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『明治・大正・昭和政界秘史』を読んで

随分堅苦しいタイトルだなと思ったそこのあなた。
思っていることは当たっています。
日本近代史のおおよその流れが分かっていないとものすごく難しい本です。
ただし文章はとても読みやすいです。

この本を書いたのは若槻礼次郎。
大蔵省から大蔵大臣、貴族院や民政党総裁、そして内閣総理大臣を二度務めた人物です。

この本を読んだ感想を簡単にまとめます。
理由はちょっと驚いたからです。

覆されたイメージ像

この本は「古風庵回顧録」を元に編集されたものになります。
若月の幼少時から東京裁判辺りまでを若月の口から語られるものです。

私の若月のイメージは正直あまりいいものではなく、「とにかく推しが弱い人、リーダーシップが取れない人」でした。
同じ民政党出身の加藤高明や浜口雄幸に比べたら、リーダーシップに劣るように見えていました。
金融恐慌や陸軍の中国侵攻などが理由に挙げられます。

しかしこの本を読んでイメージが変わりました。
「芯がしっかりある人、慎重な人、現実主義、実直」、です。
実際彼の文章は明快でとても読みやすいです。
「自分がやってきたことを自分の口で誤解なく伝えたい」という気持ちが伝わってきます。

印象的な出来事

私がこの本を読んで特に印象に残っているのが「ロンドン海軍軍縮条約」です。
これは若月が日本首席全権で行った国際条約です。
若月自身は海軍についてとても詳しい訳ではありません。
長く財務畑を歩いてきた人物です。
だから海軍のこと、ましてや軍艦の保有率を決める重要な会議に出席すべき人物ではありません。
しかも日本の首席全権として行っているのです。
では何故首席全権として会議に行くことになったのか。
これは遥か昔に桂太郎の外遊に着いて行った際にロシアで財政のことを研究していました。
その時に軍艦製造費がロシアでは経常費で支出されていることを知ったそうです。
しかし日本は軍艦製造費を臨時費で支出を行っており、軍艦製造費は経常費で支出した方が財源にゆとりが持てるのではないかという話をしたそうです。
それが海軍に注目され、ロンドン会議に行くことになったのではと若月は回顧しています。

さて、会議は上手く行ったのでしょうか。
最初は上手くいかないどころか膠着状態でした。
特にアメリカとの意見が合わず、頭を抱えてしまいました。
しかし若月は本人曰く「我流外交」で乗り切ります。
若月は腹を括ったらやりきる努力をする人物です。
そして日本が考えていた割合より少ないものの、何とか条約を締結することが出来たのです。

総理大臣としては実績は作れなかったものの、その後重臣として次期首相を誰にするかの会議に呼ばれたりしています。
当時の元老は西園寺公望です。
若月は西園寺と面識はありましたし、話をしたこともあります。
西園寺は若月の「芯があって現実主義、かつ実直な人物」だと分かっていたのだと思います。
加えて考え方が西園寺と近かったこともあります。
特に太平洋戦争開戦には反対の立場でしたし。

最後に

さてとりとめもなく書いてしまいました。
以上がこの本を読んだ感想です。
歴史も何でもそうですが、ある一面だけで判断するのは良くないなと思いました。
この本を読んだからこそ若月の人物像が実は違っていたことが知れました。
そして若月の信念は当時の政治には必要だったように思うし、昭和に向かうあの時代には数少ない貴重な政治家だったのではないでしょうか。
ただ若月は大臣には向いているけれど、総理大臣は向いていない人物だったのでは、、、と思ってしまう自分もいます。
同時に時代が悪かったのもあるかもしれません。
もっと時代が平和であれば、きっと若月は総理大臣として大成していたのかもしれません。

歴史の「if」は面白いです。


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