見出し画像

【先行公開】A・クラインマン『ケアのたましい』日本語版への序文(試し読み:前編)

アーサー・クラインマンはハーバード大学の著名な精神科医、医療人類学者で、「ケア」というテーマの権威である。クラインマンは、妻のジョーンが早期発症型アルツハイマー病との診断を受けた後、自ら妻のケアを始め、ケアという行為が医学の垣根を超えていかに広い範囲に及ぶものかに気づくことになった。本書でクラインマンは、医師としての生活とジョーンとの結婚生活について、深い人間味のある感動的な物話を伝えるとともに、ケアをすることの実践的、感情的、精神的な側面を描いている。そしてまた、われわれの社会が直面している問題点についても、技術の進歩とヘルスケアに関する国民的な議論が経済コストに終始し、もはや患者のケアを重要視していないように思えると述べている。

精神科医・医療人類学者アーサー・クラインマンの最新作『ケアのたましい――夫として、医師としての人間性の涵養』を、8月10日に発売いたします。

発売はまだ少し先ですが、試し読みとして「日本語版への序文」と「プロローグ」を前後編に分けて先行公開します!

本書はAmazonにて予約販売を開始しておりますので、続きが気になる方はぜひ下記URLからご予約ください。
www.amazon.co.jp/dp/4571240910


*本記事は2021年8月10日に発売される『ケアのたましい』から該当部分を転載したものです。

* * *

●日本語版への序文●


   はじめて日本を訪れたのは1970年のことであった。印象深いこの来日を経て、それからは幸運にも幾度となく来日する機会があった。また、何冊かの拙著は日本語に翻訳出版されている。なかでも『病いの語り―慢性の病いをめぐる臨床人類学』は増刷を重ねている。この新刊『ケアのたましい―夫として、医師としての人間性の涵養』も日本語版として世に出ることになり、ほんとうに嬉しく思っている。

 本書は、ときに培われさらに豊かになる可能性を宿した、ときに脆弱化し極端な場合には失われ機械化する危険性を秘めた、人間の感性としてのケアとケアをすることについて書かれたものである。感性は、すべての人間社会の心柱であるから、おそらく感性には生物学的基盤があるのだろう。しかし、子どもの頃のわたしには、それを遺伝的に継承しているという証左がほとんど見られなかった。青年時代が来るまでは、わたしは、無神経で気ままで、家族や社会の一員としての責任に見合う行動を取るのが苦手だった。本書は、46年あまりのときをともにした妻の故ジョーン・クラインマンが、そんなわたしを、情緒的に、人間的に、ケアを理解し経験し実践するよう鍛えてくれた、その在りようを記したものである。原題にある「ケアのたましい」とは、それが家族をケアする者としてのわたし自身の人間的成長の物語であることを意味する。より一般的には、この本は、ケアをすることが人間的・情緒的な成長の過程であると述べている。つまり、私たちひとりひとりが、人間としてケアをすることの責任にどのように直面させられるのかを語ったものになっている。私たちは他者をケアすることの負担と恩恵をいかに引き受けていくのであろうか。ケアが求められる世界で、ケアをする者として成熟していくとしても、長期間に亘るケアを続けるために必要な個人的・社会的援助をほとんど受けられないときには、どのように耐えていくのであろうか。

 本書は、ケアすることの解剖学でもある。関係から〈現前性〉に亘って、実際の日常の所作から情緒的・人間的課題に亘って、ケアの要素を解剖しその要素を詳細に観察している。それは生きている人のケアから旅立った人たちの想い出のケアにまで亘っている。本書には、わたしのように愛する人のケアから学んだ人たちのケアに関する物語とケアの専門職から聴いた膨大なケアに関する物語の一部、自伝的な物語、そしてわたしが治療したり研究したりした人たちの病いの語りやケアの語りが描かれている。

