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当たり前なんて誰が決めたの?

今日頭からどんどん言葉が出てくるので、2投稿目失礼します^^

最近ずっとモヤモヤしていることがあって、言語化したくなったのでnoteに残すことにしました。

これまでの背景


私のこれまでの背景は

前職で適応障害で退職

1年近く引きこもり
(webデザインの勉強をかじる)

派遣として社会復帰

という感じなんです。

適応障害になった時には、自分に対しての嫌悪感や何も自分にはできないとかネガティブな感情ばかり出てきて、極力人に会いたくありませんでした。

そこから1年、実家に戻り親のすねをかじりながら好きなことをして生活しているうちにネガティブ思考から少しずつ克服していきました。

自分自身を振り返った時に何か大きなことを自分の力で挑戦して成し遂げて自信をつけたいと思うようになりました。

それを成し遂げるための第一歩として派遣で社会復帰をすることを決意しました。



最近の変化

仕事を始めて、以前当たり前にしていたことでさえ

「ちゃんと動けてる!」
「対応できてる!」
「飲食経験が生かせてる!」
「視野を広く持ててる!」

とちょっとした喜びを感じながら日々自分の成長を自分で褒めてあげれています。

この感情は今までの自分にはない感情で、他人は褒めるけど自分には厳しく、できていないことばかり見つけて落ち込むことが多々ありました。

だから、適応障害になって自分に少し優しくなれたことが嬉しかった。

もちろん、厳しいことが全て悪いことではないし、厳しさと優しさを共存させていきたいと思っていたのでそれに少し近づけているようで嬉しかったんです😊



それぞれの当たり前から生じる問題

この心の変化から最近よく考えることがあるんです。

それはタイトルにある

「当たり前なんて誰が決めたの?」

私が今まで仕事をする中でできて当たり前、して当たり前という行動はその人にとってすごく負担になっていたかもしれない。


それを感じたエピソードが2つありました。

【EP1】長い残業や人員不足の会社など山程ある中で、周りが残業しているから私もしないといけないというムードに陥ることがある。

それを社員がしなかったら、「あの人は自分勝手だ。」とか「変わっている」とか裏で言われるケースだって見たことがある。

私が見る感じ、残業ぜずに帰る人は申し訳なさそうに帰っているように感じたし、残業しないのが当たり前だというとはおかしくない。

しかし、その人にとっては状況的に残業することが当たり前だったから周りはよくは思わなかった。


【EP2】また、こんなケースだってある。
飲食未経験の新人が初めて入社してきた時、経験者にとっては1から丁寧に教えたつもりだが、それがいつまで経ってもできないことがある。

なぜなら、その人にはそれができるほどのキャパがなく手が回らないからだ。

新人にとってのキャパはベテランにとって簡単な作業に思えても、人によって重荷が違う事がある。
例え、その人が精一杯動いていたつもりでもベテランから見たら周りより動きが悪いと思ってしまう。



当たり前なんて誰が決めたの?

このようなことを目の当たりにして、私は人それぞれの当たり前をどう消化して行くべきなのか、分からなくなりました。

当たり前は誰が決めたのか?


この疑問はいつか分かる時が来るのかな。

私たちはきっとそれぞれの当たり前を受け入れながら共存して過ごしていくしかない。

だから、むしろ色々な人の当たり前に触れて『興味深い当たり前』を見つけていきたいと思います!


そんな事を考えながら、私の当たり前はどこから生まれたのか?

まずは自分自信と向き合って答えのない疑問を暇な時にでも考えてみようと思います。笑

最後まで読んでくださった方いるのかな…

もしいらしゃったらありがとうございます🌿

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