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正義の味方にはなれない

小さい頃の夢は正義の味方だった。
むしろ幼い頃のは「○○レンジャー」になりたいって憧れ。
本気で思っていたのはむしろ、中学生以降だった気もする。

だけどわたしは正義の味方にはなれない。

復讐者と正義の味方

まず常識的に考えて、復讐者は正義の味方にはなれないだろう。
後悔はしていないけれど。

復讐しなければ、これ以上は生きられないと思った。
生きたとしてもそこに人間としてのプライドはないと思った。
自分を蔑みながら生きるしかないと。

それに復讐は、思ったよりずっと肌に合っている。楽しいと思うときさえある。

「復讐者」は英語では「リベンジャー(revenger)」または「アベンジャー(avenger)」というそうだ。

アベンジャーの復讐は正義を守るためにある。秩序と言っても良いのかも。
だって、悪い人が裁かれない社会なんて、ロクなもんじゃないだろう。
だからアベンジャーはある種の正義の味方とも言える。ダークヒーローってやつだろうか。

対して、リベンジャーはあくまで個人的な思いから復讐をする者たちだ。

アベンジャーに憧れはあるが、わたしは「奴らへの報復」「奴らの不幸」に偏り過ぎている。

もしわたしが復讐者にならなかったとしたら?
それでもわたしは正義の味方になれない。

だってわたしには、罪がある。
被害者でありながら、加害者だから。
わたしの罪は、大きく分けると3つだと思う。

いじめ加害者はヒーローになれない

ひとつめは、いじめる側に味方したこと。
以前に話したことがある。

わたしは、いじめから逃れるために別の子を身代わりにした。
正義も何もあったものじゃない。

自分を見下してきた奴らに、人としてあり得ない態度をとってきた奴らに媚びて、ご機嫌をとって。
嫌われないように、嫌われないようにと、怯えて。
勇気もプライドも、どこにもなかった。

薄情者はヒーローになれない

ふたつめは、家を出たこと。

学びたいことがあった。
母と、モラハラ気質の父を残して家を出た。

母は父をひどく嫌っていた。それはあくまで個人的な「好き」「嫌い」の感情であって、父が母にどんなに酷い扱いをしていたか理解できていなかった。

数年が過ぎて、精神を病んだわたしは実家へ帰った。

円満だと思っていた母と祖母の関係、祖母と祖父の関係は、破綻していた。

母は、父に虐げられつづけた。
父は、父と呼ぶことさえ不快なほどの非道だ。
暴力こそなかったようだけど、意地の悪い言葉や怒声や冷たい態度で母を傷つけていた。

父は仕事で留守がちだったから、その点だけは良かった。
けれど母は父の帰宅の度に怒りを募らせていた。
そして祖母と祖父の相手に疲れていた。
眉間のシワが取れなくなるくらい。

優しかった祖母は、ひがみっぽくなり、からだはひどくやせて、いつも悲しそうにしている。

祖母と話すのが母にとってストレスだということを、数年たってやっと理解できた。
今の祖母は、何を言ってもマイナスな考えに繋げてしまうから。

祖父は、変わらない。耳が遠いのと持ち前のマイペースさが合わさって、もともと人の話をぜんぜん聞かない。
可愛らしいともいえる天然ボケ発言は、昔の我が家なら笑いを産んでいたのだろう。
でも、今は誰も笑う余裕はない。イライラの原因になるだけだ。

孫にはいつも朗らかな祖父が、祖母にだけは悪い意味での昭和の夫になるのも最近の発見だった。
横暴で、口が悪く、祖母の意見を聞いてくれない。
祖父と祖母は夫婦漫才のような関係で、少し強い口調も親愛ゆえだと思っていたから驚いた。

悲しいことだとは思う。
父のことで余裕のなかった母。
母から相手にされず、祖父とは話が通じず、寂しさを募らせた祖母。
そもそも分かりあう気がない祖父。

でも今はもう悲しいと思うだけ。
諦めてしまったわたしはやっぱり薄情者だ。

裏切り者はヒーローになれない

3つめ。
小学校を卒業後、中学時代のわたしは健康だった。
異変が出てきたのは高校時代。

わたしはある部活に所属していた。
情熱と憧れを持って入部したは良いが、成績は下から数えたほうが早かった。
先輩だけじゃない、同級生の足元にも及ばなかった。

それでも気の合う仲間といるのは楽しくて、好きなことに打ち込めるだけで楽しくて、わたしは部活に熱中した。

けれも、わたしはどこか、現実を受け入れられなかったのだと思う。
土日や長期休暇の練習に行けなくなった。
サボりといえばサボりだ。

「朝、起きる」ということがどうしてもできなかった。
母にはとても迷惑をかけた。起こしても、起こしても、わたしは起きなかったという。

次第に放課後の部活にも行けなくなり、わたしは役割を放り出して退部した。

都会に出てからも良くないことが続いた。
新卒でブラック企業に入ってしまったのが、一番の不運だったと思う。
社員はみんなプライベートまで徹底的に管理され、ほとんど洗脳状態だった。

やがて身体的にも精神的にも限界を迎えて、わたしは退職する。何もかも投げ出して。
あんな会社でも、最低限、果たすべき責任はあったのに。ほんの数人だけ、助けてくれた人もいたのに。

捨て身で逃げたおかげで、「わたしが悪い」から「わたしにも悪いところがあったけど、ほぼ会社側が悪い」と思えるようになった。
好きなだけ眠って食べて、身体も回復した。
しかし本格的な就活は難しく、アルバイトを転々とすることになる。

どのアルバイトも数ヶ月で限界が来た。
仕事も同僚もお客さんも全部が嫌いで嫌いで仕方なくなる。
帰った後はひどく汚れている気がして、神経質に体を洗った。

遅刻、無断欠勤、突然すぎる退職を繰り返す。
その度に自分に失望していった。

当たり前だ。
わたしは、信頼を裏切ることしかできない。

ブラック企業が全部悪い気もするけど、「積み重ね」といえばそうなのだろうし、そもそもわたしは他者を裏切る人間として生まれた気もする。
裏切る瞬間は、いつも妙に気持ちが良い。

しがらみや悪意は、誰でも嫌なものだろう。
責任や期待は、ときに重いものだろうが、プラスに働くこともある。
信頼や好意はどうだろう。大抵の人は嬉しく思うのではないか。

でも、わたしには全部が重たい。
好意も悪意も大した差はないとすら思う。

裏切るとき、切り捨てるとき、ぷつりと切れる。
その感覚が好きだ。
正義どころか、良心の存在も怪しい。

あきらめたけど、終わりじゃない

わたしは正義の味方になりたかった。

虐げられたからこそ、悪を許さない気持ちは誰にも負けないと思っていた。

弱きを助け、強きをくじく、とか。
悪事を暴き、罪を裁く、とか。
そういう生き方に憧れた。

そう出来ない自分には心底失望したが、もうどうでも良い。
自分を好きになるなんて、諦めた。

代わりに、悪事を成す覚悟ができた。
それでいい。
憧れが叶わないのなら、せめて「今の気持ち」に従うことにする。

わたしは復讐者(リベンジャー)だ。

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