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東京に出現した手作りのアートセンター──「3331 Arts Chiyoda」のスタート

先ごろ、東京の中心に新たなアートセンターが誕生した。その名も、「3331 Arts Chiyoda(アーツ千代田3331)」。場所は秋葉原や上野御徒町、神田明神などに囲まれた、旧練成中学校。都心の空洞化に伴う人口減のため、2005年に廃校になった公立中学校を丸ごとリノベーションしたアートセンターだ。延べ床面積約7200平行メートルを超える館内には、ホワイトキューブのギャラリースペースをはじめ、容量の大きな体育館を活用した3331ホール、ラウンジや会議室、カフェなどがそろい、さらに教室にはコマーシャル・ギャラリーやデザイン事務所などが入居、そのうえ作品制作のためのスタジオまで完備している。この3月にプレオープン、6月にグランドオープンを迎え、すでに多方面から注目を集めているが、ここではこの生まれたばかりのアートセンターの途中経過をレポートしたい。

廃校のリノベーション

廃校をリノベーションしたアートセンターそのものは、決して珍しくはない。都市を舞台にした美術展の先駆的存在として知られる「ミュージアム・シティ・福岡」(1990~2000)は、とくに後期になると、福岡市内の旧御供所(ごくしょ)小学校を展示会場および事務局として有効に活用していたし、毎年「朝顔市」で賑わう入谷の旧坂本小学校は展覧会場として教室が貸し出されているほか、現在大規模な改装工事のため休館中の東京都美術館のリニューアル準備室が置かれている。ただし、こうした先行事例は、いずれもアートセンターとして持続的に活動するというより、義務教育に代わるソフトとしてのアートが一時的かつ部分的にハードとしての校舎に充填されるというのが実情のようだ。前者はその後ベンチャー企業のためのインキュベート施設としてしばらく使われていたが、今後は養護高校として生まれ変わるという。後者も今のところ貸し会場以上の機能は果たしていないようだ。学校としての役目を終えた施設をどのようにすれば文化的に活用できるのか。少子高齢化社会における地方自治体が目下のところ直面しているこの問題に、「アートセンター」はひとつの有効な回答を与えることが期待されている。

こうした先行事例と比べると、「3331 Arts Chiyoda」には二つの画期的な特徴がある。ひとつは、それが実に多彩な活動を繰り広げていること。企画展としては、「見るまえに跳べ」展[2010.3.14〜4.11]、佐々木耕成展[2010.4.23〜5.23]、そして現在も開催中のグランドオープン展[2010.6.26〜7.25]と、3月のプレオープン以来すでに三つの展覧会を催しているほか、入居団体によるイベントや展覧会、さらにはダンス公演など、これまでに主催事業だけで30以上にものぼる。レンタルスペースで行なわれたイベントなども含めると、その数はおよそ100になる。さらには、9月からはスクール事業の「ARTS FIELD TOKYO」がはじまる予定で、高等教育機関では望めない、領域横断的で実践的な教育プログラムが実施されるという。オルタナティヴなアートセンターとしてはすでに大きな実績を残している、横浜のBankART1929と同じように、「3331 Arts Chiyoda」もまた、展覧会を中心としながらも、各種のイベントや公演、ワークショップなど多様なプログラムを次々と打ち出すことによって、同時代のアートの現場を作り出そうとしているのである。公立美術館をはるかに凌ぐ、その量と速度こそ、オルタナティヴなアートセンターならではの醍醐味である。

