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noteを始めることにした。

各種SNSから飛んできた方こんにちは。この度noteを始めることにしました。

自分の思ったことを文章にするのは少し恥ずかしいが、私が思っていることを馬鹿にしてくる人も周りにほとんどいないと信じて始めることにした。
思えば、他人のやっていることを小馬鹿にするような人間は年々減ってきてる気がする。皆が大人になったのか、付き合う人の数が減ったのか、はたまたただの偶然なのか、真相はわからないが好きに文章を書いてもとやかく言われない時代になったことに嬉々としている。

特に定まったテーマもなく、有益な情報を伝えられるわけでもないが、リモート続きで他人との会話が少なくなった一人の人間の戯言だと思って読んでいただければと思う。

2020年の4月。大学の近くに下宿をし、3年間の怒涛の研究生活を迎え撃つつもりだった。しかし、蓋を開けてみればコアタイムなし、フルリモート。家から一歩も出ない生活が幕を開けた。誰とも話さない日々の中で何度もnoteを始めようとしたが、どうにも重い腰が上がらなかった。「マスク必要/不必要」論争が再び湧き上がる昨今、ついに書き始めることを決意した。

別に文章は上手くない。人生で文章を書いて褒められたことなんて1度あるかないかぐらいだ。
年に100冊ほど本を読んでいた時期もあったが、インプットとアウトプットは全くの別物。単語帳をどれだけ覚えたって英語は話せるようにはならないし、問題の解説を見ても実際に解けるようにはならない。どこかの受験ハウツー本が偉そうに言っていたそんなことも今なら少しわかる気がする。
読書感想文も嫌いだった。読みたくもない本を書いて感想を書く。感想とは名ばかりで、思った『感想』を素直に書くものではない。本の内容はよそに自分の体験を書くことが大事らしい。読書感想文の書き方にすらハウツーが存在するのだと幼いながらに感じた。
中学生の頃だろうか。その正解に従って私は読書感想文を書いていた。読書感想文といえば、流行りの小説か文豪の名作あたりが相場だが、私は「すべては一杯のコーヒーから」というタリーズ創業の物語を題材としていた。なぜこの本を読んだのかは覚えていないが、「コーヒーは洒落ている。」ぐらいの幼い虚栄心からなるものだろう。そんな虚栄心に満ち溢れた感想文も、ハウツーの力にかかれば容易く評価された。正解に従って書いたその文章が、人生で私が唯一誉められた文章だ。

あまり長く書いても最後まで到達してもらえないと思うので、今回はこの辺りとする。Twitterの星の下で生きてきたので140字以上の文章を書くとなぜだかむずむずする。

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