ハーバード見聞録(43)

「ハーバード見聞録」のいわれ
 本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。


今週は、前週の「山本五十六」【前段】に引き続き【中段】を掲載する。

【前段】で述べたとおり、私は山本五十六帝国海軍少佐に出会った。いや、正確に言えば、ハーバード大学のLAMONT図書館のアーカイブに所蔵されている「COMMITTEE ON ADMISSION」という表題の入学手続き書類にSPECIAL STUDENTとして入学するに際し記入した、山本少佐が薄めの鉛筆で書いた自筆の署名に出会うことが出来た。奇しくもその日は、真珠湾攻撃が行われた64回目の開戦記念日の05年12月7日のことだった。

不思議なことに、読み終わった後のある日の夜、山本元帥が元帥の階級章が付いた白い軍服で夢に現れ、「夢の中の会話」をした。元帥の御尊顔は開戦記念日に合わせて放映されたNHKの番組で見た連合艦隊指令長官時代の面影であった。私も、夢の中とは言え相当緊張したが、色々と質問を試みた。

元帥は快く、応じてくれた。

以下【中段】に引き続き、夢の中で会話の記憶に基づいた、山本五十六元帥との対談記録である。誤りや、問題があるとすれば、それは私の夢の記憶ゆえのことでありご容赦を頂きたい。
 
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筆者:当時のアメリカについて、元帥はどういう印象をもたれましたか。
 
元帥:僕としては、むしろ福山君自身のアメリカの印象について聞きたいところだが。福山君はスタンフォード大学に留学中の土井秀文さんから届いたアメリカの対日政策・日米関係に関する所見――「アメリカという国のやることは、実に戦略的で、腹黒く、狡猾であると同時に、ある種の無邪気な善意を帯びた面がある。その無邪気さはPaternalism(父親的温情主義・干渉)にも一脈通じるものがある」――がいたく気に入っているようだったね。更に、ボストンに来て以来「アメリカこそが日本に平和と繁栄をもたらす」と言う信念も固まりつつあるように見えるね。

私は、ハーバード在学中、新聞の精読、テキサスの油田地帯やデトロイトの自動車工場の視察などを通じアメリカの国力の凄さを実感したのは事実だ。

例えば石油の産出量が日本の150倍、自動車が年間200万台で日本の100倍だった。また、当時、日本女性は家に留まっていたが、アメリカ女性は外に出て働いていたよ。アメリカが本気になって軍艦や航空機などの生産に踏み切れば、日本などとても敵わないと思ったよ。

対米戦争迫る中で、私は斯界の人達に対して、「テキサスにどれだけの石油があるか知っているか」、「アメリカの造船所を見たか。いくらでも軍艦や空母を造る能力が有るぞ」、「米国人を軽佻浮薄の国民と見たら誤りだ、一端事があれば団結して愛国心を発揮するアメリカ人特有のスピリットを軽視すべきではない」、「日本の国力でアメリカ相手の戦争も建艦競争も勝ち抜けるものではない」などと、一生懸命啓蒙したものだったが、中々理解してもらえなかった。

日本にとって、不幸なことに、陸軍はエリートをドイツに派遣し、アメリカについて知っている高級将星は殆どいなかった。言うまでもないが、内閣総理大臣の東条英機さんも杉山陸軍参謀総長もアメリカについては殆ど知らなかった。

一方、アメリカは総力を上げて日本を研究し、日本人以上に日本の国力や日本人の性格などについて究めていたじゃないか。戦後出版されたルース・ベネディクトの「菊と刀」などは謂わば日本・日本人研究の副産物だ。

現在、君が在籍するハーバード大学のアジアセンター、ライシャワーセンター、フェアバンクセンターなどのアジア研究の様子を見ればアメリカの日本を含むアジア研究が如何に凄いかがわかるはずだ。日本研究者だけでも全米の大学・研究所(シンクタンク)などに1000人以上いると聞いているよ。彼らの研究成果がCIAや国防省などに取り上げられ、政策に結びついている。

現在のアメリカでは、日本研究者の中で有名な学者といえば福山君が住んでいる大家さんのエズラ・ボーゲル教授だな。彼の研究成果が、1990年前後の日米貿易摩擦などの際、大いにアメリカ政府の対日政策に反映され、役に立ったと思うね。日本も官(軍)・学間の関係をアメリカに学ぶべきだね。

