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身体科におけるアピアランス〈外見〉問題のアセスメント(『子育て支援と心理臨床』④より)

 子育て支援に関わる人々の協働をめざし、心理臨床の立場から子育て支援の取り組みと可能性を発信する雑誌『子育て支援と心理臨床』が、年1回小社から刊行されています。各号では子育てに関わる様々なテーマを特集してきましたが、そのほかにもエッセイや連載などで多角的な視点から子育ち・子育てを考える記事を掲載しています。このコーナーでは、そのなかから特に人気の記事・連載を紹介していきます。
 前回に引き続き、医師の原田輝一さんによるアピアランス〈外見〉問題に関する連載を掲載します。

 現代社会において、人の健康や幸福と深く関連する外見(アピアランス)。病気や外傷により外見に不安や困難を抱える人々に、どのような心理社会的支援を行っていけるのでしょうか。
 原田輝一さんは、医師として治療に携わりながら、新興の学術分野である「アピアランス〈外見〉問題」の最新の研究成果を紹介し、その学術的知見と技術の導入をめざしています。本連載では、アピアランス〈外見〉問題の概要や、それに対処するための研究とケア開発の歴史について、事例を交えながら紹介していただいています。

*下記の内容は、『子育て支援と心理臨床vol.19』から転載したものです。『子育て支援と心理臨床』の詳細はこちらをご覧ください。

*  *  *

 新年度そうそうのある日、さて本日もお開きにしようかというころ、急患が駆け込んできた。慌てふためいた母親が、ケガをした5歳の娘を連れてきた。見れば、右の頬に2センチほどの傷がある。状況を聞くと、幼稚園でほかの子らと遊んでいて、転んだ時に遊具にぶつけたらしい。
 母親はたいそうな緊張状態にあり、矢継ぎ早にことの次第を話した後、「傷跡は残るんでしょうか? 残らないですね!」と血相を変えて何度も聞いてきた。その勢いに圧倒されながら、
「傷跡は必ず残ります」
「そんな無責任な! 元には戻らないんですか!」と母親のギアが一段上がる。
「目立ちにくく仕上げるための工夫はあります」と私はしどろもどろ。
 診察室に入ってきた当初じっとしていたその子は、やがてガサガサと動き回りはじめ、手当たり次第に目に付くものに触れて回った。いよいよ母親のギアは全開になり、その子を小突き、大きな声で叱ってじっとさせようとした。だがその圧力に負けず、診察室を珍しそうに見回しながら、踊るように動き回るのだった。母親の堪忍袋の緒も切れようかという時、この子の動きを観察していた私は静かに言った。
「大丈夫ですよ。危ないものは触らないように気をつけていますから」
「もおー、いい加減にしてよ! あなたをここに連れてくるの、本当に大変だったんだから! ちゃんとしてよ!」
「傷は開いていますから、縫合したほうがいいでしょうね」
 そう告げると、当然のごとく母親は希望した。
 それから局所麻酔の話にはじまって、縫合と抜糸、抜糸後に傷跡を目立ちにくくするための工夫を説明した。その間も母親の目つきは厳しく、
「傷跡は残りませんよね⁉」と同じ質問を繰り返した。
 その時ガチャンと大きな音がして、その子が座ろうとして椅子ごと倒れた。すぐに元気よく立ち上がり、再び周囲のものを物色しはじめた。これまた当然のごとく母親はかんしゃくを起こし、烈火のごとく怒ってその子を小突いて制止させた。
 落ちつきのない子、完璧主義で余裕のない母親、加えて2人の悪循環。微細な縫合処置は無理かなあと思いつつ、処置台の上にその子を寝かせた。5歳の子どもの縫合処置
は簡単でないことが多い。まだまだ恐怖心が強く、自制してじっと耐えることができない。結局は押さえつけながらの処置になることも少なくないが、危険だし、縫合の出来に差し障るし、後の通院への恐怖心も大きくしてしまう。たいていの子は局所麻酔を打ったとたん痛みに驚き、そこから泣いて暴れてしまう。その子が不安がらないよう、母親には横についてもらうことにした。
 傷に麻酔薬ゼリーを塗ってしばらく待つと、傷口をピンセットで挟むぐらいの痛みは感じなくなる。そうして傷を開いて、中に砂やプラスチックなどの異物が迷入していないか確認した。
 次にいよいよ傷口近くの皮膚へ局所麻酔薬の注射をするのだが、これがなかなか痛い。痛覚神経の感覚終末は皮膚にある。そのため皮膚が一番痛く、擦り傷が一番痛い。ひどいケガほど痛くないのは、深いところにも痛覚神経はあるものの感覚終末はないからで、つまり感度が低いからである。今回は例外的だが、皮膚にではなく、傷の中から脂肪内へ注射することにした。とは言え、麻酔薬を圧力をかけて押し込むので、どうやっても痛みは感じてしまうが、皮膚を刺す鋭い痛みは感じずに済むわけだ。注入の直前、母親へ事前通告する。
「暴れたら押さえますからね。あまりに暴れると縫えな
いかもしれません」
 その子には「おみやげシール」を見せて、せめて注意を分散させた。母親は固唾をのみながら、私は自分の運の悪さを恨みながら、ことの成り行きを見守った。その瞬間、その子は一瞬全身に力を入れたが、じっとしていた。すぐに目を開けて、シールのキャラクターを検分しはじめた。シールをご褒美に子どもを騙す姑息な手段に、われながら引け目を感じないわけでもないが、まあ急場には仕方あるまいと私は高をくくっている。
 縫合糸には2種類あって、数か月で分解されて溶ける糸と、ナイロン糸のように溶けないものがある。溶ける糸は皮膚の下で縫い締める。ナイロン糸は皮膚を直接縫うので、確実に皮膚を合わせられるが、後日の抜糸が必要だ。この子の皮膚はまだ薄く、その下で溶ける糸は炎症を長引かせる可能性があるため、ナイロンで皮膚だけを縫うことにした。髪の毛よりも細い糸で、細かく正確に皮膚同士を合わせていく。意外に大人しくしてくれたおかげで、細かく10針近く縫えた。
 縫合処置中も母親がこの子をなじるようにしゃべり続けたおかげで、家庭環境も、母親が1人で仕事も抱え込んでいることも、その他さまざまな事情があることもよくわかった。つまりこの母親は、目一杯になってしまって余裕がもてないのだった。