もうひとつの特徴は、そのBankART1929とは異なる点として、「3331 Arts Chiyoda」が巨大なホワイトキューブを持っていること。従来の廃校をリノベーションしたアートセンターといえば、教室や図書室などに代表される、いわゆる「学校的な空間」をそのまま展示会場や事務所に転用したものが多い。誰もが通学した経験がある以上、それは幼少期の記憶を呼び起こしやすいという利点がある反面、作品を展示して鑑賞させる空間としては必ずしも好ましいとは言えない。鑑賞者の視線は黒板や机、教卓などの郷愁を誘うアイテムに次から次へと移ろうため、そこに設置された作品に集中することが難しいからだ。その記憶を喚起することを狙った作品であれば絶好の空間と言えるのかもしれないが、そうではない作品にとって学校は作品の存在すらかき消してしまいかねない、ひじょうにハードルの高い空間である。

これにたいして、「3331 Arts Chiyoda」が本格的なホワイトキューブを施工したことには大きな意味がある。外観は学校そのものであるし、内装のいたるところにはその面影が残されているが、1階の中央には床も天井も壁も白で統一されたホワイトキューブがある。照明を灯すと、その白さがよりいっそう際立つ。先ごろ催された「佐々木耕成展」では、色とりどりの抽象画を縦横無尽に展示することによって、真っ白い空間が色彩とかたちが入り乱れる抽象画を効果的に引き立てており、まさしくホワイトキューブならではの圧巻の展観だった。もちろん学校の建造物であるから天井はそれほど高くはない。とは言え、美術館を含めて東京近郊でこれだけの広さを誇るホワイトキューブを備えた施設はまずないのではないだろうか。近年の美術館は脱ホワイトキューブの傾向をますます強めているから、それだけいっそう「3331 Arts Chiyoda」のホワイトキューブは存在感を増している。剥き出しのコンクリートがそびえ立つBankART1929の展示空間[当時]が魅力的であることは間違いないが、「3331 Arts Chiyoda」はそれとは別の求心力を発揮しているのである。

アートセンターの「アート」とは?

しかし、こうしたオルタナティヴなアートセンターでもっとも注意深く見定めなければならないのは、そこでどのようなアートが見せられているのかという点だ。地域振興や町おこしといった行政上の目的を背景にして成立するアートセンターの場合、えてして地元住民との交流や市民に共感されやすいアートが歓迎されがちである。じっさい、「3331 Arts Chiyoda」が主催する展覧会のラインナップを見てみても、出品アーティストには日比野克彦や藤浩志など、いわゆる「交流系」のアーティストが名を連ねている反面、モノとしての作品を見せる現代美術のハードコアはあまり見受けられない。圧巻の抽象画を見せた「佐々木耕成展」は例外中の例外で、「3331 Arts Chiyoda」が提示しているアートはどちらかと言えば来場者の交流を促す作品が多いようだ。むろんアートセンターであろうと公立美術館であろうと、企画展を立ち上げるうえで地域住民の理解と支持を得ることが、いまや必要不可欠な条件であることに違いはない。けれども、そうした交流の先に豊かな文化体験が必ずしも約束されているとは限らないこともまた事実である。

この点について、「3331 Arts Chiyoda」の統括ディレクターであるアーティストの中村政人に尋ねた。中村の立場はきわめて明快だ。

「そもそも交流系とハードコアという区別をしていません。地域住民が交流系のアートを好むとは限らないし、抽象画を見せたほうが美術として受け入れられやすいという面もある。むしろ、いろんなアートを地域住民の人たちに見せていきたいという思いのほうが強いんです」

中村によれば、アート関係者が一枚岩ではないのと同じように、「地域住民」とて必ずしも均質であるわけではない。彼らは、代々この土地で生きてきた職人や通勤してくる会社員、子連れの母親であり、なかには美術館の元学芸員などもいる。地域住民が多様である以上、彼らに提供するアートも多様でなければならない。「3331 Arts Chiyoda」のアートが複数形で表記されているのは、そのような狙いが託されているからにほかならない。「たくさんの表現と出会える場所」、それが「3331 Arts Chiyoda」の基本的なコンセプトである。

