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パリでもないのに~ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ篇~|④麻布十番連続嫌対応事件

コロナ禍のパリ留学について独自の視点で綴った片岡一竹さんの好評連載。これから留学を考えている方々におすすめなのはもちろん、パンデミックが留学生にもたらした影響について記した貴重な記録です。
今回はいよいよフランス大使館へビザ申請に! 出国前の事務手続きもいよいよ終盤です。

 歳末差し迫った今日この頃であるが、皆さんいかがお過ごしであろうか。

 前回の更新から二週間しか経っていないが、今月は二回更新である。
 実は前回の原稿が長すぎたのだ。だから二回に分けることと相成った。先月休んでいるのでちょうどよい。
 したがってこれを書いている現在はまだ十二月の初めである。

 今の悩みと言えば、年末の桑田佳祐年越しライブが当選するかどうかだ。もうすでに三回の先行販売抽選に落ち、すでに通常の指定席は埋まっているが、まだ注釈付き指定席(ステージが見ずらい)と立見指定が残っている。申し込みは済んで結果待ちの状態だ。
 すでに今年のツアーは四公演見ているし年越しもツアーの延長なのでセットリストは変わらないだろうが、それでも愛する桑田佳祐と共に年越しを迎えるのは無上の喜びだ。私は年越しライブが一番好きなのに、これまで直に見たことがないのだ。

 前回、山下達郎のコンサートのために山形へ行って金欠に陥ったと書いたが、あれはほんの一部に過ぎぬ。
 実はそれ以外にもクレイジーケンバンド二回(市川・川越)、THE ALFEE(横須賀)、アリス(有明)、さだまさし(有楽町)に加えて、桑田佳祐のライブに四回(名古屋2days・大阪2days:共に遠征)行っている。年明けには聖飢魔Ⅱ(代々木)と南こうせつ(荒川)にも行く。
 音楽ライブだけ記したが、その他にお笑いのライブや寄席にも少なからず行っている。来年から始まる松任谷由実のツアーにも参加するかどうか迷っている。

 ちなみにその間ずっと収入はない。
 書いているうちに震えが止まらなくなってきたので、せめてキーボードは打てるうちにさっそく本題に入っていこう。

* * *

 いよいよ筆者を含めて皆がうんざりしているであろうが、今回まで出国前の事務手続きの話が続く。

 フランス滞在のための長期学生ビザ取得の話の途中であった。複雑怪奇なシステムや貧弱なサーバー力、分かりにくい書式の申請書などは日本にいながらフランスの風を感じられる貴重な機会であろう。しかしそれ以上にプチ留学体験をできるのが東京・麻布十番にある在日フランス大使館である。

 随所に張り巡らされた罠を潜り抜けて予約を取得し、必要書類をすべて集めれば、いよいよ大使館に赴くことができる。
 この「罠」については前回くどくどと語ったが、それでも語りきれなかったものとして、

  • 申請書に付す証明写真が一般的な40mm×30mmではなくパスポートサイズの45mm×35mmであり、もっと言うとパスポートと同一の写真が相応しい(そんなものとっくになくなっているに決まっている)。

  • 写真の背景は一般的な証明写真機の青ではなく白でなければならない(実は私の場合、パスポートの写真が奇跡的に残っていたのだが、その背景が青であったので、どちらの規則を優先させるべきか悩んだ。念のため背景を変更できる機械をわざわざ探して撮りなおすこととなったが、必要なかったと思う)。

  • 現地大学の受け入れ証明書は必ず原本を提出しなければならない(そもそも受け入れ証明書がメールでしか送られてきていなかったのだが……結局そのプリントアウトで大丈夫だった)。

  •  Campus Franceへ登録フィー(二万円もしやがる)を払っているにも拘らず、別途ビザ発行手数料(50€相当)を支払わなければならず、しかもその支払いが現金のみであり、おまけに50€相当だから日本円にすると半端な数字になるのにお釣りを出すと嫌がられる。

