死のとらえかた
コンビニやスーパーでバイトしたことがある方なら分かると思うが、「前出し」という作業がある。
消費期限が古いものから前面に出して、陳列の見た目を整える作業である。
買い物をしていると、わざわざ商品をほじくり返して少しでも賞味期限が長いものを買おうとする人がいる。
どの商品を買おうが自由だが、残念な気持ちになる。
「自分さえ良ければよい」
という気持ちが透けてみえるからだ。
成熟した人間というのはものごと執着が少ないように見える。
日本の武芸・芸能でも使われる型、「守破離」においても最後は「離」である。最後は執着を手放していく段階である。
「自分さえ良ければよい」というのは、世界と切り離された自己認識である。自分の命は死を持って完結するという自己認識である。だから、「自分さえ良ければよい」という発想になる。
一方で、成熟した人間というのは己の生命は循環の中にある事をしっている。
死は生命のメカニズムであり、必要な機能なのである。
「死は変革者であり、ふるきものを一掃し、新しきもの道をひらくのである。」
「誰も死から逃れたことはない。それは、そうあるべきだからだ。なぜならば死は生命における最高の発明なのだから。」
死を己の終焉ととらえ、怯え、執着し、姑息に生きながらえるより、死は循環であり、大きな流れ(生命の進化・向上)の一端を担っていると考える方が、毎日幸せに生きられ、死を肯定的にとらえられる。
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