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「読むのに問題がない」かどうかを決めるのはあなたではない

どうもブロガーフクミです!
オリンピックが終わり、ふとオリンピアンの書いた本を探したいと思ってメルカリで探していたときの話です。

実は今回探していた本は出版から既に10年が経過していて、いわゆるネット通販ではなかなか見つけることが出来ませんでした。
中古で探すしかないと思い、メルカリをめぐっていたところ何冊か見つけることが出来ました。
ただやはり出版されてから既に時間が経過していることもあり「傷あり」「焼けあり」「シミあり」などの評価。
それも致し方ないのかな…とは思ったのですが、どうしても気になった言葉を複数発見しました。

「○○ですが、読むのには問題ありません」
この○○には、上の「傷あり」「焼けあり」「シミあり」などを入れていただきたい。

意図するところはわかる。
要は外見は傷や焼け・シミなどがあるけど、中身は(読めるくらいには)きれいだよということが言いたいのでしょう。

けれどその本が読むのに「大丈夫な状態」かどうかを判断するのは買う側
この本を売った人にとって問題なくても、購入した側は中身の日焼けを気にするかもしれない。
この程度なら大丈夫、の「この程度」は人によって違うのだ。

しかし、同じようなことは日々のnoteやブログの記事作成でもいえることじゃないだろうか。
「このくらいなら伝わるだろう」が伝わらないことがある。
あなたも経験があるかもしれない。
「初心者向け」記事の内容が全くわからなかったことが。

思いをつづる記事のときはそんなことは問題にならない。
だが誰かに説明したい、悩みを解決したいときは、とことんまでその人に寄り添うことが必要。
そんなことを改めて思ったメルカリでの商品探しでした。


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