見出し画像

アメリカ行きをプッシュしてくれた本

神保町が好き

ぼくは20代の多くの時間を神保町のあたりで過ごした。住んでいたわけではないので、あくまで週末の時間でという限定にはなってしまうけれど、それでも少なくない時間をそこで過ごした。

なんでその街に足繁く通ったのかと聞かれれば、「そこにあるデッサンの学校に通ってたから」とか「楽器屋やジャズ喫茶があったから」なんていうそれらしい理由をいくつも挙げることができる。カレー屋にラーメン屋だってピカイチのお店ばかりなのだから、その暖簾をくぐることだって立派な理由のうちに入る。

そのすべてが事実なんだけれど、なんというかそんな理由を連ねても説明できない魅力がこの街にはある。それを強いて言うならば、どこか佇む"しんとした"静けさなのだ。大学街ならではのガヤガヤ感もあるし、楽器屋から漏れ出てくる騒がしい音なんかを加味すると「何いっちゃってんの?」と思うかもしれない。でも、一人ひとりが古本を手にとってペラペラとページをめくるその姿から、おんぼろの中古レコードをターンテーブルにおいてじっくりと聞き込むその姿から、もしくは念入りにチューニングをしてひとつひとつの音を確かめるようにエレキギターを試奏するその姿から、ぼくはこの街のひっそりとした静けさを耳にするのである。人が好きなことにだけ捧げる"集中力"といったものをそこかしこに感じるのだ。この街には、そんな人々の「わたしだけの時間」に溢れているように思う。

ぼくもそんな個人的で贅沢な時間を神保町の至るところで過ごした。1960年代生まれとかそこらのビンテージギターが所狭しと並ぶギター屋さんで。あるいはJBLのまっ黒なスピーカーがズンズン鳴り響くジャズ喫茶で。そしてもう一つ、思い出の場所がある。神保町に降りたなら必ずここには足を運ばないと、というところがあった。それがJazz Tokyoというお店だ。ここはCD・レコードショップのdisk unionの中でもジャズを専門としたお店だ。神保町から御茶ノ水までの坂道に位置するこのお店に、これと言った理由もなく、吸い込まれるように訪れたものだ。はじめてジャズのレコードを買ったのもここだったし、ぼくの好きなジャズ漫画『BLUE GIANT』の新刊も決まってここで買ったものだ。レコードも漫画もAmazonで買えばいいじゃんといえばそれまでかもしれない。ただ、音楽好きなオジサマたちと並んでレコードをパチパチとはじきなから物色する時間が、週末の午後を彩るのに一役買ったということは言っておきたい。これもまた、ひっそりとした「わたしだけの時間」だったわけなのだ。

このJazz Tokyoのお店の壁にはよく大江千里さんのポスターが貼ってあったと記憶している。今やジャズピアニストとして活躍されている彼のサイン会だったり、ちょっとした店内ライブだったりの案内だったと思う。行くたびにあのハットと眼鏡がよく似合うおしゃれな大江さんの顔が「いらっしゃいませ」と言わんばかりに出迎えてくれるわけだから、ファンでもないぼくも顔と名前を知らず知らずのうちに記憶することになった。そして店内の書籍コーナーには大江さんの本がいつだって山積みになって売出し中だったものだから、自然とその本も手に取った。

大江千里さんのエッセイ

その本というのがこちらだ。

9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学

ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス

またとんでもなく遠回りをしてきたけれど笑、これらがこのNoteのタイトル通りの本、つまりアメリカ行きをプッシュしてくれた本にほかならない。

ざっと紹介するならば、これらの本はミュージシャンである大江千里さんが日本での成功を捨てて、アメリカのジャズの音大で悪戦苦闘し、ブルックリンという場所で自らのレーベルを立ち上げて運営していくまでの道のりを描いたエッセイである。大江さんはシンガーソングライターとして20代早々からブレイクを果たし、その後キラーチューンを飛ばしまくってポップスター街道を上り詰めていく。ただ青春をテーマにして作ってきた曲たちと、歳を重ねていく自分、そしてお客さんとの間にだんだん距離が出来ていく。ポップスターとしての活躍に翳りが見えだし、そうしてパッとしない中年期に進むに連れ、以前から挑戦してみたかったこと、つまりニューヨークでジャズをやるということを思い立つ。47歳での大きな大きな方向転換である。

アメリカの音大で20歳そこらのガキンチョと机を並べてジャズを必死に学んでいく姿、異国の地で孤独や葛藤と闘いながらなんとか道を切り拓いていく姿に自然と感情移入してしまう。アメリカや他の国から留学生との交流や、ユニークで魅力的な先生たちとのレッスンの様子、そしてアメリカを車で横断していく部分の描写なんかはこれからアメリカに行きたい人なんかにはグッとくる部分があるんじゃないだろうか。

もう一つ、読んでいてとっても印象的だったのは、大江さんがクヨクヨと悩んでるシーンだ。ピアノがなかなか上手くならないことについて、ジャズのリズムが身体に馴染まないことについて、そして年齢やなんやかんやを踏まえて「おれこれでいいのかなー」と悩みこむシーンがよく出てくる。これを読んでいたとき30ぐらいだった自分は、「このくらいの年齢になっても人はこんなにも迷うもんだなー」と思ったものだ。率直すぎて失礼かもしれないけど、「こんなティーンエイジャーとおんなじような感じで悩むわけか…」というのが素直な驚きだったし、そういう部分を包み隠さずに書き記してくれるところがとても素敵だなと思った。「"四十にして惑わず"って言葉があるけどぜんぜんそんなことないんだな」としみじみと思う。

今振り返って思うのは、そんな感じで大江さんが壁にぶつかってもがいていたのは、自分と向き合って挑戦していたからなんだと思う。その真摯な姿が随分とカッコよく映る。47歳にしてアメリカに渡って予てからやりたかったことにトライする。変にカッコつけずに、がむしゃらに自らの道を突き進む姿にぼくはとっても大事な"勇気"というものをもらった気がする。これらの本を読んでいた頃は、「そろそろ自分もアメリカのテックの本場に行かねば」と思っていた時期だった。「いろいろ準備してたら30歳過ぎちゃったよ…」とかぼくなりにクヨクヨ考えていたわけなんだけど、この大江さんの本に「どこも遅くなんかないぜ。はやく行ってこい。」と言われた気がして、モチベーションが最大限に上がったわけだ。

ひょっとするとこの大江さんの本は音楽やジャズが好きな人でないと十二分には楽しめない部分もあるかもしれない。ただそれを踏まえた上でも、これからアメリカに行くことを考えていたり年齢を理由になにかをやることを躊躇していたりといった人には圧倒的におすすめしたい本だ。

ちなみにアメリカに来て、これらの続編にあたるこちらの本を読んだ。

マンハッタンに陽はまた昇る 60歳から始まる青春グラフィティ

相変わらずアメリカで挑戦しまくっている姿が軽妙なタッチで書き記されている。読んでみて思ったのは、「このおじさん相変わらずめっちゃカッコよい!」ということだ。ぼくもこんな生かした年の取り方を取っていきたいと切に思う。

そんなところかな。写真はシアトルにあるお気に入りのカフェにて。ここはクイーンアンという住宅地で住民の憩いの場になっている。

それではどうも。お疲れたまねぎでした!


この記事が参加している募集

サポートとても励みになります!またなにか刺さったらコメントや他メディア(Xなど)で引用いただけると更に喜びます。よろしくお願いします!