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うっかりしっかり体験記(中編)|永井煌|2023-24 essay 13

こんにちは。ふくしデザインゼミ・コーディネーターの佐藤です。3月3日の公開プレゼンテーションで一区切りを迎えた「ふくしデザインゼミ 2023-24」。essay 12からは、2ヶ月のプログラムを終えたゼミ生たちの言葉をご紹介しています。

濃密な2カ月をふりかえりはじめると、それなりの分量になるもの当然。「うっかり」1万字になった「しっかり」レポートを書いてくれたのは、竹端ゼミ・永井くん。全3本の2本目では、長崎・南高愛隣会へのフィールドワークをふりかえってくれています。

>>このエッセイは3部に分けて投稿しています!(前編)はこちらから

やるべきことにしばられない「余白」

1ヶ月ほどの準備を経て、私たちは2泊3日のフィールドワークへ向かった。ゼミ講師のひとり・小松理虔さんがキックオフに話していた、「五感をつかうこと」「何気ない小さな変化に気づくこと」を意識しながら臨む。

長崎に降り立ったとき、いつも生活しているまちとは違う空気を感じた。塩の香り。少し温かい風。ついにフィールドワークがはじまるんだなあ、と自然と身が引き締まる。

景色に注目しながら、いつもよりもゆっくり歩こう。

景色に敏感になって歩いていた。
photo by ゼミ生・なっちゃんのフィルムカメラ

ふだん気づかないような、道端の花や建物の雰囲気の違いも感じる。私は視覚障害を抱えているため周りの風景が見えにくい。けれど、ゆっくり地域を歩けば見えてくることがあった。と言いつつも、みんなよりも視覚情報を使えないという悔しさも感じていた。

南高愛隣会に着くと、私は「うっかり」と「しっかり」の境界がそこにあることに気がついた!施設の1階では利用者さんがレクリエーションなどをして「うっかり」がたくさん起きているのに対して、2階のサポート本部は、他の部屋とは異なる「しっかり」した雰囲気。東京のオフィスみたいな。施設・法人のなかで、「うっかり」と「しっかり」の境界が引かれている?

1階部分の「うっかり」は2階部分の「しっかり」があるからこそ成り立っている。まさに2階部分は「縁の下の力持ち」のような存在ではないか。

私が感じたうっかりとしっかりの境界線。

その後は事業所に滞在し、小松ゼミのテーマ「ただ、いる」をやってみる。

一ヶ所目では、利用者さんに混じってエアロビをおどった。利用者さんは思い思いに参加している。前で踊る人もいたり、手を叩きながらリズムにのる人もいたり…。私はいつの間にか夢中になって前で踊っていた。そこにいる理由や生産性を考えることなく。初めての場所にぬるっと入っただけなのに、いつのまにか夢中になっていた。とても意外だった。

二ヶ所目では、子どもたちと遊んだ。そこには子どもたちが過ごしたいように過ごせる工夫、空間のデザインがちりばめられていた。例えば「休憩室」は、ボール遊びをする場にも映画をみる場にもなる。子どもそれぞれ使い方ができるからこそ、居場所になっている。

ふたばっこで子供と戯れ、ただいるを体験する私

両方の事業所に共通しているのは、予定がほとんど決められていないこと。利用者は好きなことができて、職員さんは利用者のやりたいことについていく。これは、私が知っている特別支援学校とは大きく異なる。学校では、時間が決められ、余白がほとんどない。

1日目のフィールドワークを通して感じたのは、やるべきことにしばられないことで余白が生まれてくることだった。。

「1人の人間として」話すことで生まれる「余白」

2日目は、オンラインでお話しした利用者さん、職員さんとのお話会。実は、当日朝の時点で、何を話すかも、場をどうを進めるかも決まっておらず、私はとても緊張していた。

お話会の前に、「源平合戦」「椅子取りゲーム」、2つのレクリエーションをしたのがよかった。みんなが真剣に楽しんでいてひとつのものを共有している感覚をもちながら、お話会はスタートした。

椅子取りゲームで場が温まる

会いたかった人たちに、「利用者さん」「職員さん」ではなく、1人の人間として、、友だちとして、会えたと思う。

職員さん同士も、福祉や仕事の話にしばられずに自分自身のことをじっくりと対話したことで、新たな共通点に気づいていた。ふだんは、事業所を越えて職員さんどうしが交流することは少ないそう。実は同世代でガンダムが好きだったという共通点から思わぬ笑顔が生まれていたのは、こういう「余白」の時間があったからこそだろう。

2日目は、1人の人間として話すことで生まれる「余白」を発見した。

「うっかり」できない、という悩み

フィールドワークの最後には、3月3日の公開プレゼンに向けて、これまでのプロセスや2日間で感じた余白を、どう言葉にして伝えるか話し合った。竹端さんのファシリテーションによって、十分に言語化できていなかった「しっかり」「うっかり」についての考えがまとまっていき、ゼミ生の認識が共有されていく。

なっちゃんが、「しっかり1.0」→「うっかり」→「しっかり2.0」と、それを言葉にした。枠にとらわれない余白のある福祉、利用者や職員さんの声をじっくりときける福祉を達成するためには、「うっかり」を経ることが大切なのかもしれない!

竹端先生のファシリテートのもとで言語化された、
しっかり1.0→うっかり→しっかり2.0

議論が進むなかで、ゼミ生のひとりが涙を流した。それにつられて多くのゼミ生が涙を流す。

今までこういう話をしてはいけない、自分をだしてはいけないと思っていた。「うっかり」そういうものを表現しても大丈夫なんだ。そう思った。そういう涙だった。

「しっかり」と「うっかり」は、個人の生きづらさや悩みと重なる話なんだと思う。そしてそれは私が感じている葛藤とも通じるものだ。ふくしについて、自分自身について、もっともっと向き合って考えていきたい。改めて、そう思った。

はじまりの地、雲仙で「しっかり」

本来フィールドワークは2日間だが、「せっかく長崎に来たのだから、もう1泊くらいしたい!」とメンバーのほとんどが延泊。番外編3日目は、南高愛隣会のはじまりの地、雲仙エリアの事業所の見学に訪れた。

1、2日目は余白をつくったり探したりする時間だったが、3日目は「しっかり」見学者として迎えていただいた感覚。設立当時に遡り、「しっかり」事業所の歴史を聞いたり体験し、法人の理念もより深く知っていく。

「うっかり」は大事だけど、やはり「しっかり」することで深まるものもある。

瑞宝太鼓では、利用者さんの「うっかり」や「幸せ」がとても多いと思った。
それは、利用者さんが本気で打ち込めるものを見つけたからだと思う。

「しっかり」「うっかり」を行き来する3日間を経て、最終発表に向けた準備がはじまった。

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>>このエッセイは3部に分けて投稿します!つづきはこちらから。

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|このエッセイを書いたのは|

永井 煌(ながい こう)
筑波大学理工学群社会工学類2年

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