最近の記事

fula エッセイ(81)

手帳に書いていた日記をやめました。手帳も捨てた。 人生で一度も、1年間使い切ったことがないんですよね、手帳。 手帳に憧れるだけで、買わずにいたらどれだけ節約できたことか。 わたしの手帳が続かない理由は、 ①予定がない ②書き留めたい過去が多くない ③書き留めた過去を振り返るのがつらかった ④書き始めるときに体裁をどうしようか異常な執着がある ⑤④がうまくいかないとやめたくなる ⑥埋まらないフリーページにもストレスを感じる まとめると、怠惰なくせに几帳面。 めんどくさがり

    • fula エッセイ(80)

      先日のポストにいいね・返信がついて驚きました。 読者が目に見えたからこそ、モチベーションって湧くものなんだなと。 壁に向かって話しかけ続けるにも限界があり、 やはり、人間は双方向のコミュニケーションを期待してしまうのかもしれない。 今から、あまりにもしょうもないことを皆さんと共有したく思います。 最近、コインケースに小銭を詰めることが楽しいです。 ダイソーで買ってきたこのコインケースに小銭を詰め始めました。 500円、50円、5円がなかなか貯まらない。 100円はもう詰

      • fula エッセイ(79)

        エッセイとして書きたいことは色々あったのですが、 なかなか重い腰が上がらず、 重い腰を上げる前にYouTubeなんかを観てしまったりして、 いつの間にかこんなに放置してしまっていました。 色々あったことをダイジェストで振り返ります。 まずは、ALTの先生と知り合いました。 なんとラインを交換し、一緒に食事するまで! しかし、わたしは仲良くなれるのか、正直心配でした。 一緒に食事をするまでは、集団の中のひとりとして 少し話しては違うところへ離れていく。 そのような接点しか

        • fula エッセイ(78)

          定期的に訪れる波を受け止めるものの、 受け止めるにはあまりにも苦しくて、 誰にもわからないところへ逃げてしまいたくなる。 現在、コメダに長時間居座りながら生きるのに絶望している。 田舎なので長時間居座っていても空席はあります。 ちょくちょく飲み物を注文しながら。 周りのみんなについていけない焦り。 わたしをどうしても周りに合わせられないもどかしさ。 しかしこのままのわたしでは限界がきてしまいそうな予感。 こう文字に起こしてみると、苦しみは増すばかりだな。 人によって見せ

        fula エッセイ(81)

          fula エッセイ(77)

          コンプライアンス意識を持って行動するために、あなたはどのようなことを取り組もうと考えていますか? 「教員は生徒に対して権力を持っている」この構造を意識することから始まるのではないかと考えています。学校教育法でもあるように、校長および教員は生徒に対して懲戒を加えることが可能で、逆は不可能だからです。 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。 (学校教育

          fula エッセイ(77)

          fula エッセイ(76)

          自分自身の人権意識を高めるためにしていることは何ですか? まず、「差別はしてはならないことである」という認識を忘れないようにしています。 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 (日本国憲法第14条より) 生まれもったもの、それらをもってある属性を排除することは、たとえ「区別」と強調しようともそれは「差別」である、ということはときに忘れられてしまいがちです。 外国人や障がい者

          fula エッセイ(76)

          fula エッセイ(75)

          先日、教員採用試験の一次試験を受けてきました。 そして今日、一次試験の合格者が発表されて、 わたしの受験番号が載っていました。 とりあえず二次試験の準備をしなければいけないけど、 気持ちは非常に複雑。 とにかくわたしは親不孝者で、 大学を卒業しておきながら不安定な職場のもとで働いているせいで、 親にとても心配されています。 親、まあ父に限るんですけど。 「やりたいことをやってほしい」と言うくせに 「先生の仕事はどうか」「公務員の募集をしている」 「やりたいことないのか

          fula エッセイ(75)

          fula エッセイ(74)

          3人しかいない職場なのに2対1で孤立してしまった。 わたしのせいでもある。 常に上司のことを疑っていたせいで、 正しいことを言う上司にも疑いをぶつけてしまった。 それが積み重なった結果なのだろうか。 上司はもうわたしと関わろうとしない。 つまり、わたしにはもう居場所がない。 仕事辞めたい。 制作物の納品や備品の買い出しを 仲良く2人で出掛けていく。 そのことにジェラシーを覚えているわけではなく、 1人でのびのびと作業ができることに楽しみを感じるほうだが、 わたしの、

          fula エッセイ(74)

          fula エッセイ(73)

