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愛されキャラ「寅さん」を分析する

・Amazon primeで「男はつらいよ」を生まれて初めて観た。「フーテンの寅さん」なる俗称は有名だし一般常識として見ておくかという気持ちと、たまには人情物が見たかったからという2点が4:6くらいで動機になった。

・下町風情も何も知らない平成生まれの率直な感想として「寅さん、こんなにもハチャメチャな方だったのか」というものが一つある。昭和の荒くれ者を肌で感じたことがない平成ゆとり世代にとっては、博物館で剥製にされている恐竜が動き出してしまったかのような畏怖すら感じた。

・というのも、「寅さんが下町のトラブルを万事屋的ポジションで破天荒に解決していく」みたいな勝手なイメージがあったからだ。蓋を開けてみれば、それは完全に逆で寅さん自身がトラブル本体だったという訳だ。

・途中、「さくらさん、可哀想…」しか思えない時間も存在した。さくらさんを起点に、前半は寅さんに掻き乱される下町の人々を慮る視点が強く存在していたものの、後半、気がついたら不思議と寅さんに対する愛着を覚えるようになっていた。寅さんマジックである。

・愛されるキャラとは何だろう。それはきっと、上品で美しくて綺麗なだけのキャラクターではない。どこかしら不完全で、未発達で、救いようがなくて、放っておけない。そしてそれを隠さず認めながら、周囲と共存していく。そんなキャラクターは、きっと人間から愛されるのだろうなと思った。

・デジタルネイティブの渦中で育ってきた私の世代は、何かと情報量の多い作品達の中で「強くて」「カッコよくて」「可愛くて」etc…とにかく何かしら優秀なキャラクター達が憧れの矛先となっていた。

・そんなキャラクター像からすれば、ましてやパワハラ問題を始めコンプラに囲まれた社会の中で、「寅さん」という昭和要素の煮凝りみたいなキャラは鮮烈に映った。今だったら考えられない、という昭和コンテンツの一つに挙げられるのではないだろうか。

・非合理的な人情や理不尽な暴力といった昭和のそれらは、令和から眺めると時代劇の切腹と何ら変わらない「文化遺産」のようにも捉えられてしまう感性もあるが、しかし時代を超えて今でも「寅さん」に内在する人間らしさは脈々と生き残っているような気がする。

・「人間らしさ」。それが愛されるキャラの要素なのだろうか。いや待てそもそも「人間らしさ」とは何だ。不完全さだろうか。「寅さん」について考える前に、「人間らしさ」について更に考えを深めておく必要がありそうだ。

・勝手に寅さん哲学に突入する前に、もう一つ「寅さん」映画を観て思ったことがある。それは、「結構毛だらけ猫灰だらけ」はふとした時に口ずさみたくなってしまう魅惑のフレーズだということである。

以下、おまけ「寅さんから考える人間らしさ」のプチ考察になる。

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