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著者の性別による分類

村上春樹の「海辺のカフカ」に出てくる図書館に、変なフェミニズム団体らしき女性二人組がやってきて、検索カードが著者の男女別になっていて男性が先なのはけしからん、と図書館員にクレームをつける場面があります。
この場面には当初から批判もあるようで、そもそも今時こんなことをする予算と暇のあるフェミニズム団体はないとか、硬直した正義を振りかざす例としてフェミニストだけを戯画化して取り上げるのは逆に村上氏自身の偏った意識の表れではとか言われていましたが、その真偽はともかく、図書館員の目線からしても、この設定はたしかに違和感があります。

私自身、図書館で著者が男女別に分類されている例を見たことがありません。多くの図書館で採用されているNDC(日本十進分類法)でも、地理区分や時代区分、言語区分、形式区分はあっても著者の性別による区分は存在しないです。これはべつにフェミニズムとかではなく、たぶん図書館の分類や目録が「現物主義」に依っているからで、つまり資料の現物(たとえば本)から読み取れる情報に基づいて分類や目録の作業を行い、現物に書いていないことを推測で記載することは極力避ける、ということです。それでいうとほとんどの本では著者の性別が明記されておらず、あるのは生没年や出生地、経歴くらいです。もちろん名前その他の情報から性別を類推することはできますが、類推はあくまで類推に過ぎません。女性っぽい名前の男性もいるし、まぎらわしいペンネームもあるからです(余談ながら私は昔高村薫と桜庭一樹を男性だと思っており、平田オリザは女性だと思っていました)。となると著者の性別を確定するために、個別の調査が必要になってしまいます。日本人ならまだいいですが、これが洋書で外国人だったりすると、考えただけで面倒です(世の中には、「どこの国の人かわからない」「どこまでが名前かわからない」「そもそもこれが本当に人名なのかもわからない」などの図書館員泣かせな著者がたくさんいるのです)。「著者が複数いる本はどうなるのか」問題もありますし、カードに性別の識別記号も必要だし(そうしないと万一カードが事故でごっちゃになった場合に復元できなくなるので)、著者名典拠に性別の項目も増やすことにもなります。

小説では前任者がなぜか勝手にやったことになっていますが、カード目録の時代に、しかもワンオペなのに、こんな手間ひまをかけてまで著者を男女別に分類したい司書がいるでしょうか。
もちろん日本中探せば著者を男女別に分類している図書館がないとは言い切れないし、村上氏が実際にそういう図書館を知っていた可能性もありますが、小説のリアリティという面から見て、わざわざそんなめったにありそうもない図書館を設定しなくてもいいんじゃないか、とはちょっと思います。

ところで書店ではたまに著者が男女別の棚になっていることがありますが、あれはどういう根拠で分類しているのか、いつも不思議に思っています…

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