食の哲学と対話の可能性
某レストランにて
『私、実は今、糖質制限しててー』と、
頼んだパスタの麺を全て残している人を
見かけた。
激しい憤りというか嫌悪感というか
『いや、ならパスタ頼むなよって』
まぁ、今後関わる人とかではないので
そっと離れればいいのだけど
宗教的に?思想的に?哲学的に?
やっぱ気になるというか、なんというか。
思想信条として
“食べ物を残す”という行為が許せない。
それは、あくまで心理的なもので
即物的なデメリットがあるわけではないけど。
その行為はいろんなものへの礼を逸している、と思う。
・食べ物そのもの(命)に対して
・生産者、料理人に対して
・絶対的貧困にある人々に対して
(殊更アフリカの貧困を想起せずとも隣にいるホームレスをみればよい)
別に失礼な行為をしたからといって、
世界の食糧問題が解決されるわけでもないし、
食べられる命が喜ぶとかそんなこともないだろう。ただ、それは礼を逸している。
私はそういったものへの“礼”を大切にしている。優先している。そういう話だ。
思ったより多く出てきて食べられなかった
とかではないのだ。
糖質制限してるから食べない。
これはコントロールが効く話だ。
そもそもパスタ屋なんか選ばなければいいし、
パスタ以外の料理を頼めばいい(出されたメニューにパスタしかなかったとしても、何かしら対応してもらえないか聞けばいい)。
誰かに連れてきてもらったとして、その人にたいして気を遣って、みたいな理由だったとしても、上記の“礼”よりも、そちらを優先しているということが私にはやはり理解できない。
命に対する価値観・哲学が圧倒的に異なる。
しかしまぁ、世界は異なる価値観・哲学を持つ人間で構成されてるし、異なる人を排除しようとか、強制しようとか、そういうつもりはない。その存在そのものを否定しないし、そういう世界の仕組みも否定しない。
今回のケースで言えば、今後関わるような人ではないので別に問題はない。
仮に、その人が今後、関わっていく人だったら?(仕事なりプライベートなり)
まずは対話するしかないと思う。
お互いの根底にある価値観・哲学を伝え、知り、理解する。
その上で、影響を与え合い、そこで生じることに身を委ねる。どうしようもなければ離れる。
食に関わらず、多くのことはそういうことだと思っている。
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