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パリでもないのに~ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ篇~|②翼よ、パリの火はまだ見えない

コロナ禍のパリ留学について独自の視点で綴った片岡一竹さんの好評連載。これから留学を考えている方々におすすめなのはもちろん、パンデミックが留学生にもたらした影響について記した貴重な記録です。
パリから帰国して2か月になろうとする片岡さん。今回は栃木のご実家から、渡航までにこなさなければならなかった大量の事務手続きについて振り返えります。

 一ヶ月のご無沙汰である。皆さん、お変わりありませんか。

 私の近況だが、帰国から一ヶ月強に亘る東京への一時滞在を経て、今月の初めに栃木の実家に戻ってきた。というのも本2022年9月末を以って学振こと日本学術振興会特別研究員DC1の任を解かれ(本当は今年の3月で終わりの予定だったが、コロナの影響を鑑みて半年間延長された)、修士時代以来の無一文へとふたたび舞い戻るからだ。副業で生計を立てながら生きていくには東京は金がかかりすぎる。よって実家に都落ちして「子供部屋おじさん」という令和最新のトレンドを身に纏ったイマい若人に身を化し、小学校時代に鉛筆の先で明けた穴がその変わらぬ姿を留めている学習机に物を置きながら「ゼータガンダム」プリントの椅子に再び腰掛けるほかない。これはあくまでイメージであって、私の机がそうだというわけではないが。

 学振は泣いても笑っても三年で終わり、そこから博士論文完成までの日々は何らかの形で口に糊しなければならない。理系ならいざ知らず人文学系、とりわけ哲学や思想史の博士学生にとって三年間で博論を書くのは不可能に近く、仮にできたところでその他の業績を作る暇がないから「博士号を持っているだけの無職青年」あるいは中年になって終わる。さりとて博士号もなければ大学常勤職への就職はかなわない。学振の援助を失うこの空白の二年か三年間、人によってはそれ以上の期間をいかにサバイブするかは研究者志望の全博士学生にとって未だ解決されざる課題である。

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 冒頭からしょっぱい話となったが、今回はこのしょっぱい話が続くので覚悟していただきたい。本連載の趣旨はパリの街角で見つけた素敵なお花の思い出を記すことにあるが、私は朝気が付いたらパリの学生寮の中で目を覚ましていたわけではない。交換留学の申請をして、ビザを取り、航空券を手配して、飛行機に乗ってフランスくんだりまで渡航したのであり、そこにビュロォクラシィの闇を見ること数多であった。特に私の留学は新型コロナウイルスのパンデミックと真っ向からぶつかってしまったので、その終わりなき手続きの煩瑣たるは、カフカの不条理世界を彷彿とさせた。

 パリ留学体験を時系列順に辿っていく本連載の実質的初回は、まず渡航までの日々を記すことから始めなければならない。その無味乾燥とした、つまらないわりに複雑なアドミニストレーションの世界は海外生活の華やかさと無縁であるが、それもまた留学の本質的な一側面なのである。そして割合で言えば華やかなことよりも地味な手続きの方がずっと多いのだ。

 いったい新しい暮らしの始まりは新しい事務作業の始まりでもある。留学とは海外に事務手続きをしに行くことだと言っても過言ではない。

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 話は2019年10月にまで遡る。というのも20年秋学期からの交換留学プログラムの応募がこの月に始まったからである。私は当初、

「おいおっさん、留学だ。フランスに行きたい」
「フランスへ? ……お前さんいい目をしているな。気に入った。行ってこい」

 みたいなやりとりを事務所と行えばフランスに行けるのだとばかり考えていたが、実際にはそう甘いものではなく、Webを通じて個人情報と志望大学リスト(第七希望まである)に加え留学計画書3000字を提出したうえ、Webとは別に指導教員のサイン付きの推薦状、保護者のサイン付きの誓約書、学部時代から博士に至るまでの全成績証明書に加え、語学能力試験の公的証明書(なぜか原本に限るうえに返却なし)を大学の留学センター持ち込みで提出しなければならない。これだけでも生半可な覚悟の学生を振るい落とすには充分すぎる。

 しかも私は次年度の留学に踏み込むかを最後の最後まで迷っていて、締め切り前日の夕方にようやく決意したのであるが、その土壇場も土壇場になって上記の書類を提出する必要を知ったのだ(Webの申請フォームにちゃちゃっと登録すれば済むと思っていた)。泣きながら携帯の片隅に残っていた着信履歴を頼りに指導教員の電話番号を探し出し、無礼極まる電凸を行って翌日のアポイントメントを取り付けるや否や、「今から二時間後に帰省するから駅に迎えに来い」と親に連絡しながら湘南新宿ラインに飛び乗り、地元の駅で父親と再会して書類にサインをもらうが早いか(正味30秒)、そのまま東京方面の電車に駆け込んで、車内で計画書を書きながら東京に帰った。日付が変わる頃にようやく帰宅したのちには、全盛期の坂口安吾の書斎ほどに散らかっているアパート中に山積した無秩序な書類の束をひっくり返してTCF(フランス語能力試験)のスコア表を発掘する作業が待ちかまえていた。
 そして翌日事務所に駆け込んで英文成績証明書を取得し(手数料が1,000円くらいかかった)、留学センターに設置されたボックスめがけて全書類をうおおおと投げ込み、晴れて申請が完了したのであるが、この時点で留学が終わったくらいにエネルギーを使い果たしていた。迷惑をかけた各所には陳謝したい。

