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【エッセイ】 このオレに温かいのは便座だけ 〜やっぱり今でもカルチャーショック〜

 日本からカナダへ戻ると、最初に受けるカルチャーショックはいつも決まって同じものだ。
「冷たいっ!」
 分かっちゃいるのに、忘れている。女性は出産の痛みを忘れるからまた妊娠できるのだと誰かが言っていたが、人間の忘れる力ときたら、大したもんだ。
 
 トイレへ行く時は、「まぁ、暇だから、おしっこでもしようか」といった具合に、時間的にも精神的にも余裕があることは滅多にない。大抵の場合は切羽詰まった状態で駆け込む。だから、片手で便座の蓋を開けながら、もう片方の手は既に脱ぐ仕事に取り掛かっている。便座のことなんて頭にはない。いち早く出すべきものを出したいという一途な思いで頭の中はいっぱいだ。ようやく用を足せると思った瞬間、座ったお尻と太ももの裏に大きな衝撃が走る。そして、気づくのだ。
「そうだった。こっちのトイレの便座は温かくないのだった」
 私たちがカナダへ戻るのは大抵真冬だ。家の中はセントラルヒーティングで温かく、トイレだって温かい。でも、便座だけは冷たいままなのだ。
 
 外出先でトイレに行く時は、どれだけ切羽詰まっていようが、便座を拭いたり、拭いても何だか汚らしい場合はトイレットペーパーを敷いたりして、便座に座るまでにある程度の心構えの時間がある。あまりに汚れが取れない場合には、せっかくここまで掃除をしたけど、ここは諦めて隣の個室へ移ろうか、それともお尻を浮かせて用を足すことにしようか、などと頭を悩ませなくてはならない為、便座に腰を下ろす行為も自宅の時とは違ってマインドフルだ。まるでお茶の席で、一挙手一投足に意識を張り巡らせながらスローモーションで行うように、ゆっくり、そぉっとだ。腰を下ろすだけの行為なのに、綱渡りのように慎重に取り組む。
 だからなのか、幸い、自宅のトイレのような冷やっと感の衝撃の経験は少ないが、もちろん無いとは言えない。
 ところが、日本では外出先のどこのトイレも、そこらの公園の公衆トイレさえも、便座が温かいのは当たり前だ。尚且つ、清潔綺麗で、最近ではお洒落さまで取り込んだラグジャリートイレだのデラックストイレだのというものまで出て来た。toto のウォシュレットだって当たり前だし、水の音だの川のせせらぎだの鳥のさえずりだの音だって頼んでもいないのに、センサーで鳴り響き、おしっこの音をかき消してくれる。便座が温かいなんぞ、もはや当たり前過ぎて、本当に便座が冷たかった頃があったのかと過去までも疑い出してしまう。毎度毎度、カナダの自宅で経験する「冷やっと感」はここ日本にはどこにも存在しない。その上、清潔さときたら、欧米諸国とは雲泥の差で、おまけに個室の扉はしっかりと隙間なく閉まる。安心して落ち着いて用を足せる気配りが行き届いている。夫が日本の公衆トイレで温かい便座についゆっくり腰を据えているのも不思議ではない。
 
 私は何とラッキーなのだろう。日本では当たり前になり過ぎた有り難い事象を、当然のこととして忘れてしまう前に必ず折りよく現実を突きつけられるのだ。感謝、感謝だ。こんな感動を味わえるのも、こちらに toto ウォシュレットが普及していないからに他ならない。
 
 いずこでも、トイレの便座は温かし。いかに、日本は素晴らしや。
 一句、詠みたい気持ちにすらなる。
 
 そう言えば、日本の温かい便座は度々サラリーマン川柳にも現れる。お気に入りの一句があった。
「このオレに 温かいのは 便座だけ」
 第一生命保険相互会社の2007年、第20回「サラリーマン川柳コンクール」で第二位に輝いた「宝夢卵」氏の作品だ。
 この川柳が言う通り、日本のトイレは誰にも平等に温かいのだ。何と素晴らしいことか。
 
 それにしても、何故、toto ウォシュレットは欧米諸国で苦戦しているのだろうか。toto ウォシュレットが初めて日本の庶民の家に登場した頃のことを思い出す。
 クラスの中でいち早く取り付けたクラスメイトのお宅へお邪魔した時のこと。そのクラスメイトは遊びに来ていた子供たちに順番にトイレへ行かせ、気づいたことをそれぞれ、全員がトイレを使用した後で発表させた。
 正解はもちろん、「便座が温かい」だった。
 開発した人たちも、今の私のように真冬の冷やっと感に悩まされていたに違いない。

 toto ウォシュレットは当時の日本では誰もが飛びついた一大ヒット商品だった。なんたって、トイレがてめえのお尻を洗ってくれるのだから驚きの発想だ。お尻を洗ってくれだなんて、人に頼んだら、その後、一生頭が上がらなくなりそうなのに、このマシーンは差別もせず、嫌がらずに誰ものお尻を思う存分洗ってくれる。何と献身的で忍耐力のあるマシーンなのだ。昭和の時代、目まぐるしく進化していくテクノロジーの文明にことごとく遅れ気味だった私の実家でも、toto ウォシュレットの導入だけは早かった。一番気に入っていたのは父だった。
 同じように、文明から遅れ気味の従姉妹の家庭でも、父親が真っ先に仕入れたという。お年頃だった従姉妹が「毎朝、お父さんがお風呂場でお尻を洗っているのを見るのが嫌だったから、toto ウォシュレットが我が家に来てとっても嬉しい」と言っていたのを今でも覚えている。
 それからもう何十年も経つのに、toto ウォシュレットは未だに外国にやって来ない。外国にだって従姉妹の親父のように困っているおじさんはたくさんいるはずだ。便座の「冷やっと感」に驚かされている人だって多いはずだ。大いに需要がありそうなのに、何故なのだ。toto ウォシュレットが来てくれないお陰で、今でも私たちの便座は冷たいままだ。お尻なんて洗ってくれなくたっていい。どうか便座だけでも温めてくれ。
 
 夫が長い時間、温めた直後の便座は比較的人肌温度で温かく、巣篭もりしていた母鳥が餌を探しに発った直後の巣の中のようで、日本のトイレへ入った時の感覚に近い。しかし、それ以外の時はいちいち冷やっと感に驚かされる。カナダへ到着後、こちらの冷たい便座に慣れるまでのしばらくの間、私のカルチャーショックと toto への思いは続いてゆく。
 
 日本の皆さんよ、覚えていて欲しい。便座が温かいのは「奇跡」なのだ。

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