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絶望の中にあった人生


私はずっと自分自身のことが好きになれなかった。
死にたい、苦しい、
今ももがきの中で人生送っている。
足りない自分自身に、嘆いて、嘆いて
たまらずにこれからも生きていく。

ある1人の男の子は私に
「まおさんと話していると、悩みもちっぽけのように感じる」と言われた。

私は、そんな大きい存在になれているのか?
私は疑問に思う。

そう見えているのであれば
私が変われたのは紛れもなく
聖書に出会ったからだった。

2020年、9月に初めて聖書の話を聞くようになった。
それから何個か聞き、ストップ
世の中でやりたいことやって
散々、色々やって結局疲れて自ら聞きたいと再開した。

「私のことを助けて欲しい」と聖書学ぼうと誘ってくれた友達にLINEをしていた。
霊魂の悲痛な求めだったんだと今思う。

再開は、2021年の1月中旬のことだった。
コツコツとほぼ毎日聞き、3月に全てを聞き終わった。

御言葉は真理で正しい。
毎日新しいことを学ぶことに衝撃を覚えた。

希望があった。

でも、祈りが大事だと分かっても
自ら出来なかったし

これはダメだと言われるとかなり反発が起こり
認めてほしさのあまりに、自分の罪を認めることが出来なかった。

キラキラしている教会の人とも
距離を置きたくなるし、関わりたくなかった。

自分が惨めに見える。
御言葉は好きだったけど、人に躓いていた。

連絡が絶えないから、距離を置きたくて
1ヶ月沖縄に逃亡した。

けど、啓示をうけ
早く帰って来なさいと言われ、愛媛に帰って来た。

色々あって、徐々に御言葉と向き合う生活に戻り
教会にも通うようになった。

何で私はこの御言葉を聞くようになったんだろう。
ずっと疑問だった。
何故神様は愛してこの歴史に呼んでくださったのか。
尖った個性は、本当の貴重な個性を見えにくくしていた。


神様の与えたい全てものものを
素直に受け取ることができず
私の考えという枝葉で覆っていた。
神様の強い愛の光を、自分が覆っていて、突っぱねていて、欲しいと求めていながら、受け取ろうとしていなかった。

神様が私のことを貴重だ。愛していると話しているのに、自分はそうじゃない。自分には価値がない。。認められない。と思う考えが
神様の目から見て罪だということが分かった。

自分自身が自分のことを計ってはいけない。

そこからたくさんもがいた。
周りの人や教会の人からの褒め言葉は素直に受け取るようにした。

まずは認めるところから。
それが考えの復活に繋がった。

考えが変われば行いが変わる。
2024年になった今、御言葉を聞き始めて3年が経ち、
やっと、自分自身の復活、引き上げについて
深く深く感じるようになった。

永遠で生きるために
この肉体のあるうちに、変化しなければならない。
罪をこの世に残してはならない。
永遠な天国に罪は持っていくことができない。

キラキラ輝く光の世界に飛び込むには
やはり、変わらないと。

いらない荷物を少しずつ少しずつ
下ろしていった時に
とても軽くなり、生きやすくなった。
こんなにも人生変わるんだ。
そして、それは誰とあなたが出会うか。

主イエスキリストに出会って
悟ってついていかなければならない。
真実にその方を愛するなら
その方の行く道を私たちも行かなければならない。

そう、イエス様のくびきを負わせてください。
と祈った。

今までの全てのことを悔い改めた。
もし、不安もない人生送っているように見えているなら嬉しいし、色々乗り越えてきた分の厚みだと信じたい。

神様の愛をこの体で行い伝えれる人になりたいといつも願って生活しているから嬉しい。

手遅れになる前に一緒に乗り越えていこう。
辛いこともたくさんあると思うけど

ここにしか人生の答えがないのよ。
だから、信じてついて来て。

私が共にする。

おやすみなさい。

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