 無事に申請が済むと今度は面接である。この面接の情報も錯綜していて、先達に聞くと、面接官二人がフランス人ないしフランコフォン(仏語話者)で、ほとんどフランス語で行われたという者、フランス人と日本人が一人ずついて面接もフランス語と日本語が半々で進んだという者、フランス人の方はほとんど口を開かずもっぱら日本人面接官に質問されたという者、なぜか英語での質問が飛んできたという者……など様々なバリエーションがあり、どう対策してよいか途方に暮れた。

 仮に日本語の面接であれば対策の必要もなかろうと、一応フランス語で行われることを想定して準備を進め、全く喋れなかったらどうしようかと募る不安を前に腹を痛めていたが、当日震える手で面接室のドアを開けると、果たして面接官は二人ともフランス人であった。
 南無三。これは腹をくくるしかないと決め、フランス語で喋ると意外にも会話が進む。小粋なジョークも決まりすっかりいい気になっていると、面接時間が半分を過ぎたあたりで面接官の一人がやおら流暢な日本語で質問を繰り出し、え日本語喋れるのかと驚く暇もなくこちらの留学計画に対して冷徹な質問を飛ばしてきた。仏語で話していたときの和やかさは何処、面接室内は緊張感で包まれた。結局のところ日本語の質問の方でよっぽど嫌な汗をかく羽目になったのだった。

 面接を経て校内推薦の結果が開示される。確か十二月の初めだった。無事に第一志望の新ソルボンヌ大学(昔のパリ第三大学)に留学できることが決まった。実を言うと面接の結果は、逆上して面接官をひっぱたくなどの所業に及ばなければ、それほど影響しない。結果を左右するのは、同じ大学への志願者がどれくらいいるかである(ちなみに被った場合だが、仏文科の院生→その他の院生→学部生という順番で優先されることが内々に決まっているようだ。面接はあくまで形式的なものであろう)。

 ここまで来ると、翌年の渡航に備えた語学学習は別として、事務手続きとしてはしばらくやることがなくなる。語学能力試験で所定のスコアが取れていない場合には、翌年の現地出願(後述)を控えて、ここで必死になって試験に合格するために勉強する必要があるが、幸いにして私はもう基準をクリアしていた。というよりも、なぜか新ソルボンヌ大学の要求水準が異様に低かったのだ。普通は全6レベルのうちレベル4(B2)かレベル5(C1)が要求されるのだが、なぜかレベル3(B1)で大丈夫だったので、ならそれでいいやと怠けていたのである。なおその後に至るもこのスコアは更新されていない。

 次に動き出すのが翌年の三月であり、現地大学に出願手続きを行わなければならない。この時点でデジャヴめいているが、その前に行ったのはあくまで交換留学の校内推薦を決めるための手続きであり、推薦者となった後には実際に現地の大学に登録しなければならない。この手続きは全部オンラインで済むのだが、フランス語でCV(履歴書)を作り、校内推薦出願の際に書いた志望動機書もフランス語で書き直す必要があるのが大変なところだ。もちろん私は例によって締め切りの二日前くらいに準備を始めたのでネイティブチェックを受けるような余裕はなかった。

 ところで、ここに一つのトラップがある。現地出願の際に語学能力試験の規定水準以上のスコア表を提出しなければならないのだが、このスコア表は校内推薦への出願の際にすでに大学に渡してしまっている。しかも原本をだ。そして大学は提出書類を返却しないと明言している。すると事前にスキャンなどしておかない限り、ここで提出すべきスコア表がすでに失われているという由々しき事態に陥る。
 私はたまたま語学能力試験を二度受けていたので、何とか危機を免れた。一度目の試験の結果に落ち込み、語学学校に十万ほどつぎ込んで受けた夏季集中講座を経て再度試験にリベンジした結果、スコアは逆に減少した。その場で結果表を破り捨てたい衝動にかられたが、そうしなくて本当に良かった。

 そして上述したような半年に亘る面倒至極の手続きを経て、遂に2020年5月、春の陽気もうららかなる頃、新型コロナウイルスの影響による交換留学プログラム中止を現地大学から告知されるのである。すべての努力が水泡に帰す。