 2040年までに、日本は人類がいまだ経験したことのない、類を見ない新たな現実を迎える最初の社会となるだろう。その年より前ではないとしても、その年には日本の総人口の40パーセントが60歳を超えることになる。この新たな人口統計上の現実に、中国と米国が追随する。それが示唆するところを、本書の主題から考えてみよう。75歳までに、前期高齢者は平均してひとりでふたつから三つの慢性の病いに罹る。85歳までとすると、その数は三つから四つになる。そのなかには、かならずそうなるわけではないが、関節炎のようにおおむね穏やかな経過を辿る慢性の状態もある。けれども、糖尿病や心疾患、がんなど多くの慢性状態は、より重篤な、ときには人生を変えるほどの結末を迎える。また、85歳までには高齢者のほぼ半数が何らかの軽度認知機能障害を経験する。他のほぼ半数は、身体の状態が虚弱であろうと比較的健康であろうと、いずれにせよ認知的・情緒的に生活はかなり大変なことになっていく。それから先の90歳や百歳になると、障害は増加の一途を辿るだけとなる。百歳以上が10万人を超えると、日本はふたたび、後期高齢者が生と死にいかに立ち向かうのかという現実を先導することになるのである。
かつてないほど増え続ける高齢者への、専門職と施設による膨大な量のケアを考えてみると、一般人や医療者や政策立案者の前には、家庭や医療機関における適切なケアの提供に関わるきわめて厄介な、そして非常に差し迫った問題が表面化してくる。ケアの強化を意図してロボット分野で企業家精神をリードする日本人のことを知らない人はいない。その他、多くの科学的、技術的、政策的課題が、今日のケアの危機を巡って生まれている。

 本書は、こうした数多くの新たな現実に踏み込んでいる。その結果、たとえば、人間という生きた存在が必要とされる終末期ケアの場で、ケアを改善するために開発された技術が、まさにケアを制限したり無力化したりするという、何とも悲痛な逆説を目の当たりにすることになるのである。また、『ケアのたましい』はとりわけ、ケアにおける米国の危機に注目している。個人的危機、経済的危機、家族、仕事、職業における危機である。そのなかに、かつて在外研究を行った地である台湾と中国の実例も含めている。本書は、家族や専門職になるための研修を受けている人たちが、どのようにしてケアの重荷だけではなく、ケアを好機と捉えて応えていくのか、そのあり方を明らかにしている。

 最後になったが、本書がケアをすること、生きることのアートのために、一種の叡智を伝えるものになれば幸いである。苦労して手にしたその叡智は、半世紀以上に亘る医師としてのわたし自身の経験からもたらされたものだが、それ以上に、早期発症型アルツハイマー病で2011年に亡くなった妻ジョーンの家族ケアに直接携わった10年以上の経験から生まれたものである。こうしたきわめて重大な経験からの学びが本書には含まれている。ケアは思うに任せないことばかりである。だが同時に、私たち自身の成長にとって比類ない機会を提供してくれる可能性を秘めてもいる。私たちにとって、人生でもっともたいせつなものとは何かを教えてくれるのである。目的のある人生を形作るのに手を貸してくれるのである。

 世界の到るところに、良質のケアを脅かすグローバルな勢いを見る。『ケアのたましい』を繙く日本の読者が、米国、ヨーロッパ、中国、韓国の同胞とともに、その勢いを削ぐ力となるような、巨大なケアの大衆運動を打ち立てていくことを望んでいる。そうして、良質なケアを求める国際的な奮闘が人類の未来を変えていくと信じている。

 おわりに、日本の読者のために本書の難解な翻訳作業に取り組んでくれた皆藤章、江口重幸、吉村慶子、高橋優輔の4氏に感謝申し上げる。

2019年7月15日
アーサー・クラインマン

(後編では「プロローグ」を公開。*こちらからぜひお読みください)

*Amazonにて本書の予約販売を開始しておりますので、続きが気になる方はぜひ下記URLからご予約ください。
www.amazon.co.jp/dp/4571240910

**2021年7月6日修正:本記事公開当初の7月28日だった発売日を8月10日に変更いたしました。本書を楽しみにしてくださっている皆様に心よりお詫び申し上げます。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?