男のコンプレックス Vol.11「ヒンヌー教男子の見積もり」
“ヒンヌー教徒”の卑屈な姿勢が
女性を傷つけている、かも…!?
27年間生きてきて、貧乳の女性としか付き合ったことがない。別に選んでそうしているわけではなく、好きになった女性がたまたま貧乳だっただけだ。
だからと言って、私のことを「貧乳好き」→「幼女マニア」→「変態ロリペド野郎」と決め付けるのは待ってほしい。
我われ“ヒンヌー教徒”の戒律では、幼女崇拝は禁止。成熟した大人の女性でありながら、胸だけがお菓子なのかパンなのかはっきりしない“甘食”のような小ぶりサイズというのが理想形だ。しかも、女性が自分の貧乳をコンプレックスに感じて恥じらっている様子があれば、なおグッとくる。
だが、ヒンヌー教徒は異教徒として迫害される憂き目にある。こういうことを飲み会や合コンの場でうっかり口にすると、必ず道端に吐き捨てられた痰を見るような目つきで女性にドン引きされるから注意が必要だ。
なんでも、「コンプレックスに萌える」とか面倒くさいことを言っていること自体が“キモい”のだそうだ。男は屈託のない笑顔で両手を広げ、「巨乳大好き!」と言っていたほうが、かわいげがあるらしい。
これは完全に見抜かれてるなあ、と私は思ったね。何がって、ヒンヌー教徒は心のどこかで、巨乳に対して“怖気づいている”フシがあると思うのだ。
巨乳というのは、いわばセックスアピール界の番長である。女体におけるエリートヤンキー三郎と言ってもいい。言わなくてもいい。そんな番長に、俺みたいな男がタイマン挑むのはまだ早い。そんな妙な引け目があって、巨乳に対して正面からメンチが切れないのである。
「これくらいの貧乳が、俺の身の丈には合っている」
そんな、男としての卑屈な姿勢と、女としての「見積もられてる感」を敏感に察知して、女性はヒンヌー教徒に拒絶反応を示すのではないだろうか。
恋愛って、実のところ自分のプライドとコンプレックスの妥協点を探り当てる作業だったりするじゃない。でも、だからこそそれをおくびに出したり、「今、ワタシ見積もられたなあ…」と思わせてしまったら、その時点で恋は終わるということを、よくよく肝に銘じておきたい。
(初出:『POPEYE』2010年12月号)
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【2023年の追記】
今読むと題材はかなりキモいですが、実はこの連載でもっとも「男のコンプレックス」というテーマの本質に迫っていたのが、もしかしたらこの回だったかもしれません。すなわち、
・貧乳好き男性は自分の「男性性」に自信がないため、巨乳女性の「女性性の強さ」に対して怖気づいている
・それゆえに「自分の身の丈に合っているのは貧乳だ」という卑屈さがある
・恋愛とは、相手を使って自分のレベルを見積もり、プライドとコンプレックスの妥協点をすり合わせる作業になりがちである
・そのすり合わせ作業が相手にバレて自身の卑屈さや劣等感が露呈すると、キモいし面倒くさいと思われる
そんなことを、2010年の時点ですでに気づいて書いていたのだなあ私は、と思うにつけても、当時この問題をもっとちゃんと突き詰めて考えていれば、今頃は私も桃山商事みたいになれていたかもしれないのに!…と汚いことを考えてしまう私は、心が「黒福商事」なのでしょうか。
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