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教育実習の価値と意義~何を見て何を学ぶのか~

こんにちは、ひよこです。

つい先日、コロナの影響によって今年度に教育実習を予定していた学生は、実習分の単位を大学での授業で振り替えるという措置のニュースが物議を醸しました。

今日は、教員にはならなかったものの、中学の社会科、高校の地歴・公民科の専修免許を取得した私が、教育実習の価値と意義について書いてみようと思います。

先に断っておきますが、今年度は未曾有の情勢のため、実習を受けずに免許を取得する学生を非難する、または学校現場に過度に同情し、実習を実現できないことを擁護するといったことは一切ありません。ただ、教員として就職しようとも、教員として就職する予定がなくとも、教員実習の経験は学校現場の生(なま)の質感を実感できる貴重な機会であり、ひいては日本の教育現場の特質と課題を考える重要な人生経験の1つであることは明らかです。その重要性は予め指摘しておきます。

教育実習の位置づけ

そもそも教育実習は、教員免許(教育職員免許状)の取得のために修得しなければならない単位に含められており、教育職員免許法施行規則等によって定められています。

校種や各学校によって異なりますが、おおむね小学校で約4週間、中学校で約3週間、高等学校で約2週間の期間が設けられています。一般には、この実習を経て、最終的に教員免許は取得可能となるのです。

実習では大きく、現役の教員の授業を参観する時間、実際に教壇に立ち授業を展開する教壇実習の時間、部活動その他課外活動を指導する時間、体育祭や合唱コンクール等の学校行事の準備・当日の引率を指導する時間、クラスでのホームルームや掃除、道徳の時間を指導する時間(学級指導)に分けられ、現職教員が担う学校の運営に関わる部分(校務分掌)を除き、学校生活の大部分の指導を経験することになっています。

小学校では担任と教科を指導する先生が同じですが(専科を除く)、中学校・高校では教科担任制が導入されているため、必ずしも実習中の指導教官がクラス担任=教科の先生とはならないこともあります(多くは統一してくれます)。

私もそうでしたが、例えば職員会議や研究授業に参加するなど、上記以外にもそれぞれの学校で実習中に指導する内容はきちんと決められており、実習とはいえ、多くの学生は非常に慌ただしい期間を過ごすことになると思います。

では、本題ですが、わずか数週間の実習にどんな価値があり、どんな意味があるのか考えてみましょう。現職教員からしたら、校務分掌もなく、保護者対応もなく、甘ったれた学生気分の抜けないお客様身分の学生がお荷物になる期間と捉えるかもしれませんが、その辺りの感情は取り敢えず置いておきましょう笑

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教育実習における学び

以下、最も免許を取得するケースが多い中学校と高等学校を例にします。

まず、第一点目として、昨今教員の残業時間の多さが社会問題になっていますが、まさにリアルな教員の労働に関する実態が見えるわけです。

朝、部活動の朝練から始まり、午前に4時間、午後に2~3時間の授業時間を経て、放課後は部活を監督し、生徒が下校した後保護者への連絡やテスト作り・採点、会議、その他の事務仕事をこなさなければなりません。トイレにすらいけないと嘆く教員も多いですが、実習中ですら、現職教員の多忙ぶりはよく分かります。むしろ、先生によっては、こちらから色々相談したくても、学校のどこにいるのかわからないほどです。生徒が学校にいる間は基本自身のクラスや授業、部活のことで精一杯ですから、事務作業や面倒を見ている実習生への指導は生徒が帰ってからということになります。

第ニ点目として、授業が想定の100億倍緊張する、そして難しいということです。これは実習中のメインテーマでもあるかと思いますが、初めての教壇実習で授業をすることの大変さを痛感します。と同時に、自身の話し方の癖や板書の特徴等、今まで気づかなかったパーソナルな特性も自覚できるようになります。実習生だから、とたどたどしさも受け入れてくれる生徒もいますが、授業がぐらつくとクラスを統率することも徐々にできなくなり、自信を喪失するようになります。