そのための工夫は随所に隠されているが、なかでももっとも顕著なのが、館内へのアプローチの仕掛けである。「3331 Arts Chiyoda」のエントランスの前には、練成公園が広がっており、芝生と樹木で覆われたこの空間は憩いの場として機能している。館内に入るには、この公園を通り抜け、ウッドデッキの階段を上がらなければならないが、その動線がひじょうにスムーズで心地良いため、文字どおり「敷居が低い」。さらに館内に入ると、まず無料で立ち入ることができるコミュニティスペースがあり、周囲にはラウンジやカフェ、そしてその奥に進むとホワイトキューブのギャラリーが現われるという構成だ。つまり、公園/コミュニティスペース/ホワイトキューブという三段階のプロセスを経て、来場者を館内に招き寄せようとしているわけだ。多くのギャラリーが独特の近寄りがたい雰囲気をいまだに醸し出していることを考えれば、施工段階で構造化された「敷居の低さ」には、かなりの効果が期待される。

ただし、中村によれば、この三段階のプロセスは「3331 Arts Chiyoda」が提起する多種多様なアートのありように対応しているという。公園/コミュニティスペース/ホワイトキューブという三段階のプロセスはそれぞれ独立した局面としてではなく、相互に連結した連続体として考えられている。公園とコミュニティスペース、コミュニティスペースとホワイトキューブ、そしてホワイトキューブと公園。それぞれの通路を往来することができる作品が、少なくとも中村が現在念頭に置いている「3331 Arts Chiyoda」で見せようとしているアートの姿だ。したがって交流型のアートといえども、それはホワイトキューブにも展示できる強度が備わっている必要があるし、逆もまた然りである。こうしたアート観は、おそらく学校的な空間に作品を展示する以上に、作品を制作する側にたいして高いハードルを設けることになるのだろうが、それが高ければ高いほど、飛び越えた瞬間の美しさが際立つはずである。

DiYとしてのアートセンター

最後に、「3331 Arts Chiyoda」の大きな特徴に触れておきたい。それは、すべて自分たちでやる、という姿勢である。これは「3331 Arts Chiyoda」の前身として同じく中村を中心としたアーティスト・イニシアティブ「コマンドN」から受け継がれている一貫した構えであり、じっさい中村をはじめとする「3331 Arts Chiyoda」のスタッフは設計から法務関係、行政や地域との交渉など、アートセンターを立ち上げるうえで必要とされるすべての業務に関わっている。もちろん専門家との協同作業になるわけだが、それにしてもその作業は通常のアーティストの範疇をはるかに越えており、その膨大な労力は想像にあまる。けれども、中村は言う。

「自分たちでやらないと伝えたいことが伝わらないし、すべて自分たちでやれば、それだけ『現実』がよく見えるようになる。ギャラリーや美術館のシステムに乗っているだけでは『現実』はなかなか見えてこないんです」

「ザ・ギンブラート」「新宿少年アート」「秋葉原TV」「KANDADA(カンダダ)」など、これまで手掛けてきたアート・プロジェクトには必ずその地域の地名が入っているように、中村の関心はつねにアートが地域に何を返せるのかという点にあった。それを追究するには、地域という現実をよく見なければならないし、それにふさわしいアートの届け方を考えなければならない。そうした試行錯誤の結果として、アーティストがプロデューサーやコーディネーターの役割を担いながら手作りのアートセンターを現実化するに至ったのだろう。ここには、アーティストの超人的な働きぶりというより、むしろ個々の技術と職能を持ち寄ることで最大限のアートを可能にしようとする知恵がある。「3331 Arts Chiyoda」が今後どのようなアートを地域に根ざしていくのか、現段階ではまだよくわからない。ただ、それは地域住民や私たちがどのようなギフトをこの現場に持ち寄ることができるかに大きくかかっているように思われた。

初出:「artscape」2010年7月15日号

※上の3枚の写真は、いずれも「HOW TOKYO BIENNALE? 東京ビエンナーレ2020計画展」(3331 arts chiyoda、2019年10月12日~11月4日)より。

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