見出し画像

AIと人間が共存する未来とは

 

 囲碁は長らくボードゲームの中で最後までコンピューターが人間に勝てないゲームとされてきた。しかし、その神話は2016年にgoogle傘下のDeepmind社が制作した「Alphago」が世界のトップ棋士の一人である韓国の李世ドルを4勝1敗で勝利したことで粉砕された。
 AI(人工知能)は人間の能力に刻々と迫っている。その危機感のせいか、よくAIに関する話題をよく耳にする。人間の仕事はAIに取られてしまうのではないか。AIに出来ないことは何だろうか。我々高校生なんかはAIに仕事を奪われないような人間になれとよく教師に言われるものだ。
 そこで今週のディスカッションのテーマを「AIの未来」とし、AIというのは如何なるもので、それが本格的に社会に参集してきたらどうなるのかを議論した。そして、議論が進むにつれて「未来」を「近未来」と「超未来」と分けることで2つの結論が生じることが分かったのである。

 まず、近未来の観点で導いた結論は「AIの啓発」が今後、非常に重要になってくるだろうというものである。
現在、AIというものは非常に複雑で、一部の専門家にしかその実態がわかっていない。その他の一般人には、AIには何ができて、何ができないのかがわかっていない。したがってそれが、AIがシンギュラリティを起こすのではないかといったAI像が独り歩きしている現状を生み出したのではないかと我々は考える。(シンギュラリティが起こらない理由は新井紀子氏の著書『AI vs 教科書が読めない子供たち』を読んでいただきたい)

 AIの技術を高める一方で、それを汎用化し、専門の知識を持っていない一般人でも使えるようなAIを作れば、広くAIに対する理解が深まるのではないかと我々は思う。また、それによってAIの限界を知ることもできるはずだ。AIの限界を知れば、その使い方も変わるだろう。

 倫理感の問題も浮かび上がってくる。「弊社はAIを採用したため、それに代替される部署のリストラを実行します。」という事例が今後起こりうる。しかし、それではリストラされた社員はかなり酷な状況にさらされることになるだろう。それは倫理的に、或いは経済的に問題があるだろう。
 したがって、現在すでに存在している企業がAIの導入によって人員削減をすることができないため、採算が悪化し、潰れる。一方、新しく生まれる企業は初めからAIが導入されているため、人員削減について考慮する必要がなくなる。よって、企業の新陳代謝をよくすることで、「AIによるリストラ」は発生しないのではと我々は考える。

 AIが企業をはじめ、社会により取り入れられるようになると同時に、規制もかけられるはずだ。例えば金融である。
 AIが大量のデータをディープラーニングによって分析し、最も成長しやすい企業を上場企業の中から選び出すことができるようになったらどうなるのだろうか。我々は金融システムが崩壊すると考える。AIというのはディープラーニングをさせるデータが同じならば、どんなに多くのAIプログラムを用意しても同じ結論が出るはずだ。となると、一気に特定の企業に資金が集中し、ほかの企業に資金が回らなくなるだろう。
 今後、インサイダー取引のように、投資にAIを使ってはならないとする法律ができるはずだ。とはいえAIはプログラムであるため、それ自体に規制をかけるのは難しい。よって、取引量、情報量に一定の制限をかけるのではないか。そしてそれを公取委が捜査する。それもAIで。

 以上のことが近未来に起こりうると我々は考える。では超未来的に見るとどうなるか。
 現在、AIが完全に人間の能力を超えることはないと考えられているが、もし、人間を超えるほどの技術を未来の人類が開発したとする。その時、AIは神のへの道になるだろう。

 我々は「人間は経済を捨てる」という仮説を立てた。AIは倫理的に許容される人間の奴隷になるということである。人間は一つの個体で生存できないと感じ、集団を作るようになった。人間が発達するにつれて、人間は耕作をするようになり、一人で為せない作業を分担することになった。経済学的な言葉でいえば分業という概念が生まれたのである。しかし、今まで分業していた作業はAIによって完全に代替されるのであれば人間は経済活動をしなくてよくなるはずである。

 社会主義の問題点は、どれだけ頑張って仕事をしても与えられる給料が同じならば人は怠惰になるというところにある。しかし、仕事をしなくてもよくなるのだからその欠点は完全に解消される。よって人間は経済を捨てるというのは十分に考えられた。
 しかし、ここには一つ多くの問題がある。人間が人間と同等能力をAIに持たせたならば、倫理や感情も持たせることになる。でなければそれらを必要とする仕事は代替できない。倫理や感情を持ったのなら、それこそAI映画によくある「人間を抹殺しようとするAI」が登場する可能性が生まれる。よって、AIを完全に人間と同等な物にする技術を人間が持ったとしても、それを以上の理由から実際に実装するとは考えにくい。

 人間はAIが登場しても、完全に雇用の代替物にはならないのならばどこまでAIが普及するのだろうか。おそらく、AIに対する恐怖の一線を超えない範囲で実用化されることは間違いない。現在の平均生活レベルを下回る生活をしている貧困や飢餓は無くなる。しかし、社会は神階級、有産階級、無産階級に分類されるようになる。神階級は、冨を持っている者が、ゲノム編集によって身体を改造し、AIと同化する(すなわちAIのチップを脳内に埋め込むことで無限の智を得るようになる)。有産階級はAIに任せてはまずい職業に就く者。そして無産階級は職に就かず、AIによって生み出される富の分配物を得る。
 これはある意味では経済を捨てていることになるかもしれない。しかし、このシナリオではAIは人間を神へ導く道になるのは間違いないが、果たしてこの未来は我々が生きているうちに来るかどうか、さらに踏み込んでいえばその未来がそもそも実現するものなのかどうかは分からない。

 近未来ではAIの啓発、超未来では神への道にAIがなる。これが、今回の議論で導いた「AIの未来」というテーマに対する結論である。

参考文献
・AI vs 教科書が読めない子供たち(東洋経済新報社)/新井紀子
・ホモ・デウス(河出書房新社)/ユヴァル・ノア・ハラリ
・人工痛覚が導く意識の発達過程としての共感、モラル、倫理(https://www.jstage.jst.go.jp/article/philosophy/2019/70/2019_14/_pdf/-char/ja)/浅田稔



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?