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みんな死ぬのが怖いと言うけれど、本当は不死の方が怖いんじゃない?説

各地で卒業シーズン真っ最中。
そんな私は絶賛「花粉と戦い中」。

昨日の3月9日、ふとカレンダーを見てレミオロメンを思い出したそこのあなた。同世代ですかね。
知らない人は3月9日 レミオロメン こちらからでも聞いてみてください。(多分カバーですけど)


さて。卒業というと何を思い出すでしょうか?
悲しさ、寂しさ、新たな門出、新たな出会いが待っている などなど
人によってさまざまだと思いますが私の場合、メンタルが病んでるので春=一番苦手な季節である為「卒業」というキーワードに関してもマイナスなイメージが真っ先に出てきてしまいます。

そもそも季節の変わり目は体調崩しがちなうえ、
春って学生でも社会人でも入れ替わりの時期でもある為忙しいじゃないですか。
対人関係にやや難ありな私は学生時代春に鬱になってからというものそれ以来特に春は「不安定」な時期なんです。

まぁそれは置いといて。

精神的に不安定な時期が来ると避けられないのが「死」の連想。
哲学思考的に「死とは」を考える事は日常ですが不安定時期に入るとどうしても「実行」レベルに落とし込みがち。

さてさて。そんなあなたに朗報です。(?)

仮説
みんな死ぬのが怖いと言うけれど、本当は不死の方が怖いんじゃない?説 

ようやく本題に入りました。

堀江さんもよく言ってる(死を考えたくないから、そんな事考えなくてもいいように仕事に打ち込んでるみたいな)んですが
みんな「死ぬのが怖い」って言いますよね。

まぁそういうこと言わない人は「んじゃいっちょ死んでみるか」って死んじゃうから、今現在生きている人はそりゃ「死ぬのは怖い」って言うよね、という言い方もできるんですけど。


よく考えてみてください。
死ぬのも怖いけど、死なない事の方が怖くない?
仮に
A 自分だけ「老化は進む」けど不死身の場合。
周りの友人、知人はみんな年を取って死んでいく。自分は年を取りつつも死なない。仕方ないから若い子と知り合って仲良くなれて友人になれたとしても、その若い子たちも自分を置いて老いて死んでいく。

B もしくは自分だけ「不老」不死。
みんな老化していくのに自分だけ老化しない。だんだん気味悪がられて最後には自分一人ボッチ。

怖くないですか?

それでは今度は友人、知人たちも死なない「人類不死説」と仮定して。
C まず「老化しない」前提で考えると、どの段階で成長が止まるのかとか考えるとキリがないので


D 「老化は進む」けど死なない場合。

ガイコツみたいな老老人たちがうようよいる感じ。
身体の自由もきかないし、だんだん生きる気力がなくなってくるんじゃない?映画 パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち みたいな。

自分の黒歴史とかも一生語られちゃいます。
世代交代しないので技術の進化も今より遅い。
老人たちが自分たちの利権争いで椅子を譲らないからね。
例えば
スマホよりガラケーの方がイイよね派の老害のおかげで今ほどSNSが発達しないとか(それはそれで人類の為にはなるのかもしれませんが)
なんなら
「パンツ?冗談言っちゃあいけねえよ。男は黙ってふんどしだろ!」
みたいな輩のせいで服屋の一部には必ずふんどしコーナーが。

昔は洗濯板で洋服洗っていたのに最近の若い子はみんな洗濯機なんて使っちゃって。あんなものでキレイになるなんて気が知れないわ~とか。

まぁちょっと考えたたけでもキリがないのでこのへんにしますが

人間のような不完全な生き物は、不完全だからこそいいのであって
不死なんて技術を手に入れたら多分使いこなせないんだろうなと。

人間、いつか死ぬから「今を大事にしよう。」と頑張れる。
それが「人間、死ぬわけじゃないんだからのんびりいこうぜ」なんてやりたいことをやる原動力も奪われる。

そもそも人間ある程度老化すると「認知症(ボケ)」が始まり、死への恐怖を和らげる機能があったりとわりとシステム的には優秀にできてるので一概に「死なない」と言っても結構考えるのめんどくさいんですけど。

そんな事を考えてた休日のある一日。みなさまの感想なんていただければ幸いです。

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