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料理はつくる人の今を映している

あの頃、私が焼く肉はまずそうだった。


母は子どもたちが大学生になっても毎日夕食を準備していた。出かけるときは、焼くだけ、揚げるだけ、という状態でラップをかけて用意してくれていた。

その日、私は2階からキッチンに降りてきて、用意された肉と添えものの野菜を焼いた。けれど失敗した。ちょっと焦げたという程度ではなく、肉も野菜も縮んで粗末な物体になった。びっくりするくらいに美味しくなさそうになった。

様子を見ていた弟が、だからお前はダメなんだよ、とつぶやく。

言葉にならない気持ちがわいてきた。見透かされたようで情けなさとくやしさと怒りでいてもたってもいられず、大きな音をたててフライパンの中身を流しに捨てて、部屋に駆け上がった。

その頃、料理をすると食べ物が美味しくなさそうにみえた。食材が勢いを失って義務感にまみれて死んでいく気がした。用意したものを仕上げるだけで難しいことはない。それなのにいかにもまずそうになった。だからキッチンにいるのは嫌だった。食べることも嫌いだった。

さらにいうと、当時の私は大卒のフリーターでアルバイト生活。大学院に行くから勉強すると親をだまし、本当は就職が怖いだけだった。不安定な身分にただでさえ自信をなくしていたのに、肉すら上手に焼けないとは。女性としても能力がない、妻や母として生きる道もございません!と烙印を押される気分で、よけいにコンプレックスが刺激された。

小学校の卒業文集に将来の夢は医者と書いた。中高と進学校に通った。医者に代表されるようなハイレベルの資格をとって働き、妻業・母業と仕事をきちんと両立させるべし。そんな風に言われて育ってきた私は「働けない。料理もできない。」そんな現実を前に立ち止まるしかなかった。

'もうダメだ。薄々気づいていたけど、親や学校で言われてきたような路線は一ミリも無理。もう休もう。せめてもうちょっと自分を信頼できるようになるまで。嘘ついてもいいから、周りに遅れていいから休もう。長い人生を振り返れば、数年くらい大したことはないだろう。''

アルバイトに行ったり近所を歩き回ったりする他は、ほとんどの時間、部屋にいて日なたでぼおっとしていた。そうやって、期待されていた生き方を心の底から諦めてようやく、本当にどう生きていくのかを考える心の隙間ができた。そこからが私のスタートだったと思う。

それから10数年後の今、食に関係した仕事をさせて頂いているのは自分でも信じられないことだ。でも、キッチンにたつのが嫌だった記憶があるからこそ、食に温かい気持ちをこめられる人達に半ば憧れるようにして必死にやってきたし、今もそうだ。

まずそうに焼けた肉は、気負いすぎてがんじがらめになり生命力を自ら殺していた、あの頃の自分の状態に似ている。であるならば、料理というのは、つくる人の今そのものを反映するのではないかと思う。

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