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2011年に起った恋愛の話

関西の大学生だった頃に遠距離で青学の子と付き合ってたことは,今考えるとキラキラした恋愛話のような気がする.私が彼女のことをすごく好きだったこともある.夜行バスに乗って会いに行っていた.もう10年も前の話になってしまった.書かなければ無かったことと同じになってしまう気がしたので,このnoteに当時のことを書いてみようと思う.

なぜ私が関西の大学生だったにも関わらず青学の子と仲良くなったかというと,私は2011年の2月末から3月半ばまで,様々なバイトを掛け持ちしながらお金を貯めて,ニューヨークに遊びに行っていた.博物館やギャラリーを巡ることが目的だった.彼女とはそこで出会った.コロンブスサークル駅(セントラルパークの南西の端の駅)で,私がガイドブックを広げてところ,日本人女性に声をかけられた.彼女は「チェルシーに行きたいけどこっちの路線であってますか?」と聞いた.私が「あってますよ」と言うと,その後に他愛もない話をした.私と同じ年齢の,東京の大学に通う大学生だった.私が「今日はソーホーに行こうと思ってる」と言うと,「火曜日のソーホーは基本的にどこもお休みだよ」と言われた.予定が狂ってしまった私は,彼女は一緒にチェルシーで買い物をすることになった.

その人は化粧品を買うのに付き合ったり,一緒に服を見たりしたかな.一通り買い物をして,スタバでコーヒーを飲んだ.ホワイトモカ(あのすごい甘いやつ)が好きと言っていたのを覚えている.そのあと俺もよくホワイトモカを飲むようになった.最近はカロリーを気にしてあまり飲まないけど………実はこの写真はチェルシーで夕日を見てる時にその子が撮ってくれた写真だ.食料品売り場の上がちょっとした公園みたいになっていて,そこで撮ってくれた.「もう少し顎引いて」とか色々注文をつけられた気がする.

その後も何度か会って,彼女は私よりも数日早く帰国した.数日後に私が帰国したのは2011年3月11日,つまり東日本大地震の日だ.飛行機の中で「地震により羽田空港に着陸することができません.今からアラスカのアンカレッジに着陸します」と言われ,訳もわからないまま着陸して,カードキーを渡され,ホテルに連れてかれた.連れていかれたといっても「来る」と言われたバスはなかなか来なくて,その辺にいる人が良さそうな人に声をかけて,相乗りでタクシーを使ってホテルまで向かった.当時の写真ないかなあと思って確認したらiPhoneに残っていた.アンカレッジなんて2度と来ないだろうなあと思って,パシャパシャ撮ってた覚えがある.

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彼女には,ホテルに着いてすぐに連絡した.仮眠を取ってテレビをつけるとオバマ大統領が日本に関して何かを話してる映像が流れていた.この辺でことの重大さがわかってきた.そのあと何時間か足止めを食らって,数時間のフライトの後に無事日本に着けた.あの時,何時間かの足止めで済んだのは今考えるとすごいことである.きっと私が知らないところで色んな人が画策していたのだろう.空港やホテルでは「明日から仕事なんです…」と不安そうに話す人や、「実家が秋田で、大変なことになってる」と慌てている人がいた.当時の私は時間だけは有り余っている大学生のお気楽な身分だったので、ヘラヘラしていたが….

東京に着いてから関西に帰るまで3日ほど空けていたが,ほぼ全ての日彼女に会っていた.放射能が都内まで漏れてるとかなんとか,その手の話が流れていたので,遊びに出かけた街はガランとしていた.3日間の内の1日は,彼女はバイトのシフトが入っていたので,バイト終わりにお店まで迎えに行った.彼女はカフェのバイトをしていた.私は閉店間際の店の席に座って彼女のバイトが終わるのを待っていた.何も頼まないのも悪いので,540円のアイスコーヒーを頼んだ.バイトを終えて席に座った彼女が「高いよねえ,ほとんど場所代だよね」と言ったことを覚えている.青山にあったフラミンゴカフェだ.今調べると閉店しているみたいだったが,3年ほど前に友達と飲みに行った覚えがある.最近閉店しちゃったのかな,COVID-19の影響もあるし.

夜行バスに乗って関西へ帰るとき,私はバスの中で,やはり彼女のことを考えてた.彼女と一緒にいるにはどうしたらいいか,やはり大学院生になってまで関西にいるようではダメだから,関東の大学院に進学するしかない.そのためには色々やることがある.などと考えていた気がする.そうすると彼女からメールが着て「あなたのことが好きみたい」,というようなことが書かれてた.「俺も好きだよ,付き合おうか」と返したら「こういう言い方はずるかったかもね」と返信が着た.彼女も私のことを考えていてくれたと思うと,すごく嬉しかった.

