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幼少期のいじめが人格に与える影響はこんな感じです

過疎の村で

ど田舎の小学校に通っていた。
人に言えば大抵驚かれるクラスメイト数。
女子はわたしといじめメンバーしかいない。
逃げ場なんてなかった。

わたしは馬鹿だった。親なり先生なりに相談すれば良かった。それだけだ。
なのにわたしは誰にも話せなかった。
当時の記憶はほとんど残っていない。当時の自分に尋ねてみたいものだ。

わたしは本当に馬鹿だった。やり返せば良かったんだ。
暴力だってかまわない。所詮小学生同士のケンカだと許してもらえただろう。
むしろいじめが露見して、奴らが裁かれることすら有り得たのに。

生け贄

わたしは馬鹿な上に、卑怯で、最低だった。
最後の年、転校生が来た。
奴らは何事もなかったかのように、わたしを仲間にいれた。ターゲットを変えたのだ。

わたしは逆らうこともせず、ただ転校生を見殺しにした。
あの子は内心どう思っていたかわからないが、男子と仲良くなって、無事に卒業していった。
そういえばわたしには男子たちと過ごすという選択肢もなかった。
やっぱり馬鹿だ。

中学時代

中学校はそれなりに大きくて、時間はかかったものの友だちができた。
わたしは内心、モヤついていた。わたしをいじめた奴等も同じように、新しい友だちと楽しげに笑っていることに。

後悔するくらいなら、言いふらしてやればよかったんだ。でもわたしは何もしなかった。平和が崩れるのが怖かったのか、わたしもいじめに加担してしまった負い目からか。そこはやっぱり記憶がない。

そのあと

なんどか環境が変わっても、わたしはどうにか居場所を見つけることができた。嫌な記憶はちっとも薄れなかったけど、どうにか考えないようにした。

いま

わたしは家に引きこもって働いている。
仕事相手とは週に数度チャットでやりとりするだけ。ある意味、恵まれた環境下だ。

スマホの電話帳は、まっしろだ。(正確には家族の分だけ、これも使わないのだが)
LINEもその他のSNSもやってない。

つまり、友だちといえる人間はひとりもいない。
わたしは友だちを作ることはできたが、友だちでい続けることができなかった。
その結果がこれだ。

誰も信じられない人間

すべてがいじめの結果というつもりはない。
わたしはもともと内向的な方ではあったから。

ある人に言われたことがある。
「君は根本的に人を信用していない」

当時、わたしはとあるチームのようなものに所属していた。気の合う友人がたくさんいて、毎日何時間でも話しても飽きないような親友がいた。好きな人もいた。毎日が楽しかった。

だからその言葉がショックで仕方なかった。
人を信用していないなんて、かけらも自覚がなかった。それなのに否定することができなかった。むしろ腑に落ちた、というのか。心の深くにその言葉が刺さって抜けなかった。

あの言葉はどうやら正解だったみたいだ。今さらだが、すごいなあの人。他の人にもバレバレだったのかもしれないけれど。

過去へのけじめ

わたしは今、精神的に立ち止まっている状態だ。どちらの方向にも進むことができずにいる。とても苦しい。

わたしはけじめをつけることにした。過去を精算しなければ、進むことはできないと思った。
未だに夢に出てくる奴らを、起きている間は常に映像や音で気をそらさなければいけないほどフラッシュバックする奴らを消さなくちゃ。

だから、

わたしは復讐する。それは子どもじみた、小さな「仕返し」に他ならない。
けれどそれを終えて初めて、わたしはどこかへ進める気がする。

物理的にはずいぶんいろんな場所を転々としたけれど、結局わたしはどこにもいけていないのだろう。記憶もロクにないくせに、わたしの心はあのスカスカの教室に縛られたままだ。

利子をつけてぶん殴る

あのとき勇気を出さなかったばかりに、馬鹿でかい利子を払うことになってしまった。
わたしは本当に馬鹿な子どもだった。
大人になった今、ほんの少しだけ賢くなれているだろうか。

待ってろ、震えあがらせてやる。
命まではとらない、かもしれない。

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