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ぼくたちには、地獄のカマを覗きこむ場所が必要だ。


現世の地獄みが深すぎて、我がどくラジ部に地獄ブームが巻き起こってしまった。

前者は、書物の可能性や限界に、あらゆる手を尽くして向き合ってきた人からの声明。

後者はそれに対し、本と本屋を愛する技術を、ひたむきに追求してきた人からの返答だ。

読書会の主催者として、感動という言葉では表現しきれないほど、心強く感じた。同時になぜか、いてもたってもいられなくなる。

気持ちが昂り、星野源でなくとも「地獄でなぜ悪い!」と叫びたくなる。が、部長たるもの(←あれ、部長だったっけ?)、ここは冷静にいかなくてはならぬ。

(数回深呼吸しますので少々お待ちください)

…ここが地獄であるとすれば、本はさながら、古今東西の地獄を閉じ込めた箱だと言える。

フランツ・カフカが友人に宛てた手紙には、

「必要な本とは、苦しくてつらい不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森に追放されたように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ」

と記されていたらしい。

哲学者のエミール・シオランも

一冊の本は、延期された自殺だ。

と断言する。

本にまつわる行為を考えてみても、

【書く】→心身を削り、脳も疲れる。おそらく想像を絶する地獄。作家さんたちは命を賭けている

【売る】→出版に取次、小売...。体験したことはないけれど、天国と地獄が紙一重な印象。きっと、ただ仕入れて並べるだけでは明日がない。

【買う】→活字中毒のリスク。何を読めばいいか分からない不安。一方、シリーズ沼にハマりでもしたら、財布がゴートゥーヘル

【読む】→本を開けば、知らない世界、知らない社会、知らない感情。さらに、己の読解力の低さに恐怖。無知を悟ればムズムズする。読み途中の「やっぱり、あの本(本屋で買わなかった方)にするべきだったのでは?」というモヤモヤ。

もっとも、タメになったらなったで、周りの人が急に幼く見えてしまうなど、読む前の自分には戻れない

ちなみにSNS情報でしかないが、孤立を恐れ、読書好きであることを隠すという若者もいるらしい。それは、いじめた方が別の意味で地獄に(自粛)

★   ★   ★

やばば。ここまでを「それでも読書は楽しい」という前提で書いている文脈が伝わらなかったら、もっとやば。

縁のない人の目には、贅沢品にも映る本。でも実は、書くのも、売るのも、買うのも、読むのも、苦汁100%であり、地獄100%なのである。

それでも、読書の苦しみの先には、実際の地獄を楽しむ知恵や、時には乗り越える希望すら、得ることができるのだ。

つまるところ、書店とは、「よりどりみどりな地獄」のカマをのぞいて回れる場所かもしれない

確かに、オンライン書店は、とても便利。ステイホーム待ったなしの状況においては、本当に助けられている。

ただし、多くのサイトは、膨大な選択肢の割に一覧性が低い。だから余程の「針山マニア」「血の池オタク」でないと、地獄巡りの一歩手前で疲弊してしまう。個人的にも、アルゴリズムが誘う奈落では、物足りない。

だから、声を大にして言いたい。リアル書店を浮遊していると、思いがけない責め苦に出会える!!!!

(感嘆符を4つも付けて言うことではない)

言い換えれば、良くも悪くも、予想外の「傷」「痛み」が待っている。これを知りたかった。これは知らなかった。知りたいという自分の気持ちを、知らなかった。

その瘡蓋ができる過程は、間違いなく自分の思考となり、知恵となる。何せ、剥がす瞬間の気持ちよさは(割愛)

今思えば、どれだけ贅沢だったのだろう。実物の本を自由に手に取り、どこか琴線に触れる箇所がないか、いつまでも探していられる環境なんて。

そして何よりも、リアル書店では、自分よりも先に地獄を見て帰ってきた「目利き」の想いを感じることができる。書店員さんは、カマに絶え間なく薪をくべ、読者の心を追い炊きしてくれる。

……私と雄一は、ときおり漆黒の闇の中で細いはしごの高みに登りつめて、いっしょに地獄のカマをのぞきこむことがある。目まいがするほどの熱気を顔にうけて、まっ赤に泡立つ火の海が煮えたぎっているのを見つめる。となりにいるのは確かに、この世のだれよりも近い、かけがえのない友だちなのに、2人は手をつながない。どんなに心細くても自分の足で立とうとする性質を持つ。でも私は、彼のこうこうと火に照らされた不安な横顔を見て、もしかしたらこれこそが本当のことかもしれない、といつも思う。(吉本ばなな『キッチン』福武文庫 P.100)

さて、わざわざ言うまでもなく、そんな本屋さんが窮地に立たされている。頼れる地獄の見本市が、見えない地獄によって滅ぼされるなんて、つらすぎる

(歴史をたどれば、ペストの大流行が活版印刷の普及につながった、なんて説もあるらしいけれど)

目の前に待ち受ける地獄は、本当に手強い。どんな罪による、どんな罰なのか。そもそも、終わりはあるのか。全貌が見えない。おまけに、地獄に落ちてもなお、不毛な争いは絶えない。

でも、(甘く見てはいけないけれど)ぼくたちはこれまで、数多の地獄を追体験してきた。読書を通じて、正解のない問いをシミュレーションしてきたのだ。

まだ、ぼくたちには必要だ。思う存分、地獄のカマをのぞける場所と、一緒にのぞいてくれる人が。

だから、みんなの力でちょっとずつ、支えていきませんか。

【参考文献】頭木弘樹『絶望読書』(河出文庫)、大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』(星海社新書)

【トップ画】2020年3月、神保町にゃんこ堂にて撮影


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