好きな小説は何かという質問

先日文学好きの友達と話をしていて,「20歳を超えたあたりから滅多に小説を読まなくなった」という話をした.平積みされている流行りの本を手に取ってみたけどあまり面白いとは思えず,読み終えた時に「ようやく終わった」という徒労感だけがあった.「何か好きな小説はないの?」と聞かれて,しばらく考えていたけど,思い当たる作品がなかった.

彼に「何の小説が好きなの?」と質問すると,アメリカ文学に分類される本を挙げた.「何が面白いの?」と聞くと,ストーリーの話をした.「ストーリーが面白いから好きなの?」と聞くと,何が面白いかを言葉にし始めた.その説明はたどたどしかった.自身の内側にある感情を,決して正確ではない生煮えで単語を繋ぎ合わせて,なんとか言葉にしているようだった.

そこで,私はようやく「好きな小説は何?」と聞かれて,その小説の面白さや解釈を正確に説明できる必要はないことに気付いた.誰かの作ったモノに対する解釈は正確に説明する必要があると思っていたし,作品に対して抱いた感想はその作品の解釈に基づくものであり,同様に正確に説明できるべきだと思っていた.そんなことはなかった.彼も「好き」と言った作品の何が好きかを上手く説明できていなかったし,それでも彼がその作品が好きなことはよくわかった.「好きな小説は何か」という質問に対しては,それで充分だと思った.

「じゃあ俺にだって好きな小説ぐらいあるぞ」と思って,村上龍の『限りなく透明に近いブルー 』を挙げた.小説を読んでいる時に浮かぶ心象というのはどの作品を読んでも似たり寄ったりだけど,この小説から想起する心象はネオンライトのようにビビッドで,眩しさと同時に臭いや汚さが感じられた.それは変なことかもしれないし,正確ではないかもしれないが,私がそう思ったのだからそれは正しく,「なんとなく好き」なのである.実のところ,読んだのか昔(中学生だった)なのであまり覚えていない.というか,今読むと違う感想を抱く気がして,私は当時この本を読んで抱いた心象が上書きされる気がしてしまい,あえて読んでいない.という話をしたら概ね納得してくれた.

今考えてみると,「読んだ当時の心象が上書きされと嫌だから読んでいない」という作品は,結構な「好き」である,ような気がする.村上龍でいうと『イビザ』も似たように感じたが,小説の舞台が私の生活圏とは違い過ぎたのであまり没頭できなかった.『69 sixty nine』はビビッドな情景が無かった.昔話をしていたらしい.『ワイン一杯だけの真実 』という短編では,1つだけ好きな話があった気がする.



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