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「おうち時間」のなかで「民藝」という考え方に学ぶ

「民藝」を知る

こんにちは、ひよこです。

皆さんは「民藝」(みんげい)という言葉を聞いたことがありますか? 今日では、一般に「地方の伝統工藝品」「郷土の生活雑貨」として認識されている言葉かもしれませんが、この「民藝」という考え方は、もともと今からおよそ100年前の大正末期に、思想家の柳宗悦(1889~1961)が生み出した工藝美論でした。

機械による「大量生産・大量消費」の商業資本主義が跋扈し、他方「地方」から「都市」に人口が流入し、地域間での経済格差が顕現化し始めた1920年代の日本社会。

社会文化的な「近代の歪み」が大衆の間で自覚されるなかで、柳はこの「民藝」という考え方を世に披歴し、従来の「西洋化」至上主義、「都市化」至上主義、「効率化」「利便性」至上主義的な時代思潮に警鐘を鳴らしました。

では、具体的にどのようなことを柳は主張したのか。それはすなわち、それまで「下手物」(げてもの)という範疇で、「芸術品」「美術品」として省みられることのなかった生活工藝品にこそ「本当の美」があるのだ、ということを提唱したのです。

柳がそれぞれの地域で製作される生活工藝に魅了されたのは、その土地の自然が生んだ素材、その土地に適応した製作方法、その土地で活きる使用方法が有機的に関連し合い、「生活」の中で極めて合理的に用いられるからでした。当然ながら、機械化・効率化が進んだ都市の生活では用いることが却って難しい工藝品もあります。しかし、柳はそうした「進んだ生活」を一度捉え直す態度を要請し、日本の歴史の中で育まれた伝統的な生活工藝を使う「ゆとりある暮らし」を提案していきます。

実際に柳が注目したのは、日本の工藝にとどまらず、東アジアからヨーロッパ、アメリカの工藝品にまで及びましたが、時代の「雰囲気」にアンチテーゼをぶつけるその「価値顛倒」の原点が、20世紀初頭の目まぐるしく変化する明治後期~大正期の日本社会にあったことは注目に値すると思います。

柳の姿勢は、決して「近代」そのものを否定するものではなく、科学技術の進歩、生活における快適性の向上をきちんと認めつつ、人の生き方を「工藝論」側から再考しようとしたものだったと捉えることができます。

「民藝」を活かす

柳が100年前に唱えた民藝論が、令和時代の日本社会にそのまま当てはまるとは思いません。しかし、「情報」と「モノ」のスピードに追われ、ある種「余裕」を失った現代の日常の暮らしを振り返り、「生活」にゆとりとしての「健康性」を持たせることは非常に重要ではないでしょうか。

コロナ禍によって「おうち時間」が生まれた今、改めて自らの普段の生活と生き方を問い直す人が増えたように思います。「より豊かに」「より快適に」生きる方法は人それぞれ異なります。しかし、その「豊かさ」「快適さ」とは、単に便利さだけを追求したもので良いのでしょうか。

生活の中に溢れる様々な日用品に目を向け、柳の説いた思想に想いを馳せながら、自身の生活を見つめ直してみてはいかがですか。「健康的な暮らし」って何だろう、と。

今後、複数回にわたって柳の民藝思想を読み解いていきたいと思います。お楽しみに。


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(東京駒場の日本民藝館。世界各地の民藝品が所蔵されている。)
日本民藝館(http://www.mingeikan.or.jp/

#おうち時間 #民藝 #柳宗悦 #日本民藝館 #民藝運動 #生活


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