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『かくれちゃったのだぁれだ』復刊第一号!復刊ドットコム はじめの一歩

2000年6月に復刊ドットコムサイトが開設されてから四半世紀、これまでに復刊された書籍は6000点以上に上ります。数えきれないほどの復刊作品は、国内で唯一の復刊専門出版社、そして復刊リクエストサイトとして、ユーザーをはじめ、各関係者とひとつずつ積み上げてきた信頼の結晶そのものです。

ですが、何事にもはじまりがあるように、復刊ドットコムにも、前例のないサービスを立ち上げ、広めるためにもがき、切り開いてきた歴史があります。

本記事でご紹介するのは、復刊ドットコムの未来を拓く嚆矢となった復刊第一号、三原順先生の絵本『かくれちゃったのだぁれだ』。

当時の担当者の記憶をもとに、復刊までの道のりと、その後の歩みを振り返ります。

2000年に復刊された、『かくれちゃったのだぁれだ』白泉社刊

<作品紹介>
人気漫画家・三原順先生による描き下ろし絵本です。
1984年に白泉社から<チェリッシュ絵本館>シリーズの一作として刊行された作品で、美食家にして空想家のトマスと、友人D・Dの騒動を描いた『ムーン・ライティング』シリーズの一つとして、D・Dの子供時代が描かれています。三原作品としては珍しい“絵本”での出版だったこともあり、現在でも本書を探しているファンの方が大変多い作品の一つでもあります。全編オールカラーで展開される、三原順先生の多彩なカラーリングを堪能できる一冊です。

復刊ドットコムサイトより引用・一部改変

はじめての復刊を目指して

今でこそサービスモデルが確立されている復刊ドットコムですが、その黎明期には出版社への地道な営業活動を続けていました。

絶版となった書籍に一定数の復刊リクエストが集まると、そのデータを持って出版社に赴き、「復刊ドットコムとは何か」を一から説明し、復刊の協力を呼びかけたのです。

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しかし、読者の声を掬い上げ、ニーズに沿って本を生み出そうという取り組みは、その志こそ理解されるものの、なかなか復刊の実現には繋がりませんでした。何年も前に取り交わされた権利関係の整理や、古くなってしまった本の修復、採算性など、ビジネスとして成立させるには越えるべき壁が何重にも立ちはだかっていたのです。復刊ドットコムサイトが開設された日から3ヶ月近く、ユーザーの期待に応えられない日々が続いていました。

のちに復刊第一号となる『かくれちゃったのだぁれだ』の出版元である白泉社を訪れたのは、そんなある日のことです。

復刊サービスへの反応は出版社によってさまざまであった中、初めて訪れた時から、その時の専務自らが復刊ドットコムのサービスの話を聞き、好意的に受け止めてくれたという白泉社。

当時、白泉社から出版された三原順先生の作品は、一部を除いて絶版になっていましたが、三原作品は同社にとっても大きな存在だったのです。

同専務からの後押しもあり、『かくれちゃったのだぁれだ』の復刊に向けて、前向きな検討が始まりました。

何度も通った白泉社 積み重ねた絆

 初めて白泉社を訪れて以来、復刊ドットコムの営業担当者は何度も同社を訪れました。
白泉社の社屋は、今も多くの出版社が社を構えるお茶の水周辺、復刊ドットコムの当時の事務所から徒歩10分の距離にありました。

白泉社としても、他社からの働きかけで復刊に踏み切るのは初めての経験だったことから、社内でもさまざまな検討が行われていたのではないか、と当時の担当者は振り返ります。

足を運ぶ度、少しずつ実現に近づいていく復刊。
正式に『かくれちゃったのだぁれだ』が決まってからも、訪問は続きました。
どんな本に仕上がればユーザーの期待に応えられるかを出版社とともに考え、完成を見届けるまでが復刊ドットコムの仕事だからです。

そして、復刊の途中経過はその都度、復刊ドットコムサイト上でユーザーに伝えられました。
本当に復刊が実現するのかを不安に思いながら待つユーザーの気持ちに寄り添うためです。
このような情報公開は、後にさまざまな事情から続けることが難しくなってしまいましたが、双方向のコミュニケーションによって生まれたユーザーとの繋がりは、黎明期の復刊ドットコムを大きく支えていたのです。

実際に、『かくれちゃったのだぁれだ』の復刊では、三原順先生のファンページ「三原ワールド」に集う方々の存在が復刊の成功に大きく貢献しました。
投票を募っている段階での呼びかけに始まり、復刊が実現すると同書の販売数の面でもファンの力を遺憾なく発揮したのです。

