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法人の農業参入と農地取得の動き

農業経営(担い手と手続き)の新展開国内企業の多くが農業に新規参入を試みている(農林水産省経営局農地政策課「農地所有適格法人の参入事例」など資料参照)。本稿では簡単に外資を含む代表的な参入事例と事業運営の現状を整理している。 流通業者ならびに消費者を巻き込んで、地域ニーズに沿う新たな循環農業を市民主導で模索してみたい。この動きが地域農業の高付加価値経営と市民の意向を反映した望ましい農業経営の姿(主権者である市民が参入者選択や経営に関与する手続きの導入)に繋がることを期待したい。

よくかむ

はじめに科学的な研究で、食べる際に「よくかむ(噛む)」ことで免疫力が向上することが明らかになっています。よく噛むことは、その他にも広く次のような効用(②~⑧)をもたらします。 ①唾液成分の免疫物質を分泌し病気を予防する ②唾液・胃液の分泌を促し、消化吸収を助ける ③食物の味を感じる ④口腔内の汚れを洗い流す ⑤口腔内の細菌の繁殖を抑え、むし歯や歯周病を予防する ⑥満腹中枢を刺激し、過食と肥満を予防する ⑦脳の血液量を増加させ認知症や老化を予防する ⑧五感からの刺激と連動し、食

食とは「命をいただく」こと

はじめに「あなたの大切ないのちを、私のいのちに代えさせて戴きます」 このように手を合わせて毎日食事をしますが、腸という消化器官を介して私たちは「いただいた命」と相互作用をして命を長らえています。 現代の医学や医療技術は急速に進歩したにもかかわらす、一方で病や病者は増え続けているのはどうしてなのでしょうか? 健康に生きるために私たち自らが実践できるセラピー(もしくはレシピ)を編み出すために、「腸と食物の関係」、「腸と心の関係」に焦点を当ててリアルに接近してみます。 腸と食物の

ミネラルと生命

土と水が私たちの母 肥沃な土壌には1グラム当たり1億から10億の微生物が棲んでいる。そして(37兆個の細胞からなる)私たちの体に、腸の中だけでも40兆~100兆個もの腸内細菌がいる。生命を湛える地球は、外見上は植物が茂り動物が動き回っているように見えているが、(個体数では明らかに)その構成は圧倒的な微生物により成っている。 地球上で太古から現在まで継続的に、これらの『微生物を産み出しているのがミネラルを含む土と水である』という科学的証拠を確認しておきたい。 ミネラル ミ

私たちは微生物に生かされている

微生物の仕事を目の当たりにして 自然界に存在している微生物の中で、99%の微生物が培養できないという事実や、私たちの身の周りで採取された微生物の多くがDNA配列をデータベースで特定できないという事実などから、私たちは微生物の役割を未だ十分に理解していないと気付かされた。 個人的にハザカプラントやバクチャーを訪問して、微生物が私たちの周りの自然環境だけでなく生存そのものを支えていることを実感した。有機廃棄物処理、農業、医療などさまざまな応用分野において、微生物にとって適切な環

自然神との対話の足跡⑳

賀志波比売神社:天照大御神の生誕の地 前回(自然神との対話の足跡⑲)記した気延山古墳群(阿波国)の気延山々頂に八倉比売命(=天照大御神)が葬られていると神社に伝わる古文書に残っている。 今回(2024/03/15)、天照大御神の生誕の地と言われている賀志波比売神社を確認してきた。神社創建の時期は(津峯神社の由緒によると)神亀元年(724年)で、延喜式神名帳に「阿波国那賀郡 賀志波比賣神社」は当初この地に鎮座し、後に津乃峰山上に遷座して津峯神社になったとされている。 個人的

自然神との対話の足跡⑲

邪馬臺国の必要条件中国の歴史書「三国志」魏志倭人伝『陳寿(233-297)著』に記された邪馬臺国がどこかを一年余り探索してきた私なりの答えを記しておく。 年明け早々(2024/01/03)より確認してきている通り、(1)縄文から弥生後期まで連続した暮らしや社会の存在が確認できることが邪馬臺国の必要条件である。他の必要条件としては、(2)祭祀を司る女性の指導者(卑弥呼=日の巫女)が居たこと、(3)決定的な遺跡や遺品の存在とその年代が一致する(具体的には、景初3(239)年6月、

