Kさん

私が尊敬してやまないKさんという人がいる.Kさんは大学院修士課程に在籍していた時の同期で,会社に勤めながら大学院に通っていた.あまり仕事の話はしなかったけどシステムエンジニアで,金融や通信会社のデータベースに関する仕事の経験があるという話は覚えている.会社には時短勤務で通っているようだった.

Kさんは当時参加してた研究テーマのメンバーだった.4人程度のチームでプロジェクトを回し学会に参加したり,共著で論文を書いたりもした.Kさんはチームマネジメントに大変長けていた.私がプロジェクトのコーディングとハードウェアの設計を担当し,しっちゃかめっちゃかに徹夜を繰り返し,顔を真っ赤にしたり真っ青にしたりしているのを見て,Kさんは毎朝15分程度のミーティングを主催した.朝一番に残っているタスクの洗い出しと期限の確認を行い,手が空いている人にどのタスクをいつまでに巻き取るか確認し,それから一日の作業を始めた.寝坊したときは大変怒られた.卒業した後に私は会社員になり,研修制度でスクラム開発に関する講座を受けたとき,「少人数で頻繁に顔を合わせてミーティングを繰り返す」「タスクをチケットとして管理してフレキシブルに人的リソースを割り当てる」「バッファを考慮しながら柔らかくスケジュールを引く」というあの時のスタイルが,所謂スクラム開発にとても近いことに気付いた.もちろんKさんはスクラムという言葉を一言も使っていなかったが.

大学院の活動のメインは研究だが,卒業するためには14単位程度の授業を履修する必要があった.私が授業の課題でC言語書いてる時,どうしても再現性がない(ように見える)エラーにより手が止まっていた.それを見たKさんは「ここにスペースを入れてみて」「もっと沢山、もっともっと」と言った.「どういうことだ...?」と思いつつスペースを11個ほどコードに挟み込むと,何時間も悩まされたエラーが消え,正常な計算結果が出力された.私は大変驚いて「なんでこんなことになるんですか」「ていうかなんでわかったんですか」と聞いたけど「まあなんとなく」「勘」などと言ってはぐらかされた.「目で見てメモリダンプがわかる」みたいな話を聞くと今でもKさんのことを思い出す.言語化できない知見で計算機の息遣いを察する能力は側から見ると霊感に近い.だけど私はなんとなくKさんはわかっていたんじゃないかと思う.「まあなんとなく」「勘」とはぐらかしたのは,私に説明してもどうせわからないから,邪魔くさかったのだろうと思う.Kさんが「金融系のお客さんにバッファオーバーフローのIssueでしこたま怒られたことがある」「(当時)社会人一年目の若造に一人で客先に頭下げに行かせるとは思わなかった」「あれ以来人間が信頼できない」という笑い話をしていたことを覚えている.察するにKさんはメモリの扱いには人一倍敏感だったのではないか(私が直面していたエラーがメモリに起因した挙動かどうかはちょっとわからないけどね).

Kさんとはよくランチに行った.我々はランチの時間は大切にしており,どれだけスケジュールがひっ迫していようと昼食と夕食の時間は必ず確保した.Kさんはたまに昔話をした.中でも月300時間の残業を経験した話は面白かった.「勤務時間じゃないよ,残業が300時間」と念押しされた.月300時間の残業の世界というのは,夜中3時に会社のオフィスを出て,朝は誰よりも早く席に座る生活だったそうだ.そんな調子で毎日働くと,同じタクシーの運転手が夜3時に会社の出口で待つようになるそうだ.専属運転手みたいである.毎日顔を合わせる運転手とも仲良くなり,会話をしながら家に帰宅,朝から夜中3時まで働き,タクシーに乗り込み「それでね」と前日の会話の続きを始めた瞬間,「もう限界だ」と思ったそうだ.残業時間が300時間を超えた瞬間社内のみんながケーキを持ってきて祝ってくれたらしい.「とはいえ誰も厳密な時間は把握していなかったんだけどね,小さい会社だし」と話していた.某通信会社の案件だったらしく,今でも会社のCMを目にするとお腹が痛くなるそうだ.私はKさんのことをすごく尊敬しているけど,あの体力だけはどうにも真似できる気がしない.「なんでそんな体力があるんですか」と聞くと,「高校の部活でめちゃくちゃ走らされたからかな」「当時は無駄だと思ってたけど」と冗談なのかよくわからない話をしていた.思い出すと,今の自分が恥ずかしくなる.残業なんて月40時間で疲れちゃうし.

「この人と一緒にいるとなんでもできそうだな」「なんとかなっちゃいそうだな」「面白いこと起こりそうだな」と感じてしまう人間というのは稀に存在する.主体性というかリーダーシップというか,あの特有の雰囲気をなんて表現したらいいかわからないけど,とにかくKさんはそういうタイプの人だった.私も早くそうなりたいと思っていた.Kさんは一人でシステムを作って実験を行い,「まあ論文なんて書いたことないんだけどね」と言いつつ論文を書き上げて国際学会で報告していた(同じ学会に私は間に合わなくて出せなかった).現代アートが好きで,気付くと自分で会社を作って活動していた.会社は時短勤務で働いているにも拘わらず,人事面談で「一月で3人月分働いてますね」と言われ,「だったら給料上げろよって感じだよね,っていうか他の人どれだけ働いてないんだ???」と愚痴っていた.当時私は博士課程の進学も考えていたが,結局就職することにした.「社会でしばかれるとね,こういうのはわりと身に着くよ」とKさんに言われ,「だったら早くできるようになった方がいいな」と思ったからである.そうして社会に放り出された結果,Kさんのあの独特のしなやかさが身についたかというと,私なんてまだまだひよっこである.たまに勇気が必要な時は「こんな時にKさんだったらどうするんだろう」と考える.Kさんは同期であると同時に私の先生のような存在であった.

そういえばKさんは当時長く付き合っている彼氏がおり,結局修士2年生の頃に別れてしまったけど,今考えると彼氏がどんな人だったか見ておきたかったな...マイペースな人という話は聞いていた.お互い恋愛の話は全然しなかった.研究の話と,あとは下らない冗談ばかり言っていた.なんとなくいつも大学院にはKさんがいて,なんとなくいつも周囲には人がいた(学生も教員も).お金もなかったし,先行きもよくわからなくて不安だったけど,それでも修士課程の頃は楽しかったような気がする.

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