほぼ向かいにあるパチンコ屋に足繁く通った。父の稼ぎでは到底ミクちゃんのギャンブル欲を満たすことはできなかった。ミクちゃんと父の関係が少しずつ崩れはじめた。


 とにかくお金が足りなかった。ミクちゃんはパートを始めようとしていた。ミクちゃんは百均ショップで履歴書を買って、見本通りに丁寧に書いていた。でも結局、ミクちゃんがパートに出ることはなかった。これはただの私の憶測だが、小学四年生の子供がいる二十五歳の金髪の女性なんて、あまりにも変な存在すぎて、きっとパートに応募しても雇ってもらえなかったのだと思う。

 毎晩リビングで父とミクちゃんは喧嘩した。喧嘩というよりは、ミクちゃんが怒って、父がなだめる日々が続いた。父はとっても優しいけれど、人をちゃんと叱ったり、人に対して怒ったりすることができない人だった。(私も、ミクちゃんに怒られたことは何回かあるけど、父に怒られたことなど一度もない。)父はミクちゃんの機嫌をとることばかりしていた。このころから、ミクちゃんは笑顔の回数よりため息の回数の方が多くなった。父とミクちゃんが喧嘩を重ねるたびに、私を見るミクちゃんの目が冷たく暗くなっていった。



 ミクちゃんは家事をしなくなった。一日中お菓子を食べて、コーラを飲んで、パチンコ屋がお休みの日はゲームキューブやプレステ2で遊んでいた。ミクちゃんは特にドラゴンクエストが好きだった。主人公の勇者の名前を「みく」にしていた。決して私にはゲームにさわらせてくれなかった。

 ミクちゃんは私に背を向けて、セブンスターをバカスカ吸いながら、ただテレビに向かってドラクエをしていた。ミクちゃんはあんまりゲームがうまくなかった。いつもパーティの誰かが敵にやられてHPがゼロになり、棺桶を引きずってマップを歩いていた。私はそのゲームの画面を黙って見ていた。私からミクちゃんに話しかけることもなくなっていた。

 そして、ミクちゃんは私のご飯をあまり作らなくなった。ミクちゃんは、自分の分だけ何かお惣菜を買ってきて食べていた。お惣菜のゴミが散乱する部屋のなかで、私は居心地の悪さを感じていた。

 残念ながら私も出来の良い子供じゃなかったので、「ミクちゃんの代わりに家事をするぞ!」なんて殊勝な考えは全く思いつかず、ただミクちゃんから逃げるように近くの祖父母の家に遊びにいった。



 ミクちゃんは、私の祖母がこつこつ貯めていた私へのささやかな学資貯金も全てパチンコにつぎ込んだ。祖母が大層怒っていた。私はそれを知ってとてもショックだった。私は家に帰らない日が増えた。祖父母の家で寝泊りすることが多くなった。とにかくミクちゃんに会いたくなかった。単純な思考しかできない私にとって、もはやミクちゃんは他人であり、悪だった。


 そんな生活が続いたある日、珍しくミクちゃんと父と私の三人で外食することになった。その時ミクちゃんは少し機嫌が悪かった。父がなんとかなだめて、マンションの近くのファミレスで一緒にご飯を食べた。
 食事中、なんとなく重い空気が流れるテーブルで、父はミクちゃんのご機嫌を取るようにへらへらしながら言った。

「最近パチンコどう? 勝ってる?」

 無言でタバコを吸っていたミクちゃんは少し笑って、自らの戦績について語り出した。私は父のその一言でなんだか気持ちが萎えてしまって、もう何も食べる気にならなくなっていた。

 ミクちゃんが祖母の貯金を使い込んでパチンコをしているのはお父さんも知ってるはずなのに、どうしてそんなことを私の前でへらへらと聞くのだろうか、と苛立った。父は、ミクちゃんとの寄り添い方を間違えているのではないか? 私はもやもやした気持ちでいっぱいになったお腹の中に無理やりデザートのパフェを詰め込んで、吐きそうになりながらマンションに帰ったことをよく覚えている。



 そんな状況の中、私は秋に十歳の誕生日を迎えた。ミクちゃんは私の誕生日を覚えていて、ケーキと手紙を用意してくれた。誕生日のプレゼントもきっと何かもらったのだろうけど、何をもらったのかはさっぱり覚えていない。ミクちゃんからもらった手紙には、ケーキのイラストとHAPPY BIRTHDAYの文字が鮮やかに描かれていた。手紙の中央に「あなたの誕生日をずっと一緒にお祝いしようね」と、ミクちゃんの綺麗な字で書いてあった。でも私はわかっていた。ミクちゃんと過ごす誕生日はもう二度とこないことを、なんとなく感じ取っていた。


 そしてその直感通り、ミクちゃんと一緒に祝う誕生日は、この年一回きりとなった。父とミクちゃんは、結婚して一年もたたないうちに離婚した。ミクちゃんは京都に帰ることになった。

 ミクちゃんと最後にあったのはいつだろうか。お別れの挨拶をした記憶はない。全く覚えていない。父とミクちゃんが離婚した後、ミクちゃんから私の携帯電話にメールが届いたことは覚えている。とても長い文章だった。内容をかいつまんで言えば、ミクちゃんは私(筆者)のことが大好きだったということ、離婚はミクちゃんと父の問題であり、私のせいではないから、責任を感じることはないということ、今までありがとう、といった内容だったと記憶している。こうして、ミクちゃんとの生活はあっけなく終わった。


 その後、私はあまりミクちゃんのことを思い出すことはなかった。でも、ついこの間二十五歳の誕生日を迎えた時、ふとミクちゃんのことを思い出した。

 私は今、あのときのミクちゃんと同じ二十五歳になった。私が小学四年生の時に考えていた「一般的な二十五歳女性」は、なんでもそつなくできて、立派な大人だという印象だった。「ミクちゃんは二十五歳の大人なのに、なんでもっとちゃんとできないの?」と思っていた。

 でも今、私自身が二十五歳になってみて思うのは、ただ歳ばかり無駄に食っただけじゃ、立派な大人になれないということだ。実際に二十五歳の私はまだ幼稚な子供のままの心を隠そうとして隠しきれなくて、人生さっぱりうまくいかないことばかりで、ただ漠然となにかに焦っているばかりの無為な毎日を送っている。

 二十五歳のそんな現実を知った私は、あのときのミクちゃんにふと思いを馳せる。あのときのミクちゃんは、いくら好きな人の子どもとはいえ、血のつながりもないただの他人でしかない子どもを、一から育てる覚悟をもって、父と結婚した。今の私にそんな人生の選択ができるのか? 間違いなくできないだろう。私なら、躊躇して逃げ出してそれで終わりだ。

 でもミクちゃんは私と向き合おうとした。きっといろいろ悩んで、考えて……ミクちゃんはその末に私を育てる決断をしてくれた。残念ながら結果はよくなかったけれど、私はあのときのミクちゃんの決断に心からありがとうと言いたい。今、四十一歳になったミクちゃんが日本のどこかで幸せに暮らしていることを心から願いつつ、あのころの感謝を伝えて、この文章を終わりにする。



 ミクちゃんとのお別れの時ーーさっぱり覚えてないけど、きっと気の利かない私はミクちゃんにありがとうも言えてなかったと思う。なんなら別に、そんなこと言う必要もないと思ってたんじゃないかな。
 でも、私が二十五歳になった今なら素直に言える。ミクちゃん、苦労かけてごめんね。その節は本当にありがとうございました。絶対幸せでいてくれよな。




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