失ったものを受け入れるということ

中学生の頃だったか,『解夏』という小説を読んだ.視力を徐々に失う病の主人公が,盲人になる恐怖と向き合う話だった.当時は「悲しいということ以上はなにもわからん」という感じだったが,30歳になり体調の悪さの向き合う機会が増えると,あの話の意味するところがわかってきたような気がする.歳を重ねるに従って失うものが増えていく.それは避けられないことであり,人生が進むに従って,徐々に「失うことを受け入れる態度」の重要性が増していく.

昔酷い失恋をしたとき「身体の一部を失ったらこんな感じなんだろうなあ」と思ったような覚えがある.恋人(あるいはそれに準ずる人)の存在が自分の意識の一部に食い込みすぎていて,何度も不在であることを忘れてしまった.忘れてしまうので,一日に何度もその不在に気が付いて,落胆してしまう.

仕事で海外に行った時,よくお土産屋さんに寄っていた.喜んでもらうためにいつも何かお土産を買って帰っていたから.だけどお土産屋さんに寄る度,渡したい相手とはもう会えないことを思い出す.別れた後の海外出張が一番辛かった.何度も何度も,意味ないと思いつつお土産屋に寄って,必要以上にお土産を買いこんでしまった.それらは友達に配った.

食器を買う時に,無意識のうちに2つ買っていた.1つ使って洗えば済む話だったが,よく一緒に家でご飯を食べていたからだろう.家にある2つある食器を見て,「まあでも1つ割れたときの予備と思えばいいか」と思っていた.ある日そのうちの1つが割れた.2つとも捨てた.

中学生の時の教員が若い頃に糸鋸で親指の先端を怪我をした話をしていた.肉が削れるほど酷い怪我で,指が治った後も湯呑を何度も落としてしまったそうだ.指があると思って湯呑を持つが,実際は怪我をした指は以前よりも少しだけ短くて,持ち上げた湯呑は手からすり抜けてしまうそうだ.「お前らも怪我には気をつけろよ~」と笑いながら脅していた.大人って言うのは悲しい話をあっけらかんとするもんだなと思った.その話はなぜかよく覚えている.

若い頃というのは,何かを得る機会が多いと思う.だけど年齢を重ねるごとに,何かを失いながら生きていく段階が確実に訪れる.健康だったり,チャンスだったり,あるいはもっと大切なもの.失うものに執着せずに,失ったことを受け入れて軽やかに生きていければ望ましい限りである.

映画も良かった気がする

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