見出し画像

[書評]椹木野衣『反アート入門』

椹木野衣は逆説の美術評論家である。主著『日本・現代・美術』で日本の戦後美術の特質を「悪い場所」という非歴史的な円環構造に求めたが、同書はいま、戦後美術を総括した数少ない歴史書として読まれている。非歴史性を訴えながらも歴史を体現せざるを得ないという逆説。この自己矛盾を一身に抱え込んでいるのが、椹木野衣その人だ。

新刊『反アート入門』も、同じく逆説に満ちている。挑発的な書名とは裏腹に、本書は絶好のアート入門書になっているからだ。まず本書の全体は口語体で記述されているため、たいへん読みやすい。美術批評といえば、拙い文章力をレトリックで誤魔化して読者を煙に巻きがちだが、本書には講義を聴いているかのような臨場感と明快さがある。親しみやすい話し言葉で読者を芸術の世界に誘い込み、話芸を次から次へと淀みなく浴びせることによって、いつのまにか芸術の根幹へと導くやり方が、岡本太郎を念頭に置いていることは明らかだ。芸術に無関心な人を相手に膝を交えて語り合おうとした『今日の芸術』と同じような間口の広さは、従来の美術批評ではありえなかった本書ならではの特徴である。

美術批評だけではない。本書は美術史から疎外されてきた読者も貪欲に取り込もうとしている。美術史の専門書は特定の時代の細かい知識を教えることはあっても、それらと現在との接続面を詳らかにすることは少ない。歴史の通時的な流れをまとめた教科書の類にしても、何百年も昔の造形を執拗に解説する反面、あたかも戦後は歴史ではないかのように、現在に近づくにつれて記述は浅薄になっていく。美術史と現在が明確に切り離されているから、現在のアートの歴史的な由来をたどることが著しく困難にさせられているわけだ。「悪い場所」ならではともいうべき、この悪しき切断を見事に縫合してみせたのが、本書である。ヨーロッパで生まれ、その後アメリカで発展した近代美術の流れを、椹木は神の死と市民の誕生として大きくとらえたうえで、抽象表現主義からミニマリズム、アースワーク、そしてポップアートへといたるモダニズムの展開をていねいに浮き彫りにしていく。しかも、その歴史を市場や貨幣経済、美術館や美術評論などの具体的で今日的なテーマに重ねて論じているため、読者は歴史と現在を同一の視点でとらえることができるのである。美術史の致命的な欠陥を的確に補うという点に、本書の第二の特徴がある。

このように現在の「美術」を組織する美術批評と美術史という2つの構成要素を相対化する椹木の手並みは鮮やかであり、かつ周到だ。芸術といえば印象派や奈良美智しか連想しない大衆や、美術の普遍的な価値や永遠性をいまだに信奉してやまない美術家の狭い視界を、本書はそれぞれ大きく切り開くにちがいない。これまでの美術批評と美術史のおびただしい成果を見渡してみても、本書ほどの世俗性と専門性を兼ね備えた入門書が見当たらないことを思えば、やや大袈裟かもしれないが、本書は芸術的なものに関心を注ぐすべての人びとにとっての必読書であるといってもいい。

とはいえ、難点がないわけではない。椹木が本書の後半で提起している、21世紀にふさわしい新しい芸術のヴィジョンは、いささか抽象的であり、具体性に乏しい。個別の人間の価値を超え出る普遍性にもとづいていた芸術概念が破綻をきたした現状にたいして、椹木は人間の存在を礎とした「人間と一対の概念としての芸術」が必要だという。それが、たとえば現在の美術制度の中枢を牛耳る日本型のモダニズムや、80年代の脱現代美術の動向に端を発する現代アートの展開をまるでフォローできていない日本の公立美術館へのアンチテーゼとして打ち出されていることは首肯できるにしても、それではいったいその新しい芸術とはどのようなかたちをなしているのかという点については、判然としない。

わたしから見ると、その新しい芸術とは、かつて鶴見俊輔が唱えた「限界芸術」という古来から連綿と続く原始的な芸術を指しているとしか思えないのだが、椹木は柳宗悦らによる民藝運動に言及するものの、論旨の力点はむしろハイデッガーがいう「隠れ・なさ」に置かれており、結局のところ従来の芸術哲学の文脈から少しも跳躍しないところが、なんとも歯がゆい。鶴見が純粋芸術でもなく大衆芸術でもなく、しかしどちらにもなりうるような第三項としての限界芸術を提起したように、既存の芸術を思い切って踏み外さない限り、新しい芸術を手にすることなど到底叶わいのではないだろうか。

かつて美術評論家の石子順造は、椹木と同じように近代芸術の隘路を目前にして、美術から民衆芸術や大衆芸術へと批評的な焦点を切り換えた。それは石子の関心が他のジャンルに転移していったというより、むしろ新たな芸術のありようを模索するために、まず逆説を可能にする「正」と「反」のねじれた関係から積極的に離脱することによって、その関係性に巻き込まれた自らを相対化しようとしたのではなかったか。

「反」の立場は「正」のそれを批判すると同時に、そのことによって「正」の再生産に貢献してしまうという逆説の論理。本書はそれに乗るかたちで上梓された、これまでにないほど「正しい」アートの入門書である。だが、言い換えれば、本書はさほど「悪くはない」ということであり、それが明らかになってしまった以上、椹木がこれまで依拠してきた逆説という批評的な立場は、いまやその役目を終えてしまったと見るべきである。芸術の廃棄を言葉で訴えるだけではなく、それに向けて批評的に実践していく時代がついにはじまった。そのためには、本書で記述された現代美術の歴史を、より広範な表現史として書き換えながら解きほぐしていくことが出発点となるだろう。

初出:「図書新聞」2984号(2010年10月2日)

#椹木野衣 #反アート入門 #書評 #美術 #アート #福住廉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?