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私の好きな「パソコンとそろばんと数学」

 「そろばんと数学とパソコン」が私の好きなものです。
 そして子供のころからの好奇心と、この「好きなもの」が私の人生の窮地を何度も救ってくれました。
 この記事では「今、何をしたいか分からない」と迷っている方へ、私の経験から前向き生きるためのヒントをお伝えできればと思います。

好奇心旺盛、習い事好きの幼少全盛

 1970年の高度成長期の時代、読み書きがあまり出来ない両親のもと、TVが私の学びの原点でした。テレビに映るものの中から興味があるものを買ってもらい、一人遊びで大人しく過ごす毎日を過ごします。

 幼稚園の時に一度、テレビCMの影響でオルガンを始めましたが、小学生になると、近所のソロバン教室に興味が移り、私の習い事はオルガンからそろばんに変わりました。
 
そろばんは同級生より早く級が進み、高得点や賞を取るにつれて、どんどん夢中になりました。「1級を取るまで止めない」と決めて、実際にその目標を達成することもできました。
 ただ、級が進むにつれて授業の時間が遅くなり、夜に通うことを親に反対されたため、「そろばんの先生になる」ための段を取ることが出来ませんでした。

TVとPCが友達の一人っ子

 私はそろばんをきっかけに算数が好きになり、「学習のかがく」を中心に、通信教材や漫画、色々なジャンルをTVで見る毎日を過ごしていました。

一方で、そろばんの級をもっと進めたくとも、親の反対で教室を辞め、悶々としていた時に出会ったのがマイコン「NEC PC-6001」でした。

TVにマイコンを繋げBasicを入力するも、丸を描くのもゆっくりだった当時の私は、すぐに飽きて従弟に譲りました。後に従弟はコンピュータにハマり、コンピュータ会社に就職して、今では部長になっています。

理系女子の夢

中学で算数から数学へと変わって方程式や関数が楽しくなると、授業中に予習をするほどどんどん先に進み、テスト前は同級生に教えるほどの好きになりました。「中学の数学の先生になりたい」と思いはじめ、大学進学も考えて、参考書と通信教育で数学ばかり勉強していました。
 
社会人になってからの武器

大好きな数学は、就職・転職・シングルマザーという人生の節目でも救いとなりました。特にバブル崩壊後の地方は求人がなく、加えてシングルマザーになった私にとって、自分から積極的に活動するための武器なったのです。

シングルマザーとして働く

 養育費のないシングルマザー生活。就職活動時は子供が小さく、預かる親がいても断られることがほとんどでした。幸いにも国の政策「IT講習会」があったため、パソコン講師のアルバイトとして働くことができ、それから中学数学補助教員、その後は塾講師・家庭教師として、15年間もの働くことになります。

塾講師・家庭教師のやりがい

 中学生の時に抱いた「中学数学の先生になりたい」という夢は、高校卒業と両親の定年が重なったため大学進学が叶わず、断念していました。
 しかし、大卒・教員免許がなくとも国の政策と地元の中学校のおかげで補助教員となることができました。そして「社会経験や人生の失敗談が生徒の為になる」という前職の塾長の言葉の通り、塾では高校受験をメインに数学が苦手な受験生を毎年担当してきました。

インターネットとSNSの登場

 一時パソコンを離れることもありましたが、ワープロが電話回線とつながり、データ通信ができて、さらに携帯電話の登場でネットの世界が広がるにつれ、好奇心旺盛な私は再びパソコンを購入して、色々なことをやり始めました。
 インターネットを利用した活動が増える反面、詐欺に引っかかることやコンピュータウイルスなどのトラブルなど、ネット独自の問題にぶつかり、ネット社会のメリット・デメリットも数多く体験してきました。
 
文字でのやりとりから、動画・ライブと通信環境がどんどん発展に合わせ、私の活動の幅も広がり、小さい頃からの「近くに温泉がある街に住む」という夢はネットで福島と縁を繋げました。

福島県郡山市へ、2度の移住

 実はネットで就職活動をしていたところ、福島の塾に就職して移住するも、営業で上手くいかずにクビになってしまった経験があります。
 しかしその後、それまでの経験から家庭教師のアルバイトに採用され、あちこちに出向くことになりました。
 当時小学高学年になっていた年子の息子たちは、近所のご協力のおかげで私が留守の間も見守っていただき、お陰様で安心して仕事をすることができました。福島県の人の優しさに感激した経験です。
 
 その後も転職のため一旦福島を離れることがありましたが、シングルマザーで元気に生活できたのは両親と生徒を含めて今まで出会った人、気仙沼で中学補助教員と塾の経験が私をずっと支え続けました。

鷲谷恭子さんとの出会い

 実は20代からずっと起業を考えていたこともあり、情報収集やSNS集客に挑戦していました。郡山市に戻ってまもなく、三部香奈さんという地元でご活躍の女性が主宰する「地域クラウド交流会」で出会ったのが、鷲谷恭子さんです。
 子育て最中の女性を活かす会社を立ち上げるという鷲谷さんの想いに賛同し、その後設立された『株式会社ケイリーパートナーズ』で、私もあらゆることに挑戦しながら楽しく仕事をしています。
 
最後に

 そろばん、数学、パソコンと、私の好きなことがこれまでの人生を助けてくれたように、“好きなことを続ける”ということは、ご縁と明るい世界をもたらしてくれます
 この記事が少しでも読んでくださった方の人生を後押しし、前向きに進むための一歩を応援できましたら幸いです。

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