見出し画像

グローバル野郎に未来はない。日本では。

ぼくは人並みに絵が好きだ。"人並み"というからには周囲に胸を張ってひけらかせるほど知識があるわけではない。そんなことはぜんぜんない。だけれども美術館に足繁く通ったり、絵画教室に通ってデッサンを書いたり、グラフィックデザインの学校でイラストを学んだりと"それなり"な感じで絵と向き合ってきた。

爆笑問題の太田光さんがこんなことを言っていた。冴えなかった学生時代を振り返って「あのときピカソの絵を見て俺の人生は完全に変わった」と。うーむ、かっこいい。そんなことを言ってみたいものだ。でもぼくの場合はぜんぜんそんなことはない。アンリ・マティス、アルバート・マルケ、ポール・クレー、シニャック、モネなど好きな画家をあげたらキリがない。彼らの絵をまじまじと見ることによって受けた感銘には忘れ難いものがある。それでもぼくにとって絵というものはあくまで個人的でささやかな趣味の一つだった。決して生活の中心にあったり人生の価値観を決定づけたりするような役目は果たさない。たとえて言うならば、タンスの奥にしまってあるお気に入りの色のカーディガンのような。そんなほっこりとした存在なのだ。

そんな絵画のにわかファンにとっては"山田五郎 オトナの教養講座"がとってもハマるのかもしれない。これはあのキューピッちゃんみたいな頭でお馴染みの評論家、山田五郎さんが分かりやすく(そして教養たっぷりに)美術を解説していくYou Tubeチャンネルだ。「ゴッホがひまわりをたくさん描いたのはなぜか?」や「ムンクは一体何を叫んでいるのか?」といった気になるテーマについて、その背後にあるストーリーをふんだんに織り交ぜながら小気味良く語られる。

藤田嗣治の話

仕事終わりにご飯を食べながらよくこのチャンネルを見ている。今回は藤田嗣治についての動画を見ていた。

藤田嗣治は日本に生まれてその後フランスに渡って世界的な画家になった人だ。彼がフランスに留学した当時 (1910年代~) に支配的な影響力を持っていたキュビズム、もしくは画壇の頂点に君臨していたピカソやルソー。こういった西洋の最先端を真似するのではなく、日本人にしか書けない絵を描いていくことで名を成していく。猫や女性を多くモチーフに描き、日本画を融合させた"藤田にしか書けない絵"を書くことによって時代の寵児となっていく。その世界的な人気は凄まじくベルギー王室やフランス政府にも絵を買われちゃうぐらいだったみたい。しまいにはアイドルとCMに出たり、フランス人の美女と結婚したりとイケイケなのである。瞬間風速で言えばその人気の高さはピカソをも凌いだのではとのこと。うーーーすごいですね。

それなのに藤田の絵は日本ではまったく見向きもされない。パリでブレークして世界的な名声を集めているのにも関わらず、日本の美術展に出品しても当選どころか見向きもされない。はたまた日本の美術館 (今でいう東京国立博物館) に会心作の絵を寄贈しようとするも「いりません」と固くたに拒否。国際的に認められても日本でだけは完全にスルー。なんならフランスに留学していた日本人学生たちにまで「異国趣味が珍しがられただけの色物」と揶揄されてしまう始末。1929年にはいよいよ凱旋帰国をするのだが、国内でも徹底的な冷遇を受けることに。

世界中で称賛されても日本人にだけは一貫して疎んじられていたみたいだ。うーーー悲しい。

平家・海軍・海外派

この動画の最後の5分に面白い話が出てくる。

「わが国は昔から"平家・海軍・海外派 (国際派)"という言葉があってな。源氏と平家で言えば、平家の方がちょっと貴族的でカッコいいわけだよ。陸軍と海軍で言えば海軍の方がカッコいいわけだよ。でーなんかその、国内派と海外派で言えば海外派の方がカッコいいわけだよ。そっちはカッコいいはカッコいいんだけど、絶対に日本の組織では中枢になれないっていう。そういうもんなんだよ。(…)海外で成功すればするほど国内では冷たくされるみたいな。そういう風土があるんですよ。」

『山田五郎 オトナの教養講座』 藤田嗣治の回より

この話を聞いた時に思わず箸を落としてしまった…とまでは言わないけれど、「ギクッ」としたのは事実だ。苦笑いをするしかなかった。

まだまだこれからアメリカで頑張らないといけない自分がこういうのは憚られるけど、これは他人事ではない。

たとえこれからアメリカのテクノロジーの業界で活躍したとはいえ、日本の会社でその経験を両手を広げて迎え入れてくれるところがあるだろうか?「あるよ」という声は聞こえてきそうだけど、本当のところそうは思えない節がある。

例えば、よく日本の会社で働いている友達からこんな話を聞いた。

あいつアメリカのMBA帰りなんだけど、口ばっかで偉そうなことばっかり言ってんだよな。

ぼくの回想より

とか、

英語はできても仕事はできないよね。

 ぼくの回想より

とか。

アメリカに留学して、もしくはアメリカで活躍した人に対して表面的に持ち上げることは簡単だろう。「Appleの本社で活躍されてたんですね、すごーい!」とか「Google本社でエンジニアやってたんですか?超エリートー!」とか。ただ本当の意味で国際的なバックグラウンドを持った人材を活用できる器が日本の会社にあるのだろうか?と(生意気ながら)思ってしまうところがある。

アメリカでMBAを取得して意気揚々と日本の会社に戻ってきたものの、その経験を活かせる環境ではないことに気づいて悩むという話はよく聞く(なんなら実際にそんな相談をされることもある)。

その結果としてどうなるか?多くの場合はMBAなどの留学経験が重宝される外資系の会社の門をくぐったり、はたまた日本自体を出て海外で働くという選択肢を取ることとなるだろう。テクノロジーの業界で言えばアメリカで働くことの方がキャリアアップに繋がったり、そもそもお給料が高かったりするからだ。同じポジション・仕事なのにアメリカの方が給料が倍以上高いという話は珍しくない。

"優秀な人ほど日本を出ていく"という事態はこうして生まれていく。"グローバル野郎"に居場所はないのだ。

サーモンと日本人と

秋になるとシアトルの街にはサーモンが川に帰ってくる。川を飛び出して大海原での大冒険をしたのち、産卵のために家路につくわけだ。ぷっくりと太ったサーモンが悠々と泳いでいる。

どんな旅にも終わりがある。多くの人は日本を離れたのち、海外での挑戦を経て、いずれ帰路に立つことになるだろう。そんなときこのサーモンのように悠々と泳げる川を(環境を)用意するにはどうしたらいいのだろうか。

藤田嗣治は第二次世界大戦前に日本に帰国し、陸軍にて戦争画を描くことで国に貢献しようとする。しかし晩年には日本国内の諸々に嫌気が差し、失意の上に日本を離れる。フランスに帰化した彼はよくこう口にしたそうだ。

「私が日本を捨てたのではない。私が日本に捨てられたのだ。」

ビジネスの世界で、第二の藤田嗣治を作らないようにしたいですね。



アルカイビーチにて

今日はそんなところかな。シアトルにて秋の静かな海を眺めながら。

それではどうも。お疲れたまねぎでした!

サポートとても励みになります!またなにか刺さったらコメントや他メディア(Xなど)で引用いただけると更に喜びます。よろしくお願いします!