身体科における特徴

 これまでの3回のエッセイで、新興の学術分野である「アピアランス〈外見〉問題」と、その対策としての「包括的ケア(段階的ケア)」を紹介してきた。
 自分の可視的差異になんらかの焦点が当たっている場合、初期に患者が問題を訴えてくる先は身体科(精神科以外の科)となる。身体科では、疾患そのものや、治療による副作用の「痩せ」「やつれ」も原因となることから、すべての診療科はアピアランス〈外見〉問題を抱えている。学生時代、将来誕生するだろうこの領域に漠然としたイメージをもった私は、卒業後、その具体化を模索すべく、該当しそうないくつかの身体科で医業を行ってきた。振り返れば前半の15年余り、最初のアセスメントの段階で失敗ばかりくり返していた。今回のエッセイでは、身体科が直面するアセスメントの特殊性について触れようと思う。

  • 熱傷や外傷などの救急外傷は、事故・事件として突発的・偶発的・不可避的に発生する。後日、患者が思考整理する時期になって、そうした点が複雑に影響してくる。被害者でない場合でも被害者意識を強くもち、それに没頭し、心理的・身体的反応も激しくなる。

  • 口唇口蓋裂・頭蓋顔面疾患など先天性領域では、まず出生前診断から親にストレスがかかる。異常が指摘される場合もあれば、逆に異常がないと思っていたところに想定外の現実が突如現前するといった場合もある。そして本態への手術治療を、場合によっては成人に至るまで複数回受けていく。外見の形態に加えて歯列矯正や構音訓練の必要があり、合併症も多岐にわたる。患者は学童期を通過していくので、からかい・いじめ・思春期の問題を経験していく。

  • がん領域の患者は増加が著しく、近年注目が集まっている。副作用による髪・皮膚・爪などの症状が多いが、近年は頭頸部がん手術による顔面変形や瘢痕による問題も増えている。患者数は多いが、治療後に変化するかもしれない対人関係への不安が主で、早期介入できれば心理社会的改善は得やすい。

  • 一般人における正常範囲内の不満足(normative discontent)。正常範囲内にもかかわらず、不安や抑うつを強く訴え、日常生活に支障をきたしている人が増えている。メディアやSNSの影響も大きい。根本にあるアピアランス不安が、様々な様相(経済的不安、対人関係不安など)へ変化するので、原因として特定しづらい。

 身体科の外来では、眼前にある症状の治療以外に多くの時間を割くのは至難の業である。そんな状況の中で、家庭状況や対人関係からはじまり、思春期問題・母娘関係・マスメディアや双方向性メディアからの影響などを聞き出すのは不可能である。またアピアランス〈外見〉が関与するケースでは、本人や家族も問題の本質がどこにあるか気づいていないことが少なくない。逆にわかっていても、それを隠して回避しようとすることも多い。つまり核心的問題は、気づきにくく隠されやすい構造の中で堅守されている。
 本人だけでなく、家族も問題を呈することもある。例えば……ある家庭で子どもが顔にケガをしたとする。体表面のうちでも露出部は隠しようがなく、周囲の注目は避けられない。母親が過剰に反応して対人不安をもち、それを隠そうと躍起になることがある。子どものスキーマができあがる頃に、自分には徹底的に隠さねばならない秘密があると刷り込んでしまうのはよくない。また母親が過剰に他者との接触をコントロールしようとして周囲との衝突をくり返し、結果的に消耗してしまうこともある。