  こういった「小罠」は枚挙に暇がない。しかしそのたびに発狂と激昂を繰り返しながらもなんとかここまで辿り着けた次第である。

 一つ面倒だった書類が、預金残高証明書だ。

 フランスは貧乏な移民が帰れなくなって不法滞在されることを恐れているので、100万円ちょっとの預金残高証明書をこのタイミングで提出し、「私はちゃんとクニに帰ってこられるだけのぜぜっこを持っています」という証明を行わねばならない。
 それはいいとして、残高証明の有効期間は二週間程度である。大使館の予約が取れる前に決め打ちで残高証明を発行してしまったのだが、実際には予約が一か月先くらいになったので有効期限が切れ、再度発行の憂き目にあった。
 ちなみに一枚発行するのに800円くらいかかるから、吉野家程度ならゆうに豪遊できるほどの金をそれで失うこととなる。

  しかし書類を卒なく提出して申請がうまくいったとしても、公式サイトによれば発行までには一か月を要する。そして前回記したように、私は大使館の予約がなかなか取れず、申請日の時点で出発まであと二週間強しかなかった。
 したがって本来は間に合わない。ビザのシールを貼り付けてもらうため、申請の際にパスポートを預けることになるから、先にフランスに飛んで(90日はビザなしでいられる)現地でビザを待つということもできない。

  そうであれば出発日を遅らせる手続きをするべきだが、私はしなかった。 
 というのも色々なサイトに書かれた体験談を見る限り、みな遅くとも二週間、早ければ一週間足らずでビザを受け取っているからだ。
 仮にその通りにビザを受け取ることができれば出発日に間に合うのである。しかし情報は不確かだ。さらにコロナもある。
 いずれにしても正しい情報を得るためには大使館の職員に直接訪ねなければならない。場合によっては発行を早めてもらう交渉ができるかもしれない、という情報も得ていた。

  しかし私は気が重かった。
 ビザ申請関連の情報を調べている方ならわかるだろうが、大使館の評判、とりわけ職員の人当たりに関する評判は著しく悪い。ネットの海には大使館職員への数々の呪詛が揺蕩っている。
 大使館へ赴く段階から、もうフランスに来たと思って、日本流のサービスとホスピタリティは当てにせず、気丈に振舞えと多くの人が言っている。だがそう簡単にできるものではない。

 俺様は気が弱いのだ。そして人の機嫌をすぐ気にしてしまう。ただでさえ申請がうまくいくか不安なところ、大使館職員に睨まれ溜息の一つでも吐かれようものならもう泣いちゃう。

 かくして完全にビビりながら広尾の駅を経て大使館に足を運んだのであるが、果たしてドアを開けて出迎えてくれた職員は微笑みながら「消毒と荷物検査をお願いしますね」と穏やかな口調であった。

 優しいじゃないか。

 そして窓口の職員も普通であった。星野リゾートのようなもてなしは当然受けられないが、一般的な役所の職員という具合だ。
 すっかり安心した私は、書類が受理されると、先の質問をぶつけてみた。

 「ビザの発行ですが、二週間程度でもらえたという話を聞くんですけれど、本当ですか」
「こちらからは公式サイトに載っている以上の説明はできないんですよ」
「では一か月かかってしまいますかね」
「うーん、それほど申請が多くない時期ならば一か月より早く届くこともあるんですが、現在はコロナもありますし」
「出発日が迫っているので、もし可能なら少し早めてもらうという手続きができたりとか……」
「それは難しいですね。出国時期を延ばしてみてはいかがでしょう」
「飛行機の切符も取ってしまっていて、ちょっとそれは厳しいので、できれば……」

 ここまで話した途端、担当者の目が変わった。それまでの微笑が消え失せ、完全なる無表情に変わった。まずい、と思う間もなく、「少々お待ちください」の言葉を残し、担当者は奥に引っ込んだ。

 十数秒後、見るからに偉そうな人(フランス人)が姿を現し、一方的にまくし立てた。もちろん私は膝が笑っているし、言っていることはよくわからなかったが、要するに「サイトに書かれていることが全てだ」というような内容であった。