          わたしはBL愛好家でして、 (BLとは、Boys Loveの略。男性同士の恋愛を中心的テーマとして扱った物語のジャンルを指します。) BLの漫画、小説、アニメ、ドラマなどを好んで消費しています。 今日のBL市場はとんでもなく拡大していて、 網羅することはほぼ不可能です。 今夜もBL漫画を読んでいたわたしですが、 よく遭遇する、そしてモヤモヤさせられる描写がありまして。 「男が好きなの?」 「いや、そういうわけじゃなくて、お前だから好きになったんだよ。」 (わたしが作成し

          fula エッセイ(73)

          fula エッセイ(72)

          実は、エッセイとは別に 紙のスケジュール帳にひとこと日記を書き始めました。 ダメなタイプの几帳面で、 1月1日から始めたかったので、 順調に埋まってたんですけど、、、 エッセイも更新しようとなれば時間が喰われちゃうなあ、 書きたいけど疲れたし寝てしまいたい! という誘惑に負けてしまって、、、 現在日曜から埋まってません。 無理やり埋めて挽回します。 今週色んなことあったのでね。 ただその日記は個人名たくさん出てくるので みなさんには見せられないものになってますが。

          fula エッセイ(72)

          fula エッセイ(71)

          最近、楽しいことがあると、 通勤途中にある橋から飛び降りることを考えてしまう。 深夜だから、見つかるのは朝かな。 スマホは見られたくないものもたくさんあるので 一緒に沈んでもらおう。 わたしの部屋にあるものの中には、 見せたくないものがたくさんあったな。 まあそれはどうでもいいや。 死んだら恥の感情もなくなってしまうのでね。 みんな悲しむかな。 おじいちゃんが亡くなったとき、ものすごく悲しかったけど、 わたしは今では笑って友だちと遊んできたんだから、 わたしが死んでもそんなも

          fula エッセイ(71)

          fula エッセイ(70)

          友だちのいるところへ向かっています。 始発に揺られながら(なかなか長時間) 書いているところです。 今日もDMのリアクションをしてみようかなと思います。 わたしと同じく寂しさを感じている方からです。 その方は寂しさから婚活を始めたそうです。 わたしたちは、ふと大きな社会に飲み込まれてしまうせいで、 異性愛規範、婚姻制度、家父長制、モノガミーなどを 限られた可能性を心の中に宿してしまい、 マッチングアプリや婚活に走りたくなります。 純粋にわたしの中から自然と生まれる気持

          fula エッセイ(70)

          fula エッセイ(69)

          さっそくDMをいただきました。 ありがとうございます。 いまエッセイを書いている時間(1/20 14:45頃) わたしは急遽この日、 16時出勤から9時出勤に変更を言い渡され、 眠気とともに出勤したのはいいんですけど、 やることなしの放置プレイ。 9時から今まで大した仕事してません。 暇すぎてエッセイ書こうと思いました。 それはさておき。 フラでお会いしたことある方です。 3ヶ月前に管理職となられたそうで。 おめでとうございます。 おめでとうございます、なのかな?

          fula エッセイ(69)

          fula エッセイ(68)

          捻くれ者なだけでしょうが。 二十歳を祝う会で振袖を着ている人たちを見ていると、 「ああ、良い人生歩んでるなあ」 と思い込んでしまって、 私は深く落ち込んでしまう。 妬みがすごい。 振袖を着ている人たちを見て 「良い人生歩んでる」と思ってしまうのは何故なのだろうか。 それほどに、私の見えている世界は、 ある一つの価値観が、メジャーな生き方が大きく据えていて、 それにそぐわない生き方をした瞬間に 私の自己肯定感はすぐさま消え失せてしまう。 ひとりひとり、細かい部分まで見

          fula エッセイ(68)

          fula エッセイ(67)

          わたしはほんとうに影響を受けやすく、 お気に入りの小説の舞台となっている土地に いつか住みたいとぼんやり考えている。 思い詰めていたときに通っていた公園。 告白の場となった神社。 3年間過ごした学校。 近所の花屋。 時代は全く違えど、 ほんのりとその物語の匂いがして、 とてもワクワクする場所。 そう、わたしの頭の中は、 フィクションと現実の区別がとても曖昧になっていて、 それは危険な状態とも言える。 フィクションという一種の想像を、 現実という変えがたいものに押しつけ

          fula エッセイ(67)

          fula エッセイ(66)

          映画『バービー』を観ました。 わたしの住んでるところの近くに 映画館は一つしかなくて、 しかもだいぶ厳選されてしまっているので 『バービー』は上映されていませんでした。 なのでU-NEXTで観ることになりまして。 ただ、映画館で観れないとなると、 観たいな〜という熱量はすぐさま消え失せてしまうもので、 たまたまU-NEXTの一覧で目についたから観よう、 という、そんな積極的でない感じになってしまうのね。 「バービー」は今、たくさんの種類があることが知られています。 この

          fula エッセイ(66)