その後関西へ来てくれたり,俺が関東へ行ったり,これは別れた後だが,丁度私が実家に帰省してる時に近くに観光に来ていたので,地元を案内したこともあった.後腐れがない別れだったので,別れた後も少し交流があった.彼女に内定が決まった時は、私に一報をくれた.俺が関東の大学院に受かった時も,彼女には連絡した気がする.

彼女は俺にとって、記号的にも象徴的にも「東京の女性」だった.都内に生まれて都内で育って,都内の女子高(制服が可愛いと有名なところ)から青学に進学して,青山のカフェでバイトして,あとサブカルにも詳しかった.確かキリンジの良さを教えてくれたのは彼女だったはずだ.『スウィートソウル』という曲が良いよ,『雨は毛布のように』も,と教えてくれた.彼女は,何もわからなくて無意味に都会に憧れてる俺を馬鹿にするわけでもなく,色々なところに連れ出してくれて,色々なことを教えてくれた.だから本当に大好きだった.

なんだかんだあのまま彼女に引っ付いて回って,近くに住んで,ずっと一緒に居られれば,今と全然違う生活で,それはそれで幸せだっただろうと,今でもたまに考えることがある.そんなことが可能だったかはわからないけど(フラれちゃったわけだし).でも当時の俺たちにはやるべきことが沢山あって,そのためにお互いのことを気にしてる余裕はなかったんだ.2人でそういう話をして付き合いを解消した.

別れた後は,やるべきことにほぼ全てのリソースを割いた.彼女と一緒にいるには関東にある大学院に進学するしかなかったから,当時私は大学2年から3年になる時期だったが,それまでの授業で受けた参考書を全て読み直した.線形代数も微積分も回路理論も電磁理論も解析学も全部,幸いにも時間はあったからそれができた.今考えると当時のあのような勉強のやり直しは,今行っている研究の土台になっている.つまるところ,彼女のおかげで今の私があるということだ.院試を受けて無事関東にある大学院に進学した.新しいラボでの研究は私にとって新しいテーマだったので,苦闘しながらも研究をして,論文を何本か書いた.卒業して都内の企業に就職した.何年か働いた後に転職して,社会人博士課程として大学院に通う許可を得て,なんとか研究計画書を書いて入学して,論文を書いたりリジェクトされたり,そんなことをしていたら10年経ってしまった.今は今で他の生活を考えられないほど幸せだから,やはりこれ以外の選択肢は考えられない.彼女のことは大好きだったけど,タイミングが悪かったとしか言いようがない.

そんなことはありえないけど,今当時と同じように出会えたら,多分一生一緒にいるんじゃないかと思う.まあでも,彼女の人生の一端に関わることができただけで,私はとても嬉しい気持ちになるんだ.当時の俺は本当に青臭くてくすぶったガキで,彼女とのことを思い出すとくすぐったくなるような記憶が沢山ある.もっと上手くやれたんじゃないかって,まあ恋愛なんてみんなそんなもんなんだろうけど.

彼女に関しては,顔が可愛かったとかそういうことじゃなくて(可愛かったが),彼女といるとなんでもできそうな気になれたんだ.あまりそのように感じる人はいないから,彼女といるとすごく落ち着いた自分でいられた.スタバのホワイトモカが好きで,キリンジを教えてくれて,青山学院大学に通っていて,おっとりしていて,それでいて頑固なところもあった.母親と仲が良くて,弟のことが好きで,家族を大切にしているようだった.付き合っている頃に急に電話がかかってきて,「帰り道の夜道が怖いから電話しちゃった」と他愛もない話をしたり,そういう女性だった.

この話には余談があり,彼女の「内定出たよ」の一報とほぼ同じタイミングで高校時代に付き合ってた子からも「内定出たよ」と連絡が来た.2人は同じ会社から内定を得ていた.そのことを伝えると,後日ニコニコ笑っている2人が写ったツーショット写真が(高校時代の彼女から)送られてきて「そんなことがあるのか?」と笑ってしまった.なんかこのエピソードは女たらしみたいで嫌なんだけど,俺人生で彼女がいたこと約3回しかないからね.滅多に女性と付き合わないので...

この思い出は綺麗過ぎて、夢でもみてたんじゃないかと思う.でもiPhoneの写真見ると当時の彼女の写真もあるんだよね,アラスカの写真もあるし……….他人との恋愛の話を勝手にするのはあまり好きではないし,この話は誰にもしないつもりでいたんだけど,まあ10年経ったから良いでしょう.もし彼女がこの文章をみることになったとしても,見逃してほしい.書かなければ無かったことと同じになってしまうだろうし,そうなるのは怖かったからここに書き残しておく.

そういえば,この曲を聴くと当時のことを思い出すんだけど,その頃この曲は聞いていなかったはずだ.多分この曲の声の調子がキリンジと少し似ているからだと思う.彼女は私に「キリンジってバンドすごくいいよ」と教えてくれたから,キリンジは当時よく聴いていた.

このツイートは下記の一連のツイートを元に記述しています.



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