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サッカーがなくても、空は青い。

noteを開いていただきありがとうございます、
福村です。


昨日は久しぶりにすごく天気が良くて、風は少しあったけど気温が26度だったから、春風みたいな感じで何もせずベランダに1時間くらい居座ってしまいました。


春っていいですよね。


非常事態宣言の規制が一部緩和されてから、子供たちの話し声や笑い声が聞こえたり、親子で手をつないで散歩していたり、ボールを蹴っている子たちを見て少し幸せな気持ちになりました。

人々はサッカーがないと生きていけないと言っていたけど、サッカーがなくなってからも生きている。


思っていたより、大丈夫でした。

サッカーがない生活。


自分にとって、サッカーって何だろうって考え直したりするけれど、やっぱり私自身にとっては人生そのものではなくて、サッカーを通して得たことや、考え方や価値観、チームメイトたちを大切にしているわけで、サッカーがなくなってもそれらを失うわけではないし、その先が見えなくなることもないよなとか考えながら、昨日はベランダの椅子に腰かけて、ぼーっとしてました。

もちろんサッカーがなかったら出会えなかったけれど、そしたらそしたで別の人生があっただけで、今の自分はその選択がサッカーだったから、そこから見える世界を観れているわけで。

まとめるのが難しい。


何が言いたいのかっていうとね、

よく女子サッカー選手って引退した後のセカンドキャリアとかについて考えたりするじゃないですか。私からサッカーが無くなったら、何が残るんだろうとか、何ができるんだろうとか。


自分にとってはそういうのって結構どうでもよくて、サッカーがなくても生きていけるし、失うことばかりを考えるよりも、自分の中に残り続けるもののほうを大切にした方が、可能性って広がるような感じがして。

今までは、すべての世界に対して、サッカーというフィルターだけを通して見ていたけど、それってある意味縛られてるなって思うんですよ。


だって、生きてたら可能性は無限大だと思うから。


サッカーというフィルターにとらわれすぎて、時間が経つにつれてそのフィルターの存在すら忘れてるんですよ、きっと。

そこから、また別のフィルターを重ねてしまったら、視野狭くなっちゃいますよ。色も重ねてばっかりだと、どんどん黒だけに近づいていってますよって。


だからね、サッカーだけが人生じゃないと思うんです。

失うことと、手放すことって違うと思うんです。


空が青い時に、赤色の眼鏡を掛けたら、きっと紫に見える。

曇っているときに、赤色の眼鏡を掛けたら、きっと雲はそのまま赤く見える。

紫も赤も素敵かもしれないけれど、眼鏡をかけることが当たり前になってしまったら、晴れの日が青い空で曇りの日は白い雲だということを忘れてしまうかもしれない。

だから、時には眼鏡を手放して、晴れの日の青い空や、曇りの日の白い雲、透明に見える雨を、そのまま見ることも大切なんじゃないかなって。


見えない未来を考えておびえるくらいなら、自分は今のこの青空をぼーっと眺めていたいなと思ってしまいますね。

そしてその時眼鏡が必要ならつければいいと思うし、そのままでいいならそのままでいいんですよ。


自分の中の人生観ってそんなもん。

生きていればできることは沢山ある。


可能性は無限大。



それでは。

#17  福村 香奈絵/KANAE FUKUMURA


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