 くだんの母親は完璧主義のうえ余裕がなくなっているので、自分が落ち度と感じている点を隠そうとして、今は娘の行動と傷跡へ干渉することに没頭している。傷跡にこだわることが、自尊感情の維持へと短絡してしまっている。当事者たちの中で、誰の何が問題なのか、停滞している状況に好ましい変化をもたらす可能性があるのは誰か、そうしたことをしっかり見立てる余裕が当時の私にはなかった。介入といっても一発勝負のような情報提供にかけて、後日になってそれらが想起され、よい気づきをもたらすことを期待するのみであった。当然見立てがまったく違っていたり、介入を行う先が見当違いだったりすることはざらで、うまく進展しないケースが多かった。逆に瓢箪から駒が出るように、別の要因が私を助けてくれることもあった。有用な役回りに私を導く要因を、なかなか見抜けなかった。

*****

 5日後、くだんの母子が抜糸に訪れた。診察室に入るなり、子どもに挨拶させようと母親が怒って叱った。抜糸の最中も母親は多くをしゃべり続けた。子はガサガサしはじめるし、母親はさらに怒るし、私は手元に集中しにくいし、やっとの思いで処置を終えた。抜糸後は茶色の紙テープを貼る。ただ貼るだけではダメで、傷跡を寄せるようにして貼付する。これはできるだけ傷跡を細く寄せて、赤く盛り上がるのを防ぐためである。数日ごとの貼り替え方を教え、チェックのために1か月後の再診を説明した。今日は余裕があったので、踊るように動き回っているその子にシールを選ばせながら言った。
「どれでも好きなのを選んでいいよ。いろいろ絵本に貼って遊んでごらん。でもタンスに貼ったらお母さんに怒られるよ」
 じっとシールを見ている子を、これまた母親もじっとにらんでいる。シールを選んだのち、その子は母親と私の顔を何度か確認して、にっこり微笑んだ。
 1か月後のチェックで傷跡の盛り上がりは発生しておらず、経過は良好であった。よく頑張っていますねと2人をねぎらった。しかし、母は不安な点をくり返して問いただしてくる、子は動き回って大きな声で叱られる、そんな関係は少しも変わっていなかった。それでも母親のほうをチラチラと見ながらそれなりに遊んでいるようであり、母親も以前よりは叱り方がトーンダウンしていた。
 3か月後の診察、前の患者のカルテ入力を済ませている間に、看護師がシールを選ばせていた。さてその子を診ようとすると、右の頬にはシュークリームの絵のシールが貼りついていた。顔には満面の笑み。シュークリームが好きかと聞くと、大きくうなずいた。母親は冷や冷やしながら見守っていたが、もう小言は言わなかった。
 指で傷跡に触れてみると盛り上がりはなく、炎症の赤さも硬さも引いていた。予想外のことが発生しなければ今日で終わりにしていいことを告げ、2人の努力を褒めた。
「もう来なくていいんですか?」と母親は心配そうな顔つきで言った。
「ええ、いいですとも。でも少し跡が残りましたよ」
「でもきれいに治ったと思います」と母親は落ちついた声で言った。3か月前のままだったら、どんなに小さな傷跡でも受容できず、私に噛みついていたことだろう。
 母親からその子へ視線を向けて、わざとヒソヒソ声で、
「よく頑張ったね。何かご褒美もらえるかなあ?」と暗に母親に向けて言った。
「何か一緒に食べて帰ろうか? 何がいい?」と母は微笑んで聞いた。
「シュークリーム」と大きな声。私は初めてこの子の声を聞いたのだった。
「よし、じゃあシュークリーム食べて帰ろう。先生、ありがとうございました」
 帰りしなにバイバイする子に、キーボードを叩いていた私はウインクだけを返した。

 外来が終わって掃除をはじめた看護師が、窓を開けながら言った。
「お母さん、丸くなりましたね」
「子どもには自由にさせて、必要以上に緊張したり叱ったりする必要がないことを示せたからね」
「そこまで考えていたんですか。さすがですね」
 窓の外をモコモコとした夏の雲が流れていくのを眺めながら、ささやかな満足感を味わいながら、あの子の振る舞いをぼんやりと思い返してみた。
 あの子、案外協力的だったからね……
 ん?
 ふとあることに気がついてあたりを見回したが、探し物は見つからなかった。あきらめてふと腕時計を見ると、そこにシュークリームのシールが貼ってあった。これはイタズラではなく、プレゼントだと分かった。やられたなあと思いつつ、背もたれに体重をあずけながら、窓の外に目をやった。
 夏風にのってシュークリームのような雲が2つ、悠然と青空をわたっていた。

原田輝一
医療・社会福祉法人生登会医師。急性期~回復期~社会適応期にわたる長期罹患患者において、一貫した心理社会的支援の重要性を認識してきた(特に重症熱傷領域において)。現在は医療福祉連携の全般で、最新の学際的知見と技術の導入を目指している。【主な著書】ジェームズ・パートリッジ著『もっと出会いを素晴らしく:チェンジング・フェイスによる外見問題の克服』(翻訳 春恒社 2013)、ニコラ・ラムゼイ著『アピアランス〈外見〉の心理学』(翻訳 2017)『アピアランス〈外見〉問題と包括的ケア構築の試み』(編著 2018)『アピアランス〈外見〉問題介入への認知行動療法』(翻訳 2018)いずれも福村出版。


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