中高時代には授業の下手な先生をあれこれ好き勝手に中傷していたかもしれませんが、実習では授業を展開することの大変さを身に染みて感じるのです。近年、アクティブ・ラーニングの推奨やICT教材の導入により、授業をこなす技量は、現職の教員がかつて実習生だった頃よりさらに高いレベルのものが求められているように思います。

余談ですが、子供たちは授業や喋りが上手いかどうか一瞬で見抜きます。この先生は頼れるか?ということをすぐ判断します。一番最初に教壇に立った時が勝負かもしれませんね。信頼されなくなると、どれだけ良いことを熱く語っても聞く耳を持ってくれません。

第三に、第一点目とも関連しますが、教員がやるべき第一の職務である教科の授業よりも、その他の仕事に充てる時間の方が何倍も多いということに気づきます。もちろん、部活動が不必要だ!ということを言いたいわけではありませんが、授業準備にかける時間はほとんどありません。ベテラン教員になれば、一度作ったノートを適宜バージョンアップさせながら繰り返し使っていく人もいるとは思いますが、根本的に授業にかける時間はありません。先ほど述べたように、生徒の下校後にも様々な仕事があります。私は中学校での実習でしたが、校務分掌とは関係のない一部の講師を除き、クラスを持っている教諭の中で生徒が帰宅後に授業作りをしていた先生はいなかったと記憶しています。やる暇などないのです。

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教育実習という経験

以上、簡単にまとめましたが、つまり教員の実態、そして自身の教員に対する適性が痛いほど分かるのが実習期間なのです。もちろん、その地域、学校、学年によって雰囲気や印象は変わると思いますが、今の日本の学校現場の根っこにある部分は全国共通だと思います。また、授業のテクニックや指導力については、慣れの側面が大きいとは思います。

ただ、数週間の実習を経て、「絶対教員になる!」という学生と「無理だ…」と他の進路に変更する学生とに意外と綺麗に分かれるのも事実です。リアルな学校現場を見てモチベーションに繋がる学生もいれば、やる気を削がれ教員としての就職に自信を失う学生もいます。

教壇から眺めたクラスの様子、職員室の雰囲気、労働の実態…。様々な経験を通して、教員という職業に対して考えを一段階進める、それが実習の意義だと思います。「集団塾でアルバイトしていたから教えることには自信がある」という学生もいます。ですが、学校の教壇は塾とは異なった雰囲気を放ちます。半身(はんみ)でホワイトボードを操ることとチョークで黒板に文字を書くことは全く違うんです。同じ「教育」に携わる経験でも、学校の先生というのは特殊です。

そして、教員として就職する場合、実習の次に教壇に立つ日は「プロ」として立つ日です。40年のベテランも昨日まで学生だった「若葉マーク」の人も、同じ「プロ」として見られます。

欧米の諸外国に比べて、日本の教員実習は期間が短い、比較的免許は容易に取得できると言われますが、期間がどうであれ、「リアル」を感じられる最初で最後の機会として、教育実習の意義は看過できないと思います。教員とは異なる進路を選択した場合でも、おそらく実習での経験はずっと記憶に残っていることでしょう。日本の公教育(公立学校での教育という意味ではないです)の内実に関して考えるきっかけに必ずなります。

コロナ禍で実習が実現できないからと言って、それを「公平」か「不公平」かと二元的に評価するのではなく、いかに国や自治体が将来教員となる学生をフォローをしていくのか、そこが非常に重要になるのではないかと感じます。

現場はただでさえ、春の一斉休校の影響により、授業時間が足りず苦慮していることでしょう。だからこそ、教育を取り巻く外の人間が将来の教育を担う人材のことを真剣に考えなければならないのです。

今でも生徒から貰ったメッセージ集は大切な宝物です。

将来の教育現場のために、単なる感情論で終わらない、建設的な議論が展開されて欲しいと願っています。

(終)

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