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概念のデザイン#1 「福生(ふくお)」

子供の頃から「福生(ふくお)」という自分の名前がずっと嫌だった。「幸"福"に"生"きる」なんて自分の状況とは遠すぎてギャップに情けなくなったし、名前の発案者である両親とは関係が悪く、名付けた責任を負わない態度に不満は溢れていた。いろんな状況をひっくるめて、とにかく大嫌いだった。

そんな思いを余所にして、珍しい名前であるせいで、周囲との会話ではよく話題に取り上げられてしまう。「素敵な名前ですね」なんて褒められるたびに、「いつも漢字変換で困ってて、しかたなく"ふっさ"で変換してるんですよ」とか、「発音がしづらくって、特に外国人に通じないんですよねー」とか、ネガティブな評価を被せ気味に語って、それ以上話が広がらないように努めた。ちょっと突っぱねる感じも態度に出てたかもしれない。実際、唇の動きがややこしく呼びやすい名前ではないのか、あるいは気さくではない僕のキャラクターのせいか、友人知人からは苗字で呼ばれる場合がほとんどで、名前を意識する機会は最小限に抑えることができた。

この名前に対する嫌な思いは、今ではほとんどなくなっている。それは、2人の人物がくれた言葉のおかげだ。

そのうちの1人は、大学でデザインを一緒に学んだ同級生の女の子。就職活動がいよいよ迫ってくる学部3年目、作品集を手厚くする狙いで教授陣が計画した重たい制作課題を、たまたま実習室に残った2人で、雑談しながらだらだらと進めていた。そんなときに、何の流れだったか「福生って良い名前だよね」と言葉を投げかけられた。出た、この話題、と、忌避感が湧いてきて、話題を逸らす言葉をいつものように探す。しかし、僕が口を開くより先に、彼女は「だって"福"を"生"むんでしょ、デザイナーっぽいじゃん」と続けた。この言葉が、とても新鮮で衝撃だった。

「幸"福"に"生"きる」ではなく、「"福"を"生"む」。自分ひとりにとっての"福"ではなく、他人のための"福"。言葉の意味が、概念が、ひっくり返った。望んでもないのに与えられて、一生抱えていくのだと思っていた名前の意味が、一瞬で作り変えられて、まるで呪いが解けたような心地だった。しばらくは、ぼーっと感動して、会話がうまく続けられなくなって、きっと変に思われた。相手に彼氏がいなかったら、惚れてたかもしれない。そのくらい自分にとって大きい出来事だった。この数年後に、僕はプロのデザイナーになり、福を生んで、世の中に届けようと、なんとか日々頑張っている。

『哲学で抵抗する』(高桑 和巳著)によると、哲学とは「概念を云々することで世界の認識を更新する知的な抵抗である」という。概念とは与えられて変えられないものではなく、創造・廃棄・歪曲・流用しても構わないとの考え方だ。自分の名前の問題をきっかけに、この考え方を意識するようになってからは、人生の諸問題を乗り越えるために、いろんな概念を自分のために作ってきた。ただし、僕は哲学者ではなくデザイナーなので、この抵抗にデザインの方法で取り組んでいる。概念を感性で捉えて、作りながら考えて、新しくする。そうした「概念のデザイン」活動について、これからいくつか書いてみたい。

ちなみに思いを変えてくれたもう1人は、下品さで有名なロックミュージシャン、ノエル・ギャラガー。彼が日本ツアーを行った際、福岡のことを「ここはフ●ック(FUKUOKA)って言葉が入っているから好き」と語った。「福生(FUKUO)」も同じ理屈で、きっと好きになってもらえそう。しょうもなくって、馬鹿馬鹿しくなって、安心してしまった。


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