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デジタル・ケイブ事始め。(32) 想像力はためになる。

自分の想像力に助けられるなあ、と思うことがよくあって。

誰ですか、「想像力ちゃうやろ、妄想力やろ」とか呟いているのは。
でもまあ、間違ってないですよ、妄想力。
なにしろ小説家なので、そりゃもう妄想がたくましいんです。

なにしろあたくし、テロで首都圏が大停電になったり!
関西空港が孤島になったり!
ウイルス性の病で言葉を失う人が続出したり!
……という、恐ろしげな妄想ばっっっかりしてる人ですから。

会社にいたころ、たまにぼんやりして、
「いま、このビルの玄関にサブマシンガンをかついだターミネーターが現れて受付を震え上がらせ、『このビルは俺が占拠する』とか言いだしたら、どないしたらええんかな。とりあえずみんなを逃がさなあかんけど、このビルの出入り口と階段は南北両側に二か所」
なんてことを、つらつらと考えていたことがありますから。
ちなみに、こっちの武器は消火器な。

で、その妄想力、もとい想像力が、今回どんなふうに役に立ったかと申しますと。
これからどんなトラブルが起きる可能性があるか、頭のなかでシミュレーションできるんですよ!

これはけっこう役に立つんですよ~。
トラブルの可能性に気づくことができれば、ロスタイムを計算して、早めに作業を始めようか、と計画を調整することもできますし。
ほんとにまずいことが起きそう!と思ったら、それを防ぐための手も打つことができるわけで。(いろいろあったんですが、今回は省略)

それでね。
よく、「小説なんか何の役に立つんだ」という人がいらっしゃるじゃないですか。
いや~、言うときますけど、人間が生きていくうえで、ものすごい重要な能力を養ってくれるんですよ。だからつまり、想像力ね。
これから起きることを予見できる力ですわ。
他にもいろんな大事な「お役立ち」の面があるんですけど、これひとつでもすごいと思いません?

いやもちろんね、私個人は、「小説が何かの役に立たねばならない」とは、これっぽっちも思ったことないんですけどね。
だけど、今みたいなことをしていると、嫌でも感じるわけですよ。
「自分の想像力を養ってくれたのは、小説だったなあ」と。

「小説なんか」と思ってる方がもしいらっしゃるなら、だまされたと思って、なにかお読みになりません?