* * *

 そして半年が過ぎた2020年10月、また留学手続きが一から始まる。校内推薦への出願からやり直しだ。賽の河原で長年石を積んでいる幼子でさえやってられっかと逃げ出すであろう。だが他に道はない。
 すでに書類は一年前に作成しているので、それを僅かに修正して提出すればよいのだから、前年に比べれば負担は少ない。だが親や指導教員のサインは貰いなおさなければならない。親に関しては夏にかなわなかった帰省をこの時期に行うことで対応できたのだが、問題は指導教員だ。ゼミもすべてオンラインとなり、指導教員と直接顔を合わす機会はない。よって、

(1) 大学のホームページから推薦状のデータをプリントアウト
(2) こちら側で記入すべき必要事項を埋めた後でスキャン
(3) データをメールで指導教員に送り、向こうでプリントアウトしてもらう
(4) 署名捺印を済ませた上で再度スキャンして、こちらにメールで返送してもらう
(5) 返送されてきたデータをプリントアウトして大学に郵送

という何かの間違いのような回りくどい手続きを経由し、一通り紙資源を無駄にしたのちに提出したのだが、後日大学から「提出は原本しか受け付けねえ」という有難いお言葉を頂戴したので指導教員に再び頭を下げ、自宅まで書類を郵送してもらい、それを大学に転送する必要があった。
 
 校内出願を経て二度目の面接に臨む。昨年と同じ面接官に昨年と同じ質問をされた。向こうも「また来た」と思っていただろう。そして翌年3月の現地出願へと至るのであるが、このあたりは全くの繰り返しなので省略する。

 前年と比べて変わったのは、12月の校内推薦者内定から3月の出願までの間に現地大学での指導教員を決めろと留学センターから言われたことである。前年度においてもこれは必要な過程だったはずだが、なぜか前の年は何も言われなかったので何もしなかった。このように一貫して受け身であることが私の留学の特徴である。
指導をお願いしたい先生はすでに決まっていた。そもそもその先生がいたから新ソルボンヌ大学を第一志望にしたのである。縁もゆかりもない謎の東洋人が唐突に一年間のお世話をお願いするのであるから、メールの文面も、

 Please accept the direction of my research or die.

というようなものであってはならない。ゼミに代々受け継がれるそれはそれは丁寧なメールをコピペして一部修正し、大学のサイトに記載されていたアドレスに宛てて送付した。

 私はもとよりこうした「偉い人への連絡」に人一倍気を病む質である。文面の一言一句に失礼がないか、儀礼を重んじる余りに不自然な文章になって相手に負担を与えていないか、と気を配り、PCモニターに穴が開くほど自分の文章を読み直した挙句、訳が分からなくなって逆に無礼千万のメールを送り付ける。まして不慣れな外国語でコミュニケートしなければならないのだから心労は数倍である。

 すでに文面は他人の手によりあらかた完成しているにも拘らず、夜の10時過ぎから作業を始めてようやく送信ボタンを押す頃には朝の4時を回っていた。フランス人、特にフランスの大学教員はメールの返信が遅いことに定評がある。数か月経って返事が返ってこないということもざらと言う。気長に待ち、あまりに返事が来ないようなら催促するしかない。いずれにせよ今日はやるべきことをやった、風呂に入って安らかに休もう。そう思っているとパソコンの通知音が鳴った。先生からの返信だった。

 早すぎはしねえか。

 普通朝の4時に返信が返ってくるかと思ったが、時差を鑑みればフランスはまだ夜の八時である(冬時間)。仕事中の時間でもおかしくはない。そして向こうが即座に返信してきたのだからこちらも即座に返信しなくては、という義務感に駆られ、眠い目をこすって数度のやり取りを経た結果、多分こっちのメールはなかなかに滅茶苦茶だったと思うが、無事に受け入れを承認してもらえた。恐るべきスピード感である。
 この時はもっとゆっくりやってくれよと思ったものだが、メールの返信が早い指導教員に巡り合えたことは後から考えれば幸甚であった。というのも渡仏後に周りの学生から聞こえてくる悩みの大半が、「指導教員が返信をくれない」ことにあったからだ。私は恵まれていたのだ。返信が早いあまり往々にしていい加減な返事を寄越されるという点を除けば。

 実は依然冷めやらぬコロナの影響を鑑みた大学側の粋な心づかいにより、この後さらに面倒くさい一波乱が生じるのであるが、残念ながら今回はもういい加減長くなりすぎた。ずっと椅子に座ってPCに向かっていたらいい加減腰が痛くなってきたので、帰国直前と直後の話は来月に回させてもらう。

 ちなみにこういう椅子です。

片岡一竹
早稲田大学文学研究科表象・メディア論コース後期博士課程。著書に『疾風怒濤精神分析入門:ジャック・ラカン的生き方のススメ』(誠信書房、2017)など。

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