7年間「何者にもなれなかった」私の生存戦略
「私は人と関わることが好きじゃないんだな……」
そんな考えにたどり着き、
前職を辞し
「在宅でひとりで働きたい」
と、ぼんやり思い描き7年の月日が流れました。
現在はオーストラリアで開業し、WEB系フリーランスとして独立し、主にライティング案件・マーケティング案件、メディア運営で生計を立てています。
この7年を振り返ると
「何者にもなれなかった」
という想いをかかえながらも、
それでも、
ささやかな「生き延びてきた感」
一度、立ち止まって「何者にもなれなかったわたしの生存戦略」を振り返ってみたいと思います。
「何者かになる」は向き不向き
そもそも「何者かになる」の定義が私にとって曖昧でした。
憧れや賞賛の対象になること?
世間から認められること?
有名になること?
どれもしっくりきませんが、こんなところでしょうか。
「何者か」になったとされる人の華やかな生活や素晴らしい実績を目にしても、私は「何者かにならなければならない」という圧力を感じることもありませんでした。
見ず知らずの人からの「承認」や「関心」に心地よさを感じ、モチベーションに繋げられる人もいれば、そうじゃない人もいるのだと思います。
ひとことで言ってしまえば、
「向き不向き」
なのかもしれません。
人脈・コミュニケーションの最小化
一般的にフリーランスには「人脈が必要」とされています。
しかし、異業種交流会や名刺交換会など名称は違えど「人脈」を構築できるであろうイベントへの参加はしたことがありません。
「仕事に繋がるかもしれない」との思惑をかかえながら人と関わることへの苦手意識が強く、人と会う時間があるなら家でゴロゴロしていたいと思ってしまうんですよね。
「甘い」「おとなげない」と言われればそれまでですが、人付き合いは本当に自分が好きな人とだけ、一緒にいて心から楽しいと思える人だけにとどめておきたい。
繋がるご縁は勝手に繋がります。
ストレス、トラブルの原因のほとんどは人間関係なので、意図的に人脈を増やす必要はないのかな、と。
「ひとりで集中できる時間」をいかに作り出すか?にこだわらないとタスクが渋滞していきますし、新しい知識のインプットの時間も取れません。
人脈やコミュニケーションは最大化するよりも最小化。
クライアントとの会食は1年に2回あればいい方、同業者との付き合いも片手で収まります。
持続可能な仕事の選択
フリーランスとして活動していると、クライアントから「これできる?」と未経験のジャンルの案件の打診をいただくことが多々あります。
その時々で柔軟に受け入れてはいるものの、取捨選択は大切にしてきました。
継続案件であれば少なくとも1~2年は取り組んでみて、精神的に負担が大きいと感じるものは、報酬が良くてもお断りすることもあります。
私の場合「表に出る仕事」「人前で話す仕事」「きめ細やかな顧客対応」は向いていないと判断し、オンラインイベントや社内研修、動画のお仕事は極力避け、またSNSのフォロワーに対し商売をすることもしていません。
もちろん「挑戦」や「継続」もフリーランスには必要な要素ではありますが、
自分自身が無理なく取り組めるか?
のバランスの見極めることで、持続可能な「フリーランス生活」が送れると思っています。
目的を見失わない
冒頭でもお伝えしたよう、私は「フリーランスだったら人と関わらずに仕事ができるのではないか?」がこの世界に足を踏み入れたきっかけです。
「心の平穏」が最優先事項であることはこの7年変わらずにやってきました。
また、去年から家族の体調不良が続き日本とオーストラリアを行き来する生活になり、二拠点生活を叶えるべく「場所の自由」のプライオリティも上がりました。
「目的」はその時の状況によって変化していきますが、私にとっては「がっつり稼ぐ」というフェーズはまだ来ていません。
自分と家族が穏やかに安心して過ごせることを今後も大切にしていきたいと思っています。
「何者か」になれなくても
仕事の合間にのぞくSNSでは「何者かになること」がとても重要のことのような雰囲気に溢れています。
一方、私のように地味な生活を送りつつ、いったい何で食べているのかわかりづらいフリーランスも表に出てこないだけでけっこう多いのでは?
どちらが良いとか悪いとかの話ではなく、考え方やビジネススタイルの違いです。
フリーランスとして働く中で、
自分自身の心の声に耳を傾け、
自分自身の価値観に基づく選択した結果、
何者にもなれませんでした。
それでも、これが私の生存戦略であり、これからも続けていくべき道だと思っています。
7年間、お疲れさん。
8年目もこの調子でがんばれ。
いただいたサポートは大好きなハッピーターンを買うために使わせていただきます。ありがとうございます。