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どんな子供でも大事にしてくれる先生たち

学校の先生を応援することの大切さ

フォローしている「かおるこ@先生を応援したい」さんが数日前に、学校の先生を応援するために企画を立ち上げてくれました。私も一時期学校の先生という立場でしたので、是非ということでいくつか記事を書かせてもらいます。

はっきり言って教員は、拘束時間や業務量に関してブラックな職業です。もちろん、やりがいはあります。子供の成長が実感できたり、卒業生が訪ねてきたときなどは非常にうれしいです。そういった人間相手の仕事は他では味わえない喜びはあります。

また、元々子供と接したり、教育ということにモチベーションを感じている人も多いのも事実です。ただ、そういった人のボランティア的な頑張りで何とか正常な運営を保っているというのが現状でしょうか?

一方で業務内容は増える一方です。なぜ、こんなに書類を作らなくてはいけないのではと思うくらい、雑事が多いです。本音は子供たちのためにやりたいことがあるのに、雑事で相当の時間を奪われてしまいます。

自分自身のことを振り返ってみる

私は一言で言うなら、小中学校では問題児でした。正直、自分が先生だったら絶対に自分みたいな生徒はいてほしくないです。

授業もちゃんと聞いたことの方が少なかったですし、後で思えば相当荒れたクラスでした。当時の担任の先生には相当迷惑をかけていたんだと今更ながらに思っています。

当時はなぜ、そんなに荒れていた理由は正直分かりませんが、色々と寂しかったのかな~と思います。

先生から教わったことで一番心に残っていること

そんな学校生活で一番記憶に残っていることです。

学校から帰る直前にケガをしました。病院で9針位縫う程度のほどほどのケガです。それなりに血があふれ出る感じでした。

当時の担任ではない先生がですが、いつもお世話になっていた先生が保健室に連れて行ってくれて、救急車を呼んでくれました。

何を言われたかの細かいことは覚えていないのですが、流血している私をギュッと抱きしめ続けてくれました。いつも迷惑ばかりをかけていたのに、愛されているんだと実感しました。

もちろん、心に残る言葉がたくさんあるのは事実です。ただ、抱きしめられるという行為は、滅多にある事でもないですし、何よりその人の温かさを感じられます。そういった経験はずっと記憶に残ります。

その後、病院に行って、無事に戻りました。その先生にはお礼を言いに行ったら、喜んでくれたのをよく覚えています。自分のミスでケガをした訳だし、担任の先生でもないのですけどね~

どんなきれいな言葉でいうよりも、「抱きしめるという行動」が身に染みて感動しました。あまり小学校時代の細かい話は覚えていないのですが、このことだけは明確に覚えています。

ある意味で緊急事態でした。そういったときに咄嗟に本音やその人の本質の部分が言動にでてくるんですね。いい先生でした。

もう過去には戻れない

30年位たっているので、正直、今は何をしているのか?は全く分かりません。年齢的には大分前に定年を迎えていると思います。もう、あの頃のことを一緒に話すことはないとはできないです。

この経験が私のその後の人生に大きな影響を与えたことは事実です。「こんな子供でしたが大事に思ってくれてありがとう」と伝えたい。でも、もうできないのです。

もちろん、小学校に連絡すれば何とかなるかも知れませんが、そこまでやる勇気もないです。たまにテレビ番組で昔お世話になった人に会いに行くという内容もあります。

でも、そういったことは滅多にないからテレビになる訳で、そんなにある訳ではないのです。同窓会があればたまには会えますが、そもそも担任の先生でないので、それも叶いません。

どんなに言いたいことがあっても、もう直接言えないのです。なかなか卒業した学校に行く機会はないのですが、たまに行ってあげると良いですね。また、こちらの想いはちゃんと言った方が良いですね。

先生たちにも伝えたい。子供たちは言葉にしないこともあると思いますが、心の中ではすごく感謝しているんですよ。だから、頑張ってください。本当は卒業後もたくさん会いたいんですよ!

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