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建築雑誌総覧2020年3月号〜『商店建築』「渋谷パルコについて」

「建築雑誌総覧」では、毎月1回程度、世に出ている「建築雑誌」というものを取り上げ、それぞれ1,000字程度で内容を概観して、雑感を綴っていきます。ここでの目標は対象となる雑誌たちを横串で総覧することで、自らの学びとすることと商業系建築メディアの現在を朧げにでも捉えることです。
主な対象は『商店建築』『近代建築』『建築技術』あたりになると思います。そのほか、『GA japan』や『住宅建築』『建築画報』なども触れられれば。
※一個人としての意見となります
※割と緩め

『商店建築』2020年3月号


色々と立て込んでおり、随分と間が空いてしまいました...
書くのに気負ってしまっているので、もっとラフに書いて更新頻度上げればなと思っています。


さて、『商店建築』の3月号の目玉プロジェクトは「渋谷PARCO」です。『新建築』でも掲載されていましたが、名称は「渋谷パルコ・ヒューリックビル」となっており、扱い方の違いが少し分かる。

『商店建築』はまあその名の通り、商業施設としての取り扱いなので、今回は補助線として、この号にも登場する三浦展さんの『商業空間は何の夢を見たか』を参照してみる。

三浦によれば、パルコの本質は1960年代のカウンターカルチャーにあるという。
1980年代以降、パルコに端を発してさまざまな複合商業施設がつくられたことで、消費社会の象徴として語られることが多いパルコだが、むしろ1960年からの時代の流れを読む方が正しいということらしい。

カウンターカルチャーとしての「商業建築」

1960年代は新宿西口駅に人びとが集まり集会を行うなど体制に対しての抵抗が顕著に見られた時代であった。しかし、次第に1970年代には霞が関ビルディングができるなど、都市はシステム化、管理化されていった。
特に公共的な建築やオフィスビルなどはシステマチックにつくられるようになっていた。そこで、アンチテーゼ的に捉えられていたのが「商業建築」だった。

商業建築は公共建築ではない。しかし商業建築は、公共建築的なシステムに対する反システム的な建築であるだけでなく、「未来的なイメージ」を「提案」できる「システムを」「挿入」するものであり、かつむしろ公共建築よりも「人間の生活にかかわり合うこと」によって「格別の情報量」を持っているのだから、商業建築こそが、公共性、社会的責任を担おうと言っているのである。
『商業空間は何の夢を見たか』35~36頁

では、パルコは何を目指したのか。
そもそもパルコはイタリア語で「公園」を意味する単語らしい。その言葉からパルコが目指したところは単なる商業施設ではなく、人びとが集う「広場」的な空間であったという。

よく見られるようなSC内の模擬自然的な環境装置などは、本来ファッションとは関係がない。川や滝はこの願望[自己顕示願望]を満足させるキッカケに過ぎない。むしろファッション環境をつくる最大の装置は人なのである。集まってくる人びとが楽しく参加できる劇場空間、非日常的な祭りの空間こそがファッション環境となり得る。ビルのワク内に閉じこもらず、屋内と屋外が渾然とした人びとの群れ集うプラザをベースに、近代的都市のファッション環境が創造されてゆく。
『パルコの宣伝戦略』180頁

『商業空間は何の夢を見たか』で、社会学者の南後由和は上記を引用し、渋谷パルコは「公園通り一帯を、後に渋谷という街を「見る・見られる」の関係を享受する舞台装置として「広場化」しようとしたのである。」と解説する。
そうした戦略は建築自体にも反映され、たとえば、パルコが「坂の上にある」ということを意識させるため、建物の外装には照明を多く取り入れ、劇場を最上階に持っていったという。
つまり、都市がシステム化、管理化されていく中で、パルコは都市自体をつくり、そして都市へ波及することを意識していた。

パルコは「点→線→面」へと開発を進め、公園通りゾーンは「楽しく歩ける街」から「楽しく過ごせる街」へと、線から面への発展を遂げていった。
『商業空間は何の夢を見たか』114頁

また、同時期の商業施設では「みち」や「広場」、「界隈」と言ったキーワードを挙げ、都市の猥雑さを取り入れようとしていたらしい(パルコをつくった増田通二は露天商をしていたことがあるらしく、その経験があるのだとか)。
パルコはこうした文脈の中で生まれてきた。それを踏まえてリニューアルしたパルコを見てみる。

現在での「街」とは?