当初、白泉社からのオファーは約90票のリクエストに対して、「300部以上なら」というものでした。最終的に500部と決まったものの、これは白泉社にとっては決して多い数ではなく、復刊ドットコムの趣旨に共感し、厚意があってこその数字です。しかし、まだ1冊も復刊したことがなかった復刊ドットコムにとっては、崖から飛び降りるような部数でした。

そんな時、“500部は固い”と励ましてくれたのが「三原ワールド」の皆さんだったといいます。すると、その言葉通り、同作の販売が始まると、読書用と保存用に複数冊購入したり、友人にすすめるために購入したりするファンが続出。500部はわずか1週間で完売しました。

そして、多くのファンの、三原作品への深い愛情に後押しされた同作は、最終的には2000冊を超える受注を記録することになったのです。 

繋がっていく復刊、関わり続けた三原作品

 『かくれちゃったのだぁれだ』の復刊の大成功は、復刊ドットコムに大きな追い風をもたらしました。前例ができたことで、復刊交渉が格段に進めやすくなったのです。

そして、同作以降、復刊ドットコムにリクエストが寄せられた作品の復刊が続々と実現するようになると同時に、絶版となっていた他の三原作品も数珠繋ぎのように復刊が決まっていきました。

その際に活かされたのが、『かくれちゃったのだぁれだ』をはじめ、その後の三原作品の復刊を担当した社員が長年にわたり築いてきた出版社との信頼関係でした。

三原作品は白泉社のほか、主婦と生活社からも出版されていましたが、同社員の人脈があってこそ、三原順先生を担当していた主婦と生活社の編集者へと話が繋がったのです。

そして、復刊ドットコムが関わった三原作品の集大成と呼べるのが、『三原順秘蔵作品集「LOST AND FOUND」』。遺稿や単行本未収録、未発表の作品、小説、制作ノートなど、それまで世に出たことがなかった三原順先生の“全て”を掲載しようという、その名の通りの秘蔵作品集です。

2003年に出版された、『三原順秘蔵作品集「LOST AND FOUND」』
発行:主婦と生活社 / 発売:復刊ドットコム

見どころが非常に多い同作品集ですが、中でも制作面において特筆すべきは、そのコンテンツが、出版社の枠を越えて掲載されているところにあります。つまり、白泉社と主婦と生活社がそれぞれに保管していたものを、復刊ドットコムが間に入ることで、1冊の本にまとまった形でファンへ届けることができたということです。

「今思い返すと、いい仕事ができたなって思うんです。本当に豪華仕様にして作りました。結構な高額商品だったんですが、全部売れて重版したんですよね。やりきったなっていう風に考えていますね。」

『かくれちゃったのだぁれだ』の復刊から関わり続けた担当者は、同作品集の出版について抱いた思いを今もしっかりと記憶していました。

復刊作品第一号『かくれちゃったのだぁれだ』

さて、今や6000点を超える復刊作品の中でも、復刊ドットコムを語る上で必ず登場する、『かくれちゃったのだぁれだ』。他にも多くの作品にリクエストが集まっていた中、同作が復刊作品第一号となったのは、さまざまな事情を抜きにしても、とても運命的なものだったと言えます。

というのも、同作の出版には、次に繋がる知見が詰まっていたからです。当時の担当者は次のように語ります。

「文字だけの本が復刊第一号だったら、簡単とは言われないだろうけれど、『かくれちゃったのだぁれだ』ほど時間はかからなかったと思うんですよね。でも、同作は、カリスマ的な存在である三原順さんの作品で、なおかつ絵本だったということで、印刷のクオリティも保たなければいけない。後から思い返すと、大変な第1号になってしまいましたね(笑) でも、それができたから、じゃあ次もできるねって、そういうノウハウを獲得できたという風に思います。」

そして、復刊作品第一号である『かくれちゃったのだぁれだ』の出版から20年後。
同作は社の創立20年を記念した復刊企画の一つとして、装いを新たに再び出版されることとなりました。

復刊ドットコムのはじめの一歩を飾った同作は、その美しくも儚い物語と相まって、ページをめくるごと、当時の記憶と郷愁へと誘います。


■取材・文
Akari Miyama

元復刊ドットコム社員で、現在はフリーランスとして、社会の〈奥行き〉を〈奥ゆかしく〉伝えることをミッションとし、執筆・企画の両面から活動しています。いつか自分の言葉を本に乗せ、誰かの一生に寄り添う本を次の世代に送り出すことが夢。
https://okuyuki.info/

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