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おわりに〜人生という箱に何をつめたいか


キャリア迷子のまま母となり、

家庭と仕事の両立に悩んだのが8年前。


いまでこそ、「つらい」と思うことはなくなりました。


もちろん、日々悩んだり、悔やんだり、

試行錯誤の連続ではあるけれど。


それでもあの頃みたいに

「自分がどうなりたいのか分からない」

「いまの自分にも、未来の自分にも、自信がない」

「妻・母としても、もっとちゃんとしなきゃ」

常に切羽詰まった気持ちが心の片隅にあるような、つらさは感じない。


どうしてそうなったのかなと振り返ると、


(1)圧倒的な自己理解

(2)家事育児の戦力確保

(3)キャリアニーズの可視化


この3つが、うまく回り始めたからかもしれません。



(1)圧倒的な自己理解

自分のことをなんとなく分かったつもりでいたり、逆に漠然としか把握できていないと、

「こうなりたい」「これを大事にしたい」という本当の気持ちに、いつまでもたどり着けません。


いずれ軌道修正することになってもいいので、

「いまの自分は、こうしていきたい」という理想像みたいなものを、バチッと言語化して、

できれば家族や友人、キャリアコンサルタントなど複数の人に話してみることで、

それがまた鏡のように自分を見つめる機会となり、

自分自身を「圧倒的に」分かっていくことができます。


私も、数年前に一度、

「圧倒的な自己理解」に辿り着いた実感を持てたことを境に、

それ以降は「ありたい姿に、なり続ける」努力をするだけでよくなり、

めちゃくちゃ楽になりました。


ただし、予期しないライフイベントが押し寄せたときには、

もう一度、棚卸しが必要になるんだろうなと感じていますが、いまはまだそのときではなさそうです。



(2)家事育児の戦力確保

妻として、母として、と役割が増えると

必然的に、自分のこと以外に時間や労力を割く割合が増えていくことになります。


体力も時間も有限です。何に何%費やすか、

総数ではなく割合で捉えたほうが分かりやすいように思います。


キャリア迷子のまま母となった私は、

つまり自己理解が不十分なまま、人生において果たすべき役割が増えたために

混乱状態に陥っていましたが、

(1)圧倒的な自己理解 を進めつつ、家事育児にかかる時間や労力を

どう賄っていくか、いろんなことを試しました。


最初は、家事代行やシッターさんの活用などの

いわゆる「アウトソーシング」に罪悪感があって、

自分でやろうと思えばやれるのに、贅沢だなと思っていましたが、

自分でやることと、家庭の外から力を借りることの線引きがうまくできてくると罪悪感もなくなり、

そこにお金をかけてもいいのかどうかなどを家族で話し合うことで、何に困っているかなどの対話も進み、

家庭内の「家事シェア」も自然とできるようになってきました。


こうして、「女性である自分がしっかりやらねば」という性別役割意識から、自分自身が解放されて行ったことで、

精神的なゆとりも生まれてきました。


そして、最初から狙っていたわけではないけれど、実は、

「アウトソーシング」としてお力をお借りした方々は、いまでは家庭の一員のような存在になっています。

月1回のペースでハウスクリーニングを丁寧にしてくれる、フィリピン人のMさん。

大学生の頃からシッターをしてくれて、いまでは彼氏さんも一緒に、定期的にご飯に行くようになったOさん。

子どものこともすごく可愛がってくれて、本当にありがたいです。


最近のことですが、「リセッターリスト®︎」の1DAY レッスンを受講しました。

家庭の状況に応じて、家事を最適化する、一生モノのスキルが身につきそうなので、近く本講座を受講してみたいなと思っています。



(3)キャリアニーズの可視化

「ありたい姿に、なり続ける」努力をするためには、

そのために何に注力するべきかを明確にする必要があります。


私は、インプットしたいのか、アウトプットしたいのか、という軸と

それを短期的に集中してやりたたいのか、中長期的に腰を据えて取り組みたいのかという時間軸、

4象限で「自己実現のためにやりたいこと」を整理するようにしています。


インプットでいえば、勉強や講座受講、資格取得のこともあるし、

アウトプットでいえば、成果を発信する、人に伝える、本を書く、副業する、事業を起こすといったこともあるし、

ほかにも示唆に富む人との出会い、ボランティア活動などのような

「仕事に直結しない」活動であることもあります。



それらは、すぐに何らかの成果物や収入につながることじゃなくとも、とても重要です。

キャリアとは、職業や肩書きなどを指すのではなく、

「歩いてきた道」「人生そのもの」であるからです。



そして、家族としてのキャリアを考えるためには、

ここで紹介した3つのことについて、

自分はどうか、だけじゃなく、家族はどうか、という視点でも、

自分ごとのように考え合う、情報を提供し合う、傾聴し合うなどの

互恵的なやり取りが大切だと考えています。


ただしこれは、正直なところ、

手間や労力が増えることは間違いないです。


でも、

そうした営みから得られる幸せは、とても大きい。


かつ、家族が自分を写す鏡にもなり、

苦しいときには羽を休めるシェルターにもなる。安心感もあるはずです。


だからこそ、長い人生を通して、

豊かな気持ちで過ごせる時間や、笑顔でいられる家庭体験を、増やしていけるのだと感じています。


要は、「人生という箱に何をつめたいのか」。


私は、人生が終わるその瞬間までに、

幸せな思い出や、笑顔でいられた時間を、たくさんつめていきたい。


誰かと競って勝ったとか、自分が幸せだと感じる以上の大きな富を得たとかじゃなく、

自分と家族が幸せに生きることができるからこそ、周りや世の中にも優しくできる、地球によい行動を取っていける、

そういうことに価値を見出して生きていきたい。


今年のご祈祷は、「家内安全」としました。

「家庭の幸せは、世界の平和につながる」

と同行させていただいた知人の言葉も、忘れられません。



みなさんは、人生という箱に何をつめたいでしょうか。



「マイ ファミリーキャリア ストーリー」はいったんこの回でおしまいですが、

これからもファミリーキャリアをテーマに、さまざま投稿していきますので、引き続きよろしくお願いいたします。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。








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