自然神との対話の足跡⑨

女王卑弥呼はどこにいたのか 邪馬台国の所在地論争では、これまで「畿内説」と「九州説」で対立していましたが、新たに「阿波説」が邪馬台国の所在地論争に名乗りを上げています。そのきっかけになったのは、先日散策して「自然神との対話の足跡④」にまとめた通り、卑弥呼が中国王朝に献上したとされる鉱物(辰砂)の採掘場所だった「若杉山辰砂採掘遺跡」が、2019年10月16日に国史跡に指定されたことでした。 「淡海の大津宮」は「近江の国」だったか 万葉集では柿本人麻呂(660年頃生、720

倭国に関わる下調べ(年始の旅の準備)

自身が今ここに居る存在理由を探求しはじめた2023年となりました。はじめに文献として残る古事記に当たりました(原典を読み解く力がなく解説書など読み漁りました)が腑に落ちず、より古い時代に遡る遺跡などを見極める必要があるとの認識に至りました。本能的に興味惹かれるままに日本の遺跡探索を試み「自然神との対話の足跡」と題したnote(20本ほど)を残してきました。 教えられてきた歴史教科書、現存している古事記などの文献に対して、私の感じた(腑に落ちなかった)違和感は、この数年のコロナ

自然神との対話の足跡⑱

先日(2023/12/18)は一日かけて萩原墳墓群、天河別神社古墳群、西山谷2号墳、大代古墳など鳴門・板野古墳群を歩いてきました。実家(生誕地)と目と鼻の先の距離に倭国に繋がりのある有力者の墓(紀元前3~4世紀に造られたお墓)が列なっていることに今更ながら驚いています。結晶片岩の石棺であり焼失はなく、ほとんど朽ちることもありません。土積みではなく石積みを中核にした古墳であることが保存性を高め、山里集落にせり出して折り重なるように造られた古墳が多数く出土しています。おそらくまだ

自然神との対話の足跡⑰

Before: 現地探索前平成になって山あいで発見された岩屋岩陰遺跡の『巨石群』、これらは数千年前に使われたもののようです。 巨石群は数千年前にこの場所に配置され、暦を読むための天文台として使用されていたといわれています。 岩屋岩陰遺跡は岐阜県下呂市金山町岩瀬にあり、縄文時代早期から江戸時代の遺物が出土しています。この遺跡は、1997年以降、在野の研究者により天体観測に使用された可能性が指摘されています。 具体的には、太陽の年周運動によって太陽黄経が210° (霜降)、お

自然神との対話の足跡⑯

さて、質問です!朝(2023/12/14)、海岸で拾ったコレクション(拾得物)を並べた冒頭画像ですが、この中で縄文人が手に入れられなかった物はどれでしょう。上段は木片が風化して流れついたもの、下段左側2つは貝殻が風化したもの、下段一番右側は陶器破片、下段右から2つ目は緑泥片岩と呼ばれる岩石破片となります。 阿波の特産品:青石4つの自然物(木、貝殻二つ、岩石)の中で、岩石破片(=石ころ)は地球からの直接のメッセンジャーといえます。下段右から2つ目の青い石は、結晶片岩中に緑泥石

自然神との対話の足跡⑮

唯物史観が歴史学の主流を占め、記紀の内容は架空の絵空事だとされていますが、それは私たちの本当の歴史でしょうか。この数ヶ月遺跡を巡り「天照大御神=大日孁貴=卑弥呼」の関係性(同一性)についてどのように考えればよいか興味を持って探索を続けています(参考:自然神との対話の足跡⑬)。再び現地に足を運んで自分の目で確かめる前に、先駆者の論考を調べています。 平原弥生古墳が大日孁貴の墓 冒頭の画像は日本の考古学者、原田大六(はらだ だいろく、1917年1月1日 - 1985年5月27

自然神との対話の足跡⑭

古代に遡って、黒曜石、漆、辰砂それぞれの物産の移動・物流網ならびに、焚き火・狼煙や鏡石を用いた情報伝達網の利用状況を整理・推察してみました。 移動・物流網(ネットワーク)黒曜石 今日のような運送手段がなかった昔、石器時代から数万年にわたって産地限定の黒曜石が大量に、しかも広域に流通していました。東日本の黒曜石の原産地は、信州産、箱根産と神津島産が知られています。 星糞峠、星ヶ塔など星の名がつく高原地帯の鉱山から掘り出された耀く黒曜石は、山裾のムラからムラへと持ち運ばれ、ム