「二週間でビザを受け取れませんか……」(フランス語)
「一か月だ」(フランス語)
「実際に二週間でもらえたと聞いたんですが……」
「一か月だ。サイトに書いてある」

 私は敗走するより他に術がなかった。

 だが大使館からどう出るかわからなかったので、入ってくる際に出迎えてくれた先の職員に尋ねると、

「私に訊かないで。そこの右の扉からボタンを押して帰ってください」

 と、先ほどの愛想は完全に消え失せ、つっけんどんに答えられたのであった。

 * * *

 さて、なぜこうした豹変が生じるのか。今から顧みれば私もしつこかったと思うのであるが(しかしこういう交渉の執拗さこそが必要であると留学後知ることとなる)、その背景を語るためにはフランス人なるものの一般的傾向性を解明せねばならぬ。

  フランス人は怒りっぽい。と言うのはつまり、不機嫌が顔や態度を通じて表明されることに抵抗がないのである。機嫌の変動が極めて判然としている。
 これはそもそもフランス、特にパリの生活が日本と同等かそれ以上のストレスに満ち溢れているという前提も影響しているだろう。郵便物は届かないしエスカレーターはいっこうに直らないし排水溝はすぐ詰まる。にも拘らず行政書類は厳密に書かなければならない。
 こうした状況ではそもそも普段から憤懣が溜まっているのも肯ける。だがそれ以上の何かがあるのではないか。

  日本人は柔和でフランス人は無愛想であるというクリシェに陥りたくはないが、しかし「怒り方」の種別が異なるとは言えると思う。

  日本人の場合、「怒ってはならない、不機嫌を顔に出してはならない」という和を以て貴しとなす風潮があり、それがまず怒りを抑制する。それゆえ、古式ゆかしい高倉健のやくざ映画にも見て取られるように、「抑圧され、じっと堪えていた者が、最後には我慢できず遂に爆発する」という怒り方がポピュラーであり、我慢がそれだけ怒りの度合いを強化する。

  それに対してフランス人はそもそも初めの「我慢」がないので怒りが頻発するが、それは日本人のように後先を考えないやけっぱちの凶暴性は持っていない。

  と言いながら、怒りのあまり殴ったり怒鳴ったりはするので、客観的に見ればそれほど怒りの度合いに差があるようには思えないかもしれないが。
 要するに日本の怒りはウェットで、それに比べればフランスのそれはよりドライな印象を与えるということだ。

  またそれと相関して、日本においては誰かが怒り出すと場の空気が凍り付いてしまうし、相手が怒っているということをよほどの深刻なこととして受け止めがちである。
 だがフランス人はしょっちゅう癇癪を起こしており、街を歩けばたいてい誰かがキレている。また負の感情に限らずそもそも感情をより表に出すことが日常的なので、誰かが広い意味で「感情的に」なっていたとしても、それほど構いはしないように思う。

 そのように、フランスにいるといつも「放っておかれている」という感覚を強く覚えるのである。それを「自由」と捉えるか「冷たい」と捉えるか。そのあたりの違いが、フランス生活を気に入るか否かの違いなのかもしれぬ。

 * * *

  先ほど登場した大使館の二人の職員は共に日本人であるが、長くフランスで、あるいは日本であってもフランス人と関係する仕事をしていれば、その文化が染みついてしまうということは容易に想像できる。

 そして生まれた時から自然と自身の文化に浸っているネイティブよりも、後年になってからその文化に適応しようと努力した外国人の方が、より典型的ないわゆる「フランス人」になってしまうというのはよくあることだ。

 これは私にも気持ちがわかるから記すのであるが、そういう人は自分に染み付いた「日本」の匂いを消そうと多大な努力をするし、その分だけ自分がそれでも捨てきれない土着性が劣等コンプレックスとして余計に強調されてしまう。

 さらにフランスに着いた当初の頃は傷つくことも多い。自分が東洋人であるという理由でナメられたり、差別と言うには気が引けるが相手の態度に見下す視線を感じ取って嫌な気持ちになったり、そのような瞬間は誰にでもある。

 だが日本人に多いメンタリティとして、そこで怒れないのだ。フランスに来るような人は西洋文化に憧れており、そこに「権威」も見出している。そして日本人だから権威に従順な精神性も持っている。

  したがって相手ではなく自分を否定してしまう。自分が傷つかないで済むように日本人としての「劣等性」(文化の違いはもはや優劣に貶められてしまう)を捨てねばならぬと頑張ってしまうし、自分の心の中で足を引っ張ってくるイマジナリー日本人を軽侮し嘲笑することにより、西洋人と「同格」になろうとする。

  在外邦人に限って現地での日本人差別を否定する理由の一つがここにある。
 フランス人には嫌な奴が多いという話を聞くが、私の感覚としてはネイティブに対して嫌なものを見出すことはそれほど多くなかった。むしろ「フランス人は嫌な奴だ」と思いながらも「嫌な奴」になろうと意識したであろう外国人、特に自分と同じ日本人の方に底意地の悪さを感じることはあった。

 * * *

  正当な誇りの中で傷つけられたことを自覚するのは重要だが、相手の事情やその背景を理解するのも同じく必要だ。
 もう一度大使館の場面に戻って考えてみよう。

  窓口の職員の方が上記のような経験とメンタリティを持っていたのかどうかはわからない。おそらく考えすぎではあろう。別にそれほど嫌な奴というわけではなかった。

  思うにあの人は最初、ちょっとだけ我慢をしたのではなかろうか。しかしフランス文化に染まると我慢に対する耐久、とりわけ「面倒」に対する我慢の力が下がってしまう。だから間を置かずして、暫時の我慢によって少し強化された怒りを表明してしまう。
 きっとこちらが少し粘ったので、あの人はそれだけで我慢の限界に達してしまったのだろう。明らかに態度が急変した。

  そう思うとつい申し訳ない気がしてしまうが、しかし相手と同じくこちらにもこちらの事情があったのだ。
 向こうの機嫌に左右されずに自分の要求を通すということ。特にフランスで暮らすのであればそうした態度を身に着けることが肝要だ。だから今ではもう気にしていない。

  次に入り口にいた職員の方であるが、あんな嫌な奴はフランスでも、他のヨーロッパの国でもついぞ出会わなかった。出口が分からないくらい、フランス人もイタリア人もポーランド人もみんな親切に教えてくれたぞ。未だに腹が立つ。
 単純に性格の悪い奴なのかもしれぬ。

* * *

  精神的に満身創痍ではあったがビザ申請もなんとか終えた。果たしてビザは一週間後に早々と届いた。気を揉ませやがって。

 しかしパスポートの空白のページに貼られた査証を見た時にはやはり嬉しかった。ビザさえ届けばもう、いつでも飛べる。私のパリ生活がここから始まるのだ。

 * * *

 連載第五回にしてようやくだが、次回からいよいよフランスでの日々を具体的に語っていきたい。今回この文章を書きながら当時の不安や焦燥感が思い出されたが、今から振り返れば、実に可愛いものだ。結局は何とかなることを知らずに、つまらないことでくよくよしていたと思う。
 この時のメンタリティを引きずっていたがゆえにパリ生活の最初も波乱が生じたのであるが、それはまた来年以降に記していくことにしよう。

  皆様がよいお年を迎えられることを願って擱筆する。私は歳末のこの雰囲気が大好きだ。一年間、それぞれにいろいろなことがあっただろうが、今こうして生きている事実を大事にしてほしい。

  また年明けにお目にかかろう。それまで、どうか幸せに。

  来年まで食いつなげていればの話であるが。

片岡一竹
早稲田大学文学研究科表象・メディア論コース後期博士課程。著書に『疾風怒濤精神分析入門:ジャック・ラカン的生き方のススメ』(誠信書房、2017)など。


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