官僚だけの情報・政策能力だけではアメリカには太刀打ちできないよ。また、現在「ボーゲル松下村塾」という若手官僚留学生主体の勉強会を月1回やっているが、教授は自宅に居ながらにして、若手官僚留学生たちの〝自白〟により、日本の将来の政策ビジョンの「原案」を知ることが出来る。〝勉強会〟と称して、さりげなく日本政府の将来政策ビジョンを盗み取る枠組みを作れる力量を持った学者が日本にいるかい。アメリカの学者は、日本の学者とは比較にならないほどスケールが違うね。大いに見習うべき戦略だ。

一方の、日本の官僚学生諸君は〝馬鹿〟で〝うぶ〟であることは間違いない。「ボーゲル先生は、誠心誠意、善意で日本の将来の為にやってくれている」と心から思っているのだから呆れてしまう。ボーゲル教授は、勉強会における学生の発言は当然録音して、バージニア州ラングレーの中央情報局(CIA)本部に送っているよ。CIAはこの録音を分析して学生個々人の品定め(人物評価)もしているはずだ。将来を見越して、どの学生がCIAのスパイとしてリクルートするのがいいか。ボーゲル教授から、寿司やワインをふるまってもらって無邪気に自説を自慢しているのが偏差値トップクラスの日本の官僚エリートの実態なのだ。何と情けないことか。

更に言わせてもらえば、中国人留学生達に中国版「ボーゲル塾」をやると言ったら参加する留学生がいると思うかい。参加するとすれば、全て中国共産党のコントロール下だ。学生たちは迂闊なことを言えば、即座に将来を失うことになる。ここらあたりが、日本と米国さらには中国などの情報センスの差だと思うよ。俺のようにアメリカと戦をして負けると、ついついヒガミ根性で、物事を裏返しにして観察する癖が付いてしまうものだ。
 
筆者:大東亜戦争における日米両国の政府・軍の情報に対する取り組みについてのご印象は。
 
元帥:大東亜戦争に向けての日本の情報活動も一定の努力がなされたことは事実だ。例えば、ホノルルには兵学校61期で、病を得て海軍を辞めた森村正君を外務書記生という肩書でスパイとして潜入させ、アメリカ艦隊の真珠湾への入港状況を常続的に報告させた。

しかし情報を取ることにおいても使うことにおいても、また偽情報で相手を欺くこと、更には防諜においても、アメリカは日本とは比べ物にならないほどのレベルだった。日米は同じ島国だけど、日本と違いアメリカ指導部のDNAの中にはヨーロッパのモザイク状の国家間で何百年も続けられてきた「情報戦争」で育まれた遺伝子が刻み込まれており、残念ながら、アメリカの方が、情報のセンスが格段に優れていたね。

既に、ボーゲル教授の例を引いて、アメリカの全体としての日本研究について申し上げたところだが、兎に角アメリカは、日本について軍事はもとより、産業、経済、歴史、文化などあらゆる分野で克明に研究し尽していた。

昭和14年ごろ、海軍経理局の武井大助局長が上海で手に入れた「When Japan Goes to War」と題する英文の研究書を読んで驚いたよ。その本は、あるロシア系の軍事評論家がニューヨークで出版したものだったが、日本の軍需工場の所在地、その規模、名称、工員数まで、詳細を極め、日本海軍の経理局さえも知らないことまでが沢山記述してあり、結論として、日本が対米戦争に立ち上がったら、国力の限界は1年半、最後の半年は、第1次世界大戦末期のドイツと似た状況になるだろうと書いてあった。

また、防諜についても、ホノルルの森村書記生のスパイ活動については、FBIが継続的に監視しており、彼が東京へ送った情報電報はアメリカ側に読まれていて、真珠湾の在泊艦艇の数やその停泊位置に、日本が異常な興味を示していることをワシントンは知っていた。

更にアメリカは、日本の外務省の暗号電報についても「血のにじむような苦闘」の末に解読に成功していた。戦後、アメリカで出版された、「The Final Secret of Perl Harbor」によれば、日本の対米最後通告電報はアメリカの解読班により解読され、真珠湾攻撃の始まる数時間乃至十数時間前にはハル国務長官やルーズベルト大統領は日本の最後通告を知り、日本が戦争を仕掛けてくることを知っていた。米国首脳は、日本が「真珠湾をだまし討ち」したという筋書きが欲しく、忍耐強く待っていたんだ。

アメリカは真珠湾攻撃と同様に、好都合にも「9.11」により「テロリストが先に手を出した」という筋書きで、国内的にも国際的にも「錦の御旗」を手に入れ世界規模の対テロ戦争に突入することが出来るようになった。アメリカは、情報を戦術的にも政・戦略的にも活用するのが実に上手い。

大東亜戦争の分水嶺になった、ミッドウエーの敗戦も米国海軍によりわが帝国海軍の暗号が解読されたのが敗因の一つである。開戦直後の昭和17年1月20日、帝国海軍の「伊124」潜水艦がポートダーウイン沖で米・豪3隻の軍艦の攻撃を受け撃沈された。アメリカ海軍はすぐに潜水夫を入れ、艦内に残された日本海軍の暗号書を引き上げ、これを活用していたのは間違いなかろう。

私事だが、ソロモン群島付近でアメリカ機の攻撃を受け撃墜され戦死に至ったのも、我が方の飛行計画についての暗号電報がアメリカ側に筒抜けになっていたからである。

現在の日本も殆ど変わらんなあ。いや、それどころか、むしろ大いに後退してしまったと言うべきだろう。国家レベルから見ても、「情報公開法」は作られたが、それとバランスをとるべきはずの「秘密保護法(仮称)」は未整備のままである。また、福山君を前に言うのもなんだが、現在の自衛隊も情報に対しては余り関心が高くない。人材も一級の者は配置されない。日本人の血の中には「情報のDNA」が欠損しているといわざるを得ないほどだ。
 
筆者:軍人の出所進退についてどう思いますか。
 
元帥:軍人一般の出処進退について述べるより、私自身の大東亜戦争突入までの責任の取り方について申し上げれば、実に感慨深いものがある。

ご承知の如く、私が昭和11年末に海軍次官を拝命した時、最大の懸案は日独伊三国同盟問題であった。このあたりの経緯について、阿川弘之君の「山本五十六」から引用させてもらおう。

時世の右旋回、陸軍の下克上、その無軌道の結果が、初めて切実な火の粉となって、海軍自身の上に降りかかって来たのは、日独伊三国同盟問題という形においてである。何故なら、当時の世界情勢下で、ドイツ、イタリアと軍事同盟を結ぶか否かは、海軍として米英との戦争を覚悟するか否かにかかって来るからであった。対英米、特にアメリカとの戦争になれば、殆ど全ての責任は海軍の上にかぶさって来よう。これは最早、批判や皮肉で済ませておける問題ではなかった。

 井上成美は『思い出の記』のなかで、『昭和12,13,14にまたがる私の軍務局長時代の2年間は、その時間と精力の大半を三国同盟に費やした感がある』

阿川弘之君はこう書いているが、私も井上君とコンビを組んだ海軍次官時代を振り返れば、全く同感である。

私はアメリカの国民性、国力を十分に理解し、対米戦争は絶対に避けなければならないと確信しており、従って日独伊三国同盟には絶対反対であった。

私は盟友堀悌吉君に、「個人としての意見と正確に正反対の決意を固め其の方向に一途邁進のほかなき現在の立場は誠に変なものなり」(昭和16年10月11日付の手紙)、と書いたように、私が次官を退いた後の歴史の展開は、皮肉にも私が反対し続けて来た方向、即ち「三国同盟の締結」に流され、こともあろうに私自身が対米戦争の火蓋を切る役割を演じる羽目になった。痛恨の極みである。

今思えば、対米戦争を阻止する為に私自身が為すべき事があったのではないかと反省する次第である。即ち、海軍次官時代、更に明確に政府や世論に対し、対米戦争が日本の国力では不可能であること、もっと簡単に言えば「アメリカと戦えば必ず負けること」を明言し、しかも周到かつ粘り強く訴え続けるべきであった。その結果、更迭されたり、暗殺されておれば、あるいは歴史の流れを変え得たのかもしれない。

連合艦隊司令長官就任後も、私は会戦直前に近衛首相と荻外荘で2度も会う機会があった。近衛公から対米戦争について問われた際、第一回目に会った時は、「それは、是非やれといわれれば、初め半年や一年は、随分暴れてご覧に入れます。しかし、2年3年となっては、全く確信が持てません。三国同盟が出来たのは致し方ないが、かくなった上は、日米戦争の回避に極力御努力願いたいと思います」と申し上げた。

 また第二回目の会談では、「万一交渉がまとまらなかった場合、海軍の見通しはどうですか?」と問われ、「それは、是非私にやれと言われれば、1年や1年半は存分に暴れてご覧に入れます。しかしそれから先のことは、全く保障できません」と前回と同じことを答え、
「もし戦争になったら、私は飛行機にも乗ります。潜水艦にも乗ります、太平洋を縦横に飛び回って決死の戦をするつもりです。総理もどうか、生易しく考えられず、死ぬ覚悟で一つ、交渉に当っていただきたい。そして、たとひ会談が決裂することになっても、尻をまくったりせず、一抹の余韻を残して置いてください。外交にラスト・ワァードは無いと言ひますから」と付け加えた。

これに対して、井上成美君が後に、「あの一言は、失礼ながら山本さんの黒星です。ああいう言い方をすれば、軍事に関して素人で、優柔不断の近衛公が、兎に角1年半は持つと、曖昧な気持ちになるのは、分かりきったことでした。海軍の見通し如何と聞かれて、何故山本さんは、海軍は対米戦争をやれません、やれば負けます、それで長官の資格が無いと言われるなら、私はやめますと、さう言ひきらなかったか。連合艦隊四万の部下の手前、戦へないといふことは、さぞ言ひにくかったにちがひないが、その情は捨てて、敢えてはっきり言ふべきでした」と言っているが、まさにその通りだったと思う。

また伊藤正徳君が、『連合艦隊の最後』で、「海軍は唯だ正直一途に、対米戦争不賛成と言えばよかった。憐れむ可し、一言『ノー』の勇気を欠いて無謀の戦争に引き摺られ、百戦功なくして遂に全滅の悲運に会う。ああ、大艦隊はもはや再び還らない」と書いているが、私自身が海軍次官、連合艦隊司令長官の要職にありながら、断固たる意思表明とせずに、戦争を阻止・回避できなかった責任は重大で、かつ痛恨の極みであり、国民に申し訳ないと悔やむのみである。

自衛隊においても、今年3月には、統合幕僚監部が発足し、今後制服組の政治(軍政)に係わる局面も増えてくるものと思う。高級将官で、その職に就く者は、どうか、私の生き様を参考に、国家百年の大計を誤らせないよう、出所進退を厳しく律してもらいたい。
 
筆者:日本の現在のメディアについてどう思いますか。
 
元帥:客年12月18日付時事通信発のニュースで、中国上海の日本総領事館に勤務する通信担当の男性館員が、一昨年5月、中国当局から外交機密を漏らすように強要されたことを苦に自殺したとのニュースがあった。

中国のみならず、世界各国は、公然非公然にこのような情報・諜報活動を行っているのはけだし当然のことで、その一環として、メディアに対しても自国に都合の良い論説を書かせようと、各種の工作を行うのは当たり前であろう。

一方で、大東亜戦争前のようにメディアが国家・軍部の統制を受け、翼賛的論調になると、その結果はご承知のような開戦を阻止できなかった歴史の経緯である。国民に対し、あらゆる角度からの情報を届けることにより、バランスの取れた健全な世論が形成されることは、議会制民主主義国家にとって不可欠の要素であると思う。

例えて言えば、朝日新聞の論調が、読売新聞と同じようになれば、日本はまた過去の歴史の過ちを繰り返すかもしれない。私が、今更天上から言うまでもないが、朝日新聞は何としても今の論調を変るべきではない。最近、日本の世論が少しずつ保守化に回帰しつつあるように見える今こそ、しっかりとそのリベラルな論調を堅持してもらいたいものだ。会社経営の観点から、世論に迎合するようになれば世も終わりだ。大東亜戦争開戦前夜に、議会制民主主義の健全性を維持しようと東條英機首相に抗って奮闘した緒方竹虎や中野正剛は誠に立派であった。

日本の世論は、あの冷戦下の共産主義イデオロギーが蔓延した時期においても、産経新聞などが頑張ってまがりなりにも一定のバランスを維持できた。今後、中国が台頭し我が国のメディアに対する工作が活発化したとしても、左程心配することは無いと思う。むしろ、我が国の世論が、一方に偏ることを危惧すべきである。これが「海軍左派」と呼ばれていた私からの遺言である。
 
 
 
 
 

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