まず今回のパルコの特徴としては、外周に立体街路が設けられたことだろう。これに関して、設計担当である竹中工務店は

渋谷の特徴である「坂」や「通り」、街の界隈性を建物外周部に立体街路として取り入れ、渋谷の人の流れやにぎわいがそのまま引き込まれ、立体街路を主軸とした渋谷らしい界隈性とにぎわいに溢れた次なる「街」をつくり出す。
54頁

パルコは

今回、売り場ではなく、あくまでもパブリックな場所として楽しめるものをつくるべきという思いが強くありました。共用通路は遊歩道で、そこに出店するテナントも路面店という共通認識で進めました。
86頁

とコメントしている。
また、竹中工務店の設計者は「道を延長する」と述べている。つまり、このプロジェクトを構成する言語は1980年代の時とあまり変わっていない。
これは何を意味するのだろうか。

***

1枚目の写真が公園通り側であり、この誌面からは「坂の上」ということは分からない。その点で、かつてのパルコと戦略が違うのかもしれないが、確からしいことは分からない。
また、立体街路が今回の肝いりではあるが、実際には店舗との関係は少なく、通路としての印象が強い感じもある。現に誌面でも立体街路自体の写真は少ない。『新建築』では立体街路自体のいくつかのパターンの写真が掲載されていることから、これは建築の問題というよりは『商店建築』という媒体を考えたときにこの空間がどのように運営されるのかが見えてこない限り、紹介しづらいということだろう。

また、8階のパルコ劇場や10階の展示場もかつてのパルコでの劇場の扱い方とは異なるのだろうか。

***

スペイン坂からの写真が小さく掲載されているが、パルコの印象は薄く、どちらかというと上部のヒューリックビルのガラスのボリュームが目立つ。
筆者は渋谷にまったく明るくないのだが、はじめてこのプロジェクトを訪れようとした時にどこにあるのかすぐには分からなかった。
かつてのパルコが外装を目立たせようとしたのに対し、今回のプロジェクトでは「原石」というキーワードが掲げられている。このことから、なるべく建築としてのカラーは排除されているということだろうか?

***

このパルコのコンセプトとして、世界へ発信する唯一無二の「次世代型商業施設」であり、商業施設の枠を超えたグローバルな存在であり、社会的な役割を担っている、と担当者が語っている。
具体的なことは分からないが、現在の実店舗がどのような(社会的な)役割を果たすと考えているのかもう少し詳しく知る機会があると良いなと思う。本号には三浦展氏のインタビューも掲載されているが、ソフト面の話に終始しているため、実際的なパルコの立ち位置というのもあまり読み取ることはできなかった。


「商業建築」はどこへ?

かつてのパルコがシステム化、管理化されゆく都市・建築のカウンターカルチャーとして街や道、界隈性というキーワードを出していたのに対して、現在の状況において同様のキーワードを掲げることはどのような意味を持ちえるのだろうか。
かつては目の敵にされていた公共建築、オフィスビルでも同様に「公園」などのキーワードが挙げられる時代である。ましてや公共施設でもチャレンジショップなどが奨励される現代において、純粋な複合型商業施設が持ちえる独自の意味や価値とは何だろうか。
建築というよりは、そうした「商業施設」としての思想なり哲学なりがどのように変容しているのか。
たとえば、新しくオープンした「UNIQLO PARK 横浜ベイサイド店」は屋根に遊具を設け、まさしく「公園」的な空間をつくっている。こうした変化は商業施設をつくる側の「役割」の認識の変化があるのだろう。また、オンラインが発展することで実店舗のありようが変化しうるという状況も関係するのだろう。
そういうことを考えると、『商店建築』において5月号から連載がはじまった「商業空間は公共性を持つか」は私の興味に対していろいろなキッカケを与えてくれそうな予感がしている(本マガジンで触れるのはもう少し先